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お肉屋事件

現在開いているのはスーパー、薬局、テイクアウトとデリバリーのみの飲食店。それと個人経営の小さなお店。

近所のいつも行っていた銀行、公園、コインランドリー(徒歩圏内にある3軒)、パン屋、カフェ、ベネズエラサンドイッチのお店が全て閉まってしまった。

それは徐々にではあるが、水が足元からだんだんと溜まっていって、息苦しくなるような感じ。

変わり行く風景。毎日の苦しく悲しいニュース、批判。

それでもいつものような生活を送ろうと、見た目にはわからない心の中の葛藤がある。私たちの生活は「真っ最中」の中にある。

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(↑近所のスーパーの外の様子。スーパーの中は15人に制限、並ぶ時は前の人から2メートル離れて。)


この世界になってからも、なるべく個人のお店に出向くようにしている。

お肉類が一切冷蔵庫からなくなってしまったため、近所の東欧系の小さなお肉屋さんへ向かう。家族経営で、英語を第二外国語で話す、愛想のいいお肉屋さん。

この状況の中、営業時間を短縮し、お店の中に入れる人数を一回二人までと制限してのオープン。いつもの手作りソーセージが買える喜びは感謝でしかない。

お店に到着した時、中に二人お客さんがいた。

こちらは夫と二人だったので、二人出てから二人で入ろう、ということで1番目に並んだ。

少しすると中からお客さんが一人出た。ちょうどその時、70代か80代くらいの白髪のおじいさんが私たちの後ろにやってきた。

スーパーでもお年寄りや助けが必要な人のためだけの営業時間があると聞いていたし、夫と私は躊躇なく順番を譲った。

中にいるのはおじいさんともう一人。私たちは二人が出てくるのを待った。

待っている間に電話で大声で話す女性が後ろに並んだ。

しばらく経ち、先に入っていた一人のお客さんが出た。それでも中に入らない私たちの前に後ろに並んでるおばさんが割り込んできて、ほぼ叫ぶように私たちに言った。

「なんで入らないのよ。私は待たないわ!」(意訳)

「だめです。私たちは二人で入りたいから二人が中から出るのをあなたより先に並んで待っている。」

「意味がわからない。一人出たから私は入る。二人で入りたいなら永遠に待ってればいいじゃない!」(意訳)

私たちが状況を説明するのも聞かずに中に入って行ってしまった。


それが起きたのは一瞬だった。

呆気にとられた。

しばらくしてあのおじいさんが中から出てきて、気まずそうな顔をしていた。

私たちの後ろには新しく二人男性が並んでいた。何が起こったかは知らない。

そしてあの女性が中から出てきた。手にはそのお肉屋さんのロゴが入った大きなビニール袋が二つ。

そのおばさんがドアを開けてくれたのでその隙に私が中に入った。そして夫が入った。

その時。

何が起こったのか私は後ろを見ていなかったのでわからないが、女性がすごい剣幕で捲し立ててきた。

「あんた達の態度はなんなのよ。言いたいことがあるなら外に出てきなさい。何言ってるかわからないけど、私は悪くない!」(もちろん意訳、もっとひどいことを言っていたように思う。)

彼女はお店の中に戻ってきて、夫の顔を睨みつけ、叫んでいる。

お肉屋さんのお店の人は、もういいから、いいから、というような感じで彼女をなだめ、お店を出るようにうながした。

もしかしたら夫の肩とかが彼女にぶつかって、それを故意にぶつけたと思っているのか?と思い夫に聞いてみるが、夫は彼女に何も言ってないし、触れてもいないと言った。(彼はそういうことで嘘をつく人ではない。)

しばらく彼女の叫びが続いたが、無視していたら出て行った。

お肉屋さん家族は私たちに謝罪してくれ、

「あの人、前もああいうことあったのよ。ちょっと頭がアレなの。あなた達は何も悪くない。」(意訳)

「Maybe she's not feeling so well...」とも言った。

お肉屋さんが状況を理解していたことにほっとした。


こういう状況だから社会的弱者をみんなで守ろう、という雰囲気はどこにでもある。

それと同時に、ストレスは大なり小なり皆抱えている。

彼女にも言い分があるだろうし、何か個人的な事情があるのかもしれない。

だけど「順番を守る」という社会の基本すらできなくなるオトナがいる。

大声で罵倒し、威圧し、自分の正当性を主張する。

それが今住んでるこの街の本当の状況なのかなと肌で感じ、怖くなった。

自分もいつかそうなるのだろうか。

どう行動するのが最善だったのか。今もあの状況を思い浮かべて、考えがぐるぐるまとまらないまま、これを書いている。


そしてそのモヤモヤした頭のまま、家に戻り買ってきたソーセージやお肉を冷蔵庫に入れ、お皿を洗い、掃除機をかけた。

台布巾を除菌しようとシンクの下にあったガラスの容器を取り出したら、

パリン

いとも簡単に割れた。

いつからあったかわからないような古いガラスだった。

ものすごく簡単に割れたことに驚きはあったが、悲しくはなかった。


台湾人のお友達に教えてもらった。

ガラスや食器が割れる時は何か悪いことをそれが身代わりになってるという話。


社会で生きるとはそういうこと。

自分の軸はぶれないように。

ガラスを片付けて、そう思うことにする。

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今日も絵を描く!

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