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意図的に流す涙はすぐしおれ 自然な涙は花を咲かせる


金曜日の夜、オペラシティへ行き、音楽を聴いた。

バッハのカノン、モーツァルトのアイネクライネナハトムジーク、リストの愛の夢、サン=サーンスの白鳥、ドビュッシーの月の光、リチャードグレイダーマンの渚のアデリーヌなど、クラシックの名曲をバロックから現代までなぞるようなプログラム。

泣いた。

ところで

わたしは、音質が良いのか悪いのか、加工されている音なのかそうではないのかさえもわからないようなyoutube上に転がっている演奏を、通勤中の満員電車というお世辞にも心地よいとは言えない場で聴いているだけで、涙を流せる人間です。

(決して通勤することに病んでいるわけではなく、純粋に音楽に感動する)

そんなわたしが、音響の整った格式高いホールで生の演奏を聴けば、涙が流れるのは当たり前なのである。

iphoneから流れる音楽にだってどうせ感動できるくらい、わたしの情緒は鈍感。

それにもかかわらず、わざわざ音楽を聴くためにホールへ足を運ぶのはなんでだろう。

今日だったら言葉にできるような気がして、それでnoteを開く。


クラシックの名曲をなぞるようなその演奏会は、既に曲の展開を知っているから、安心して聴けるはずだった。

それなのに、今日は、次の展開が読めずドキドキしながら聴くはめになった。

だって

こんなに立派なホールにジャージを着て登場した彼女は、名曲演奏をBGMに、客席に座る我々にストレッチを提案するのだから。

その後、付箋の貼られた1冊の本を抱え腰の低い姿勢で登場した彼は、名曲演奏をBGMに短歌を詠むのだから。

おかしい。

今日は、オペラシティで開催される、コンサートなのだ。

だけどわたしは今、バッハのカノンを聴きながら、鎖骨周りの筋肉をほぐしている。

それから、ドビュッシーの月の光を聴きながら、短歌を嗜んでいる。

続けて2人は言うのです。

「情報過多な社会ですから、毎日1分でも3分でも瞑想を取り入れるといいですよ」
「瞑想って難しいと思われがちですが、実は簡単です。目を瞑って、自分の呼吸に意識を向けるだけです。こうして音楽を聴きながらやってもいいですよ」
「毎日少しでも自分自身をいたわって過ごしてくださいね」

「短歌と聞いて、古風な印象を受けるかもしれませんが、そんなことはありません。」
「短歌に触れること、短歌を創ることは、すなわち自分自身を見つめることです。」
「毎日少しでも言葉に触れて、内省すると良いのではないでしょうか」

連勤、残業続きの真っ只中、少しでも休まないと人事的に問題があるということで、それならばこの日にお願いします、と午後半休を頂いたこの日。

わたしは、音楽を聴きに来た。
いや、今日は、言葉を受け取りに来たのだった。


ヨガをしたり、ノートを書いたりすることで内省の時間をつくることは、わたしが日頃意識して積極的に取り組んでいること。

それから音楽は、わたしにとって、意識しなくても、もう離れられないもの。

まさにBGM的な存在というか。近すぎて意識しない、けれど、鳴ってくれていないと落ち着かない。

音楽を軸に、ヨガをしたり言葉に触れたり。

なんだかこの演奏会、自分の目指す生活、いや大袈裟にいうと人生そのものだと思って。

それから、2人の言葉がこんなにもすっと心に入ってくるのは、安心して耳を傾けることのできる「名曲」がBGMだったからこそだとまた驚く。これが例えばプロコフィエフとかスクリャービンだったらと思うと……。選曲のセンスも良かった。

気がついたら、わたしは泣いていた。


さて、音楽を聴くために、わざわざホールへ足を運ぶのはどうしてなのだろう。


それは、自分自身と演奏曲目の間に「自分の意思」が介在しないことによって、新しい体験を得られたり、まだ味わったことのない感情と出会える新鮮さがあるからだ、と、今日のところはこんな答えになった。

youtubeで音楽を聴くときは、意図的に曲目を選択する。

今日はラフマニノフの気分だから、ラフマニノフと検索しよう、今日は1楽章をスキップしよう、今日は2楽章だけ何度も聴きたいから、3楽章へ進まず2楽章をリピート再生にしよう、などと。

だけど演奏会を相手に、わたしの意思など無効力で、プログラムに抗うことはできない。

用意されている空間で、用意されている曲目を、スキップもリピート再生もせず、聴くしかないのだ。

聴く「しかない」という、ある種の諦めと覚悟は、YouTubeで音楽を聴くことよりも、忍耐力の必要な行為だ。

だけど、それは、毎度新しい体験や感情をわたしに運んでくれる。


そうして自然に流れる涙は、意図的な選曲でいわば人工的に流す涙より、絶対的に美しいと思うのです。

今回の演奏会では、フィットネスと短歌と音楽の融合という、新しい体験をわたしにくれた。

その素敵な演奏会は、わたしのよく知っている人、ピアノを通して出会った自慢の友人が、初めて企画から制作まで担当した記念すべきコンサートだったとのこと。

まさに、チルナイトな華金でした。身も心もほぐれてほろほろ。まさに角煮です。

31文字では表現できなかったので、長文になっちゃった。とにかくよかったよ、この演奏会とこの企画。

お疲れさま。また来週ね!

追伸 

タイトルは31文字にしたよ。
わたしの初短歌。笑

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