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オーストラリアの学校にて、授業を4回終えた感想。

オーストラリアでは、いろんな国籍の生徒が混じっていることが多い。今、私が授業を行なっているのは、生徒数約1900人、公立のインターナショナルスクールで、日本語を専攻し始めた13才と14才の76人を担当している。彼らは今、ひらがなを全部覚えつつあるくらいのレベル感で、挨拶は日本語でできるようになった。

私は、彼らに日本のアート(ちぎり絵、書道、折り紙、歌)を使って日本語を教える立場にある。

今日で、授業を一人で任される(一緒に担当しているジョンは、机に座って自分の仕事をしたり観察したり笑)ようになって2日目になった。

最初は、嘘だろ!!まさかとは思ったけど放任やん!ジョン!!!助けてまじで。
みたいな感じで冷や汗出まくり焦りまくり。
1回目はそんな感じだったけど、今日で私の授業も4回目。

AとBとCのように3クラスに分かれていて、それぞれのクラスは頭の良さやスピード感が違うし、授業の長さが毎回バラバラ(55分、65分、75分、80分のいずれか)になっているので、負担を減らすために、もう一人の日本語教師のジョンと時間を決めて分けて担当することにした。

2週間半、ジョンの授業のアシスタントを毎日しながら、生徒の名前を覚え、先生の授業のやり方を観察し、生徒の状況や性格や行動を観察してきた。生徒は、英語で話すので何を言っているか聞き取れないことがかなり多いし、何か生徒が問題を抱えていても、英語で気の聞いたことを言ってあげたり、瞬間的にサポートできないことがたくさんあり、とてももどかしくなることが多かった。

そして、先生だからといってリスペクトするなんていう文化がほとんどないオーストラリアでは、若い先生で更に女性だと、特に生徒はリスペクトしないことが多いし、田舎に行くと学級崩壊していたり、アジア系の先生だと、生徒が目を釣り上げる動作をしたり、振り向いてじっと見たりすることもあると、何十年もオーストラリアで働いているアジア系の複数の先生から聞いたりもしていて、かなり覚悟を決めて生徒と先生の線を引いて接さなければ、授業は成立しないと思っていた。

でも実際に授業をすると、自分が予想した以上に生徒たちはとても真面目に応えてくれた。

もちろん、話を聞かなかったり、スマホを触っていたり、パソコンでゲームをしたり、席を立ってウロウロしたりする生徒は数人いる。でも、目を見て、ゆっくり丁寧に注意したり、私の話を聞いてない生徒がいたら授業をストップして全員が揃うまで待ったり、分からないところの質問を解消してから次のステップに進むと、時間はかかっても、授業の深度は変わる。

そんな感じで、授業をする空気をコントロールできていると思えるのは、多分、これまでのジョンの生徒に対する指導力と、ジョンに教わった授業の秘訣を守ることができたからだと思う。あとは、私が英語の学習者だから分からないことが互いにある状態であることと、私が使ってる英語が多分日常会話ではないのでフレンドリーではないことと、自分自身がビビって今まであまり喋ってこなくて寡黙なイメージがついちゃってる可能性があることもプラスに働いている気がしている。

私の担当している3クラスのうち2クラスには、女の子から男の子に名前と外見を変えたり、自閉症を持っていたりする生徒がいる。

特に自閉症を持つ生徒は、集中する対象がブレたり、場を乱す発言をしたりする場合がある。

しかし、アートと混ぜた日本語の授業ということもあり、一見問題を抱えているような生徒であったとしても、一度アートに集中すると面白い作品を作ってくれたり、授業が終わっても作り続けていたり、知っている日本語をたくさん話してくれたりするときがある。(たまに笑)

そういう時は、不意に嬉しさを感じる自分がいる。子供に関して好きも嫌いもなかった自分としては、先生が務まるかどうか心配だった。でも多分、あんまり関係ない。むしろ、客観的に1人の人間として彼らに接することはできるんじゃないかなとも思えた瞬間だった。ただ、それは、ひたすらに授業のことしか考えなくていい環境の先生という立場だからだとも思う。

今、手元に途中のものも含めて93個の生徒のアート作品があり、作品に対する英語の説明文を家で解読している。どんどん溜まっていく作品たちはなんだか達成感でもあるし、この作品たちをちゃんと活かすために色々と考えを巡らせている。
まだ2日目でこの量なので、この先の36回分の授業準備と作品量を想像すると、とんでもない量になるなぁと思いながらも、生徒にアートを通して言語を学ぶことの楽しさをどう感じてもらうか、どんな風に生徒に考えさせるのか(どこまで先生が生徒に教えるのか)を考えることで今は頭がいっぱいでよく眠れない。
でも、この生活は全く嫌じゃないしむしろ仕事は集中、帰宅したら休憩みたいにメリハリがついているので、とても心地がいい。授業が毎日あるので、日々、トライして反省して変更して、でも失敗して反省して変更してみたいな感じで上手くいかないことの方が多いけど、失敗にクヨクヨする時間さえもないので学校にいる7時間の間は頭がフル回転し続けている。16時には先生も生徒も全員帰るので、あとは家でゆったりくつろぎながら作品の説明を解読して、フィードバックして11時には限界がきてパタッと寝る。

とりあえず、あと4日後には、別荘があるビーチ生活(流石オーストラリアw)らしいのだけど、ゆっくりしたいどころか生徒のアート作品をじっくり観察できる〜とか思っている自分がいて不思議というか、自分って分からないもんだなぁと思う。

正直、この先もこの仕事に慣れる気はしないし、慣れなくていい。慣れてはいけない。

毎回、生徒のお腹の空き具合や疲れ具合、家族や友達との関係も毎日変化する中で、同じ授業をしても同じになることは決して無い。そして、圧倒的な生徒の成長や私の達成感が1回の授業で得られることもきっと無い。地道な努力と準備と想いと真剣さが、私と生徒の関係を作り授業になるんだと思う。生徒にこれでもかってくらい考えさせるんだから、私は、それよりもずっと考え続けなきゃ。


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