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ローマ人への手紙4:23 〜 25★2022/11/16掲載分


デボーションガイド*ハーベストタイムより





【御言葉】ローマ人への手紙4:23 〜 25


23 しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、

24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。

25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。



《参考》




アブラハムと義認(7) 総まとめ

*6つのポイントの復習


ローマ4章全体の復習。
復活のイエスとの出会いが、パリサイ人だったパウロ人生を変え、神の恵みを説いた。


*義認と律法の関係の6つ

① アブラハムの場合(1 〜5 節)

ローマ人への手紙4:1-5 
1.それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。2.もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。3.なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。4.いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。5.しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。

アブラハムは、信仰によって義とされた(創15:6)

創世記15:6
6.四代目になって彼らはここに帰って来るでしょう。アモリびとの悪がまだ満ちないからです」。

ギリシア語の「ロギゾマイ」という言葉で表現される恵み。


② ダビデの場合はどうか(6 〜8 節)

ローマ人への手紙4:6-8
6.ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、7.「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。8.罪を主に認められない人は、さいわいである」。

ダビデを取り上げている理由は、彼が律法の時代に生きた人だからです。
アブラハムは、モーセの律法が与えられる前の人です。
律法の時代に生きたダビデも、アブラハムと同じように信仰によって義とされました。


③ 割礼(9〜 12節)

ローマ人への手紙4:9-12
9.さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。10.それでは、どういう場合にそう認められたのか。割礼を受けてからか、それとも受ける前か。割礼を受けてからではなく、無割礼の時であった。11.そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、12.かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。

ユダヤ人から出た割礼の疑問にパウロが答えた。
アブラハムは割礼を受ける前に信仰によって義とされたと説明。
ユダヤ人も異邦人もともに、信仰によって義とされる。


④ 相続人の約束(13〜16 節)

ローマ人への手紙4:13-16
13.なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。14.もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。15.いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。16.このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、

義認も、相続人の約束も、ともに信仰による。
もし律法によるなら、世界の相続人とされる人はひとりもいなくなる。
なぜなら、誰も律法を完璧に行うことはできない。


⑤ アブラハムの信仰の普遍性(17〜22 節)

ローマ人への手紙4:17-22
17.「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。18.彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。19.すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。20.彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、21.神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。22.だから、彼は義と認められたのである。

信仰の対象は神。
信仰の内容は神の約束。
アブラハムは、疑わないで信じた。


⑥ 私たちへの適用とは何か(23〜25 節)

ローマ人への手紙4:23-25
23.しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、24.わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。25.主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。

信仰の対象は神で、信仰の内容は福音。
人は福音を信じる信仰によって義とされ、相続人とされる。
この約束は、信仰と恵みによる確実。
一度救いを受けたら、失うことはない。



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