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想い出 その4 1958年

歌劇団は昨年の十二月十日に三十数名のメンバーで、第二回東南アジア公演に出発してバンコク、ベトナム、マニラ、香港を公演して四月十日に帰国。したがって春のおどりは、留守番組と私達本科生全員が出演しました。いよいよ研究生最上級生です。入学試験のお手伝いもしました。本公演の稽古が行われる期間、国際劇場は歌手のショウを公演します。期間は一週間で次のショウになります。この時期出演したショウの一つは、カリプソとメケメケ、カリプソのバナナボートをヒットさせた濱村美智子氏と、今もなおお元気で活躍している美輪明宏氏の合同公演。鮮明に記憶している若く初々しい美輪明宏氏の男女を超越した美貌、近寄りがたい雰囲気が漂っていた。同期のAのお兄様と国立音大で同級生であったという、息を吞む美貌の男子に会うのは後一人だけ。地方公演も経験しました、先ずは名古屋の御園座です。三波春夫ショウ。御園座は昔の芝居小屋とはこのようであったのかという形態をしていました。三階に宿泊出来る部屋と風呂などがある、二階に食堂がありそして一階に楽屋と舞台ですから劇場に入れば全て完結です。残念ながら火災にあい今は建て直して歌舞伎座に似た唐風の屋根ではありません。また近鉄ホールこの劇場は名古屋駅の隣だった記憶している。春日八郎ショウだったかと思ういます、舞台がはねると同期と町に出て屋台の味噌おでんを食べに行ったりした。国際劇場ではロカビリーのショウに出演、出演者は平尾昌晃氏、山下敬二郎氏、山下敬二郎氏は落語家柳家金語楼さんの子息、客席からテープが沢山飛んできて当たらないように踏んで滑らないように避けて踊るのに大変だった。秋のおどり、の開演前の一週間は、ポールアンカ、の初来日の公演でした、世界的なヒット曲ダイアナを引っ提げて、まだ十代であったというが大人の雰囲気があった。十一月の末沖縄公演がありました。同期が十数名参加しましたが私は補欠要員。まだ米軍の占領下なのでパスポートがいりました、私も欠員が出た時の為に、パスポートを取らされました。六十六年前のことその時のパスポートは記念にとってある。人生初のパスポート十七歳の素顔の私がいる。  その5へ



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