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映画考察『Momo모모』–曖昧さの美学

先日、『Momo(모모)』という韓国のショートフィルムを観ました。

(気になる方は予告編をぜひ見てみてください!)

15分という短い作品の中で、特に劇的なドラマが繰り広げられるわけでもありません。特に華やかなわけでもありません。でも、素朴な日常の中に見え隠れする寂寥感、温もり、美が魅力的です。

この映画を観て私が感じた、「曖昧さ」ということについて考察していこうと思います。

*本記事は映画の内容について語っています。

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映画『Momo모모』の概要

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題名:『Momo(모모)』(2016)
国・言語:韓国・韓国語 (英語字幕で観ました)
監督:Chang Yunjoo
出演者:Han Haein, Kim Yunha, Cha Liz
時間:15分
受賞歴:Taiwanese International Queer Film Festival 2017, Seul Pride Film Festival 2016, ShanghaiPRIDE Film Festival 2017

あらすじ

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物語は、モモという1匹のネコをめぐって、Sohee、Yujin、Areumという3人の女性の間で展開される。

ストーリーは、Soheeの元パートナー・Areumがドイツに引っ越すところから始まる。AreumはSoheeと別れたあと、彼女と飼っていたネコのモモを引きとり、一緒に暮らしていた。

しかし、モモをドイツには連れていけない。そこで、Areumが引きとり手として選んだのは、Soheeだった。

問題は、Soheeが現在一緒に暮らしているパートナー・Yujinが、モモの引き取りに反対したことだった。

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(上図:Sohee(左側・紺シャツ)とパートナー・Yujin(右側・白Tシャツ))

考察:「曖昧さ」

この映画で一番印象的だったのは「曖昧さ」である。

その「曖昧さ」は、カミングアウトの描写もしくはそれに相当する描写がないことによる。

この映画では、特に「カップル」「パートナー」「付き合う」といった言葉を使って3人の女性の関係性を説明しようとしていない。登場人物が自らのセクシュアリティを視聴者にカミングアウトするシーンもない。性描写もない。

映画サイトで、この作品が「レズビアン作品」「クィア作品」とタグ付けされていたり、作品のあらすじ紹介に「ガールフレンド」という言葉が使われていたりしなければ、観ているだけでは、この3人の関係性(元恋人・現恋人)を完全に決定づけることは容易ではない。

唯一この3人の関係性がうかがえるのは、AreumがSoheeと彼女のパートナー・Yujinが暮らすアパートの部屋にモモを届けに来るシーンである。AreumとYujinがアパートの部屋で顔を合わせるシーンで、数秒間2人の間に気まずい沈黙が流れる。2人は視線を合わせることなく、

Areum「Thanks a lot.」

Yujin 「It's okay.」

という短い会話を交わすだけ。

ここで、SoheeとYujin、SoheeとAreumがそれぞれただ同居している/していただけの友人ではないことが何となく明らかになるのである。

しかしその解釈は視聴者に任されている。

この「曖昧さ」を残した描写に私は美しさを感じた。

なぜか?その理由を次に書いていきたいと思う

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考察:「曖昧さ」とカミングアウト

異性愛恋愛や異性カップルを描いた作品では、カミングアウトという描写が登場しない。というよりも登場する必要がない。

なぜか?

それは、日本社会は異性愛が「あたりまえ」になっているから。

片思い、告白、キス、性行為のシーンがあっても、それは単純に恋愛・性愛の一部として捉えられ、カミングアウトの役割を果たすことは無いに等しいと言えるだろう。

しかし、同性愛恋愛や同性カップルを描いた作品では、それが変わってくる。カミングアウトがいつもくっついてくるのだ。それは、登場人物が自分の性的指向を家族や友人に明らかにする行為だけではない。

作品の中での片思い、告白、キス、性行為の描写のみならず、親密さ、スキンシップ、相手を「恋人/パートナー/彼女/彼氏」と称すること、パートナーと交わす日常の会話すら「カミングアウト」の役割を果たす。

それは、その人が同性を恋愛・性愛の対象にしていても、「カミングアウト」なしには、「異性愛」とラベルされるから。

「カミングアウト」があることで初めて、その作品は、同性愛を扱った作品として確立され、同性の2人組は、「同性カップル」として視聴者に存在を認められるのだ。

本来であれば、カミングアウトが無くとも、その人の同性に惹かれる性のあり方は、そこに確実に存在する。異性愛規範の世の中がそれを見えなくしているだけだ。

『Momo』という作品は、「曖昧さ」を通して、この本来のあり方を示しているような気がする。

作品内に「カミングアウト」という行為はない。

だから、彼女たちの愛、関係性は「曖昧」に見える。

しかし確実に、SoheeとYujin、SoheeとAreumというカップルの間には、愛が存在する(した)。彼女たちの、互いに惹かれ合う(た)性のあり方も存在する。

『Momo』は、「曖昧さ」を通して、ゆるやかに異性愛規範を壊している。

だから、この「曖昧さ」は美しい。

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『Momo』は、台湾発祥のクィア映像作品に特化した動画配信サイト、GagaOOLalaで無料で視聴できます!(18歳以上限定)

もし、興味があればチェックしてみてください:)


















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