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想い出 その1 1956年から

昭和三十一年一月最後の日曜日の朝、松竹音楽舞踊学校の入学試験の為、築地の東劇に母と向かっていた。当時の東劇はレンガ造りの五階建て、その五階に学校があった。今は高速道路になった築地川に掛かる橋を渡ると、右に東劇がある、学校の入り口に沢山の人が溜まってた。急ぎ近かずくと、皆受験達であった。そこにいた係の人に、受験番号は何番と聞かれ、五十四番と言うと、階段を上がって先頭までいってねと言われ、階段には人が隙間なく、並んでいる中をごめんなさいと搔き分け、五階まで駆け上がり、控室で水着姿になると直ぐに呼ばれた。五人ずづ試験場に入りました。試験官の前に並び短い振り付けをされ動く。次は試験官の後方に歌詞が二曲書いて貼ってあリ、どちらかを選んで歌う、勿論一人ピアノ伴奏も就く私はローレライを歌った。あっという間に終わり翌日に発表、次の日曜日二次翌日発表、次の日曜日三次試験今度は踊リ歌って終わりではない、私服で面接がありました。バレエが大好きな私、十五の春[合格]した。
四月入学、同期は五十名出身地は九州、山口、愛知、静岡関東一円、十五から十八歳まで多士済々賑やかなでした。授業の内容、バレエ、声楽は、毎日ありました。日舞、タップ、演劇、英語、常識、楽器は三味線、ギター、ウクレレ、ピアノ。二年生になると、ジャズダンスとジャズが加わります。講師はバレエ佐藤ケイコ師、日舞花柳徳恵美、滝蔵師、タップ荻野幸久師、ジャズヘンリー倉田師、演劇は賀原夏子師、北村喜八師、松浦竹夫師、奥山師の新劇陣と新派の於島鈴子師、声楽は前川師、三味線杵屋一門、ギター、ピアノ、指導受けた先生方。錚々たる講師陣です。毎日夢中で過ごしていました。帰りは同級生と銀座三越の手前にあった[あずま]よって、当時珍しい小倉アイスを食べおしゃべりを楽しんだ、今は靴屋がある辺りです。午後声楽室に、歌の練習に草笛光子さん見えたりした、もうその頃は草笛さんは松竹歌劇団を退団し東宝に移籍していた。一年生の秋学芸会がありました、その時初めて舞台化粧を習いました。五六人のグループになってバレエや日本舞踊を振り付けをされて、舞台化粧衣装を付けて学校内にある舞台で発表です。その時に受けた演出は青山杉作先生です。学芸会は本舞台に出る予行演習です。ある日東劇に掛かっている松竹音楽舞踊学校の看板の前で写真を撮っているところに、女優の沢村貞子さんが通りかかりました。一緒に写真に入っていただけますか、声を掛けると快く承諾して下さり同期八人位だったと思います、沢村貞子さんを囲んで賑やかに写真を撮りました。沢村貞子さんの弟加東大介さんは戦前松竹歌劇団で日本舞踊を教えていたと聞いていました。   その2へ


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