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「別れよう」

チェダーチーズの挟まったサンドイッチを頬張りながら彼女はそう言った。

一瞬、内耳でそれが止まったわけだけど
“別れ”を切り出されたことを僕は理解した。

何も言えないまま、緩い時間が過ぎていくのを左手首で感じながらお揃いの指輪を眺めていた。

理由も聞けないままでいると
彼女はサンドイッチを食べきって、おもむろに小説を取り出す。

お皿に落ちた萎れたレタスが僕のようで、
情けない姿に少しだけみぞおち辺りがぎゅっと痛んだ。
いつでも自由な彼女に振り回された僕の三半規管は強く鍛えられたつもりだったけど、予想外の言葉に目眩が止まらなかった。

彼女は決めたことを決して取り消さない人だし、“二言はない”と僕よりなぜか男気があった。

だからこそ、いつから別れたいと思っていたんだろうとか何がダメだったんだろうとがそんなことばかりが頭の中でお祭り騒ぎをしている。

彼女が小説を読む姿は毎日のように見ていたはずなのに何故かまるで他人かのような空気がそこにはあった。

その空気に触れた僕の喉仏が動く。

「わかった。」

何も分かっていない、分かりたくもないのに僕の言葉は僕の意思を遮断して
僕の口から彼女の耳へと伝染する。

彼女は小説に、コップから滴った水で濡れたコースターを挟んだ。
そして、長い睫毛を揺らし僕の目を睨みながら言った。

「ありがとう、でも幸せにはならないでね。」

彼女は微かに笑っていたのだ。
何故かその言葉に少しばかり体温を感じた平成最後の春だった。
悔しい、途轍もなく悔しい思いをした。

最後まで彼女の言葉に振り回される僕が情けない。

それからどれだけ時間が流れたかはわからない。
喫茶店の横を傘をさした人たちが歩いていく。
雨が降りはじめたことにも気づかなかった。緩やかな時間が僕の静脈を逆流した。

それはもうすぐ三月が終わろうとしていた日のことだった。

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