mmmama130

今年81歳になるパソコン初心者です。娘に勧められて一昨年の末にやっと手にしたパソコンで…

mmmama130

今年81歳になるパソコン初心者です。娘に勧められて一昨年の末にやっと手にしたパソコンでなんとかブログを開けるようになりました。趣味は特に本が好きです。今は歴史ものを特に読んでいます。本の感想と夜ご飯日記を書きます。墨絵の写真は私の作品です。

最近の記事

月ぞ流るる  澤田瞳子著

赤染衛門が何故に[栄花物語]を書くに至るまでの物語です。かって和歌の名手と謳われた赤染衛門こと朝児、夫大江匡衛を亡くし、五十半ばを過ぎてこれからは夫の菩提を弔いながら、余生を過ごすのか。朝児はかって大納言源雅信の屋敷で姫君の倫子付きの女房として働いていた。倫子は宇多天皇の曾孫に当たる血筋正しき姫君、我こそは婿にと、大勢の公達が出入りしたが、倫子が選んだのは摂関家の五男、今の左大臣道長、この時朝児の所に通ってきたのが匡衛だが、いざ添ってみれば浮気な男、よその女に男児まで生ませた

    • 大鏡の人びと 行動する一族 渡辺実著 

      • のち更に咲く  澤田瞳子著

        この物語は源氏物語の外伝に類すると思います。平安時代に京を跳梁した盗賊団袴垂保輔が物語の背景にあって、意外な主人公の登場に興味が湧く、藤原元方天皇の外祖父になる夢破れ、悶死、娘が村上天皇の皇子を儲けたが、立太子出来なかった。息子の致忠は酒席で人を殺めて佐渡へ遠流、その孫たちの物語、長女大紅源満仲に嫁ぎ、源頼光兄弟の母、長男の斉充気に食わぬ公卿の闇討ちに失敗して殺害される。二男保昌肥後守道長の信頼する秘書。三男保輔徒党を率いて盗みを働き検非違使に捕縛され自害。末娘小紅道長の私邸

        • 想い出 その2 1956年から

          写真の説明 1実家の写真館、2映画館(芝園館)1944年何れも祖父撮影 手前は歌舞伎座。 東劇にある松竹音楽舞踊学校への通学路は、有楽町駅を降り晴海通りに出て左に日劇を見、今はデパートと映画館になっている、石造りの数寄屋橋を超える、橋の手前には朝日新聞社現在築地に移転、今は橋も無く暗渠なり宝くじ売場のあるショッピングセンターに、数寄屋橋交差点を向こう側に渡り四丁目へ向かう、安藤七宝店を過ぎ日の出煎餅、手前の角を右手すずらん通りを覗くと和菓子の鹿の子、隣は確か鳥居という生地店

        月ぞ流るる  澤田瞳子著

          華のかけはし 東福門院徳川和子 梓澤要著

          東福門院徳川和子 徳川二代将軍秀忠とお江与の末娘、この夫婦の間には二男五女が生まれた。長女千姫は豊臣秀頼の妻初姫は京極高次の妻である次姉へ養女、珠姫は前田利常の妻勝姫は松平忠直の妻、家光、忠長、そして和姫後の和子は後水尾天皇のもとに入内と決められた。徳川の血を引く天皇の誕生という悲願のために、この時代良家の女は哀しい、自分の意志でなく実家の為に嫁ぐ、和子は十四の時に二度と、江戸の土は踏めぬと京へ旅経った。後水尾天皇は十一歳年上その上およつという女官との間に、二人の子までなして

          華のかけはし 東福門院徳川和子 梓澤要著

          ふりさけ見れば 上下  安部龍太郎著

          七百十七年第九次遺唐使、多治比縣守は安部仲麻呂、吉備真備ら随行して唐の都長安へ。七百二十年仲麻呂は科挙に合格二十二歳任官する、唐は皇帝玄宗の親政、玄宗は則天武后の孫、日本では日本書紀が完成した。天皇は元正女帝の時、仲麻呂は時の権力者に気に入られ姪と結婚双子の男子に恵まれる。この頃から高力士が玄宗の寵任を受ける、吉備真備は同僚の井真成の死去に[李訓墓誌]を書く七百三十四年、(千二百以上の時を越えてこの墓誌は最近発見され、書体は吉備真備の筆跡とされる。新聞に拓本が載っていました)

          ふりさけ見れば 上下  安部龍太郎著

          想い出 その1 1956年から

          想い出 その1 1956年から

          幸村を討て  今村翔吾著

          数年前ある新聞社が著者を招き催した講演で、作家になるきっかけは本屋で見た、池波正太郎著の、[眞田太平記]に魅せられたこの本は読みたい、全巻買ってもらい一気に読んだ。この様な本を書く作家になりたい、そして今なれた。将来自分も眞田を書きたいと、絶対に書くと断言した。あの時の言葉どうり書いた。読む理由、信濃の国人で、根津、海野、眞田、望月が一族、この中に我が家は属し幕末まで真田藩士でした。大阪の陣は信之方、真田幸村は大阪城でどうしたのか。  源次郎が誕生す、名前の由来が語られる、実

          幸村を討て  今村翔吾著

          祇園女御 上下 瀬戸内寂聴著

          祇園女御とは、そも何者であるのか名も生まれも定かではない、正式に宣下された女御ではなく、あまりにも白河上皇の君寵があつかったため、女御と仮称されたものという。著者がある日円山公園から清水寺へ行く道筋に、女御塚阿弥陀堂があり、奥の卒塔婆には祇園女御御供養塚と墨書してあったのを見つけ、不思議な縁で[ぬばたま記]なる。平安時代末期、承香殿の女御藤原道子が書いたらしい日記を、手にした事からこの謎の女の物語を書き始めるのです。後の白河上皇がまだ東宮の時、妃として十一歳年上である藤原道子

          祇園女御 上下 瀬戸内寂聴著

          天智帝をめぐる七人  杉本苑子著

          蘇我氏打倒のクーデターが起こる直前から、天智帝崩御の直後にいたるまで、中大兄皇子(天智帝)とかかわりのあった七人の、それぞれの立場、視点から天智帝を、とらえた古代歴史小説。  風鐸ー軽皇子の立場から、蘇我鞍作こと入鹿は、新羅、高句麗、百済の三国をめぐる外交関係が、緊迫し百済に大乱が起こる中、国防の重責を担って、甘樫岡の丘陵を要塞化しょうとしていた、それが中大兄皇子には大王家をながいしろにする行為と映り、中臣鎌足を黒幕として権謀術数を凝らして、鞍作を刺殺して蘇我宗家を滅ぼしてし

          天智帝をめぐる七人  杉本苑子著

          更級日記を旅しよう  杉本苑子著

          更級日記を読むそれも、ひと味違う現代語訳をと、探したところ著者が日記に沿って旅をするという本書がありました。面白く読みました。  都から遥か遠い上総の国で育った十三歳の少女が、父親菅原孝標の帰任で京に戻る、道中が詳しく書かれている、たった三ヶ月旅が日記の四分の一に当たる、四分の三が四十年の心の軌跡です、任地の上総とは千葉県の市原市、日記にしたがって、著者は市原から、日記に書かれた地名を歩きに京都へ。所々の様子を現在と比較したり、ところに、まつわる話言い伝えなども書いていますの

          更級日記を旅しよう  杉本苑子著

          山河寂寥 ある女官の生涯上下 杉本苑子著

          九世紀から十世紀初めにかけての、五十年間の宮廷と藤原一族の権謀による勢力伸張の歴史が、この小説です。主人公の藤原淑子、父は左大臣家の長男藤原長良、母は父に仕えて、身の回の世話をする青女房の一人だったが、真面目で誠実な人柄が長良に、気に入られ愛人の一人加わった。年の離れた姉の有子のほかに男四人と淑子が、母淵子の実家で暮らしていた。父長良は左大臣家の嫡男に生まれながら、権勢欲が薄く、野心家の弟良房に位官、官職を越えられても、不快とも思わず弟は能力があるから、人に誇るような恬淡さを

          山河寂寥 ある女官の生涯上下 杉本苑子著

          私家版 かげろう日記   杉本苑子著蜻蛉日記をご一緒に    田辺聖子著わたしの蜻蛉日記    瀬戸内寂聴著

          前から読みたくて、現代語訳のを探しました。気になる本を三冊を見つけました。好みの作家が、書いていました。どれをと迷いました、いっその事、この三冊を読み比べてようと、これはもう本読みの究極の楽しみになりました。   先ずは私家版かげろう日記、杉本苑子著から。 受領の娘である、私は十九の時、身分違いの相手に求婚された。今をときめく権門右大臣家の御曹司、藤原兼家殿。両親は驚き慌てたが、私はいささか得意であった。私は当代三美人の一人と騒がれていたので、求婚を受け入れる。いわゆる玉の輿

          私家版 かげろう日記   杉本苑子著蜻蛉日記をご一緒に    田辺聖子著わたしの蜻蛉日記    瀬戸内寂聴著

          小説小野小町 百夜 高樹のぶ子著

          小野小町、平安時代初期の歌人、百人一首に選ばれた歌。いつ何処で詠まれたのか、この物語は紐解いています。雄勝に生まれ、上京して仁明帝の女御滋野綱子の宮中に望まれて出仕した。あの世と行き来したという。小野篁が父であります。美女で漢詩も読む才女、内裏に上がった小町が女御綱子の使いで帝のところに上がった時、帝が目を留めた、その帝の想いを伝える使いにあらわれたのが、吉岑宗貞。小町は当惑し、並大抵のお方なら何とでもいたしましょう、尊き御方はあまりにもお恐れ多くて、という古歌をお返しします

          小説小野小町 百夜 高樹のぶ子著

          身もこがれつつ 小倉山の百人一首周防柳著     その五 そして承久の乱

          勅撰和歌集を、編纂開始からはや四年、撰者達は何事も院の御意に、従って作業を勧めてきたが、どんなに丹精し、まとめても満足してくれず、提出した端からひっくり返してと、崩してしまう。定家はきりがないと異議申し立てたら逆に、癇癪を起こし、ならばこれにて終了じゃと、完成のきょう宴を催した。宴などとんでもなくまだ中途だし、序文すらない、定家も意地になって宴も不参加をした。いつまでも院に対して不貞腐れているわけにはいかず、関係修復を、と探りはじめたときに院から水無瀬へお召し、使者に御用を聞

          身もこがれつつ 小倉山の百人一首周防柳著     その五 そして承久の乱

          身もこがれつつ 小倉山の百人一首周防柳著      その四

          歌札を院に献上してのち、水無瀬の離宮へ、院からのお召しを受けた。使者は速く速くと急き立てる。こういう時は遊宴の相伴だ、到着してみれば、怪しげな小舟が湊に停泊している。予想にたがわず都の白拍子や江口神崎の遊女を揃えて盛大なお遊び中、お気に入りの蹴鞠の名手を集めての蹴鞠の競演、白球を追った後は、水干を脱ぎ捨て前庭で水遊び。半裸で射的の大会。夜は琴、琵琶、笛、巧者による管弦の宴。翌日は雨もよいのため、室内で今様合が始まった。目もあやな白拍子が姸を競い、男たちは囃し立て艶姿を肴に朝っ

          身もこがれつつ 小倉山の百人一首周防柳著      その四