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サブカル大蔵経333大村一朗『シルクロード路上の900日』(めこん)

中国からローマまでひとりで歩いた記録。紀行文の中で最大のスケールでありながら最後まで半径1メートル的な描写を貫く。

たとえ目があってもニコリともせず視線を外そうともしない。何度も笑顔で手を振ってみたがあげた右手を虚しく下ろすしかなかった。【1日目.29キロ.中国.咸陽】p.15

歓迎されないスタートなのがかっこいい。

どんなに旅慣れた旅行者でもこの中央アジアではつまずいてしまうんですよ。p.262

アンドレがひとり民族大移動なら、本書はひとりユーラシア大陸大移動。各国でさまざまな体験をする著者の悩みも移動していく。

さて、なぜ歩く。【226日目.3483キロ.中国カザフスタン国境.チュンジャ】p.174

今回久々再読してみて、自分がしているこの連載に重ねながら読んでいました。

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誰もが俺にも一筆かかせろと言って、1ページずつ署名や激励分などを、好き勝手に描いてくれた。以来このノートは、私にとって宝物でありまた心強い味方だった。【7日目.193キロ.中国.長武】p.20

 シルクロード沿いに住む人の、旅人への視点。お遍路さんとは違うかな?

あなたはここに泊まったはじめての外国人であり、私にとってはじめての日本人の友達です。【27日目.535キロ.中国.カカレイ】p.32

 この従業員のセリフたまらないです。ここで旅終わる勢い…。しかし続く。

老婆は金ではなく私が飲んでいたジュースの空き瓶をくれと指差した。老婆はやはりぼそぼそと何かつぶやいては最後に謝々と言って頭を下げて回っている。しばらく見ていたが誰1人彼女を相手にするものはいなかった。【74日目.1463キロ.中国.貴国館】p.77

 こういう風景に出会うのが旅かも。

なぜ自転車なのかと言う問いかけに、彼は昨夜「ナチュラリー」とだけ答えた。私のように気負いや目的は無いのだ。【96日目.1824キロ.中国.ゴビ砂漠】p.100

 徒歩と自転車。

なぜあなた方はこんなにもよくしてくれるのか。それに対して李さんはただ「仏様が私たちを引き合わせてくれたのよ」と答えるだけだった。【142日目.2693キロ.中国.ウルムチ】p.133

 中国に仏教が生きている!しかもウィグルの国に住む漢民族が?よりどころになっているのだろうか。

どうしてッ?今度は私が慌てる番だった。それは私のために集めてくれた金だった。【278日目.4263キロ.カザフスタン.ブルノエ】/これがウズベクのやり方だ!それが受け取れねえってのかっ。【309日目.4722キロ.ウズベキスタン.ガリヤアラル】p.226.246

 カザフスタン、ウズベキスタン、著者に布施する人たち。

主人がとうとうボロを出し始めた。カバンを開けたのは子供がやったんだ。そう言って7歳の長男を指さしたのだ。だとしたら今日芽生えた父親への不信感を生涯持ち続けることになるのだろうか。【322日目.4863キロ.ウズベキスタン.カッタクルガン】p.259/中国に比べてここではあまりに人との諍い事が多い。なぜだろう。そもそも私が現れさえしなければ彼らは盗みを犯すことも人を騙すことも乞食のように金品をねだることもせずに済んだかもしれないあの少女は父親に泥棒のぬれぎぬを着せられずに済むだろうし、/来ないほうがよかったのか?【375日目.5845キロ.トルクメニスタン.ゲオ・テペ】p.302

 タイムスリップして、その時代の人たちにトラウマを与えた未来人のような描写。

10あるニュース項目のうち9つがトルクメンバシィ。【365日目.5787キロ.トルクメニスタン.アシハバード】p.296

 徹底のトルクメニスタン大統領。

兵士たちは私を車から下ろすと、こんなところで寝るのかと案じながら心配そうな面持ちで去っていった。【387日目.6171キロ.トルクメニスタン.シャルローク】p.309

 地元の人に心配されるデフォルト。

「君はもうトルクメニスタンを出国したんだ。新規のビザがなければ再入国は認められないよ。」私が入ることを許されたのは両国の緩衝地帯だけになってしまった。ここにいても水と食料に困らないことがわかってくると、イランにもトルクメニスタンにも属さない私は妙な居心地の良さを覚え始めていた。【406日目.6305キロ.トルクメニスタン国境.グドゥリオルム】p.317

 空港のこういう空間で暮らしてた人、映画であったような。

この国の人たちの持つ洗練さは何を意味しているのだろう。これまで歩いてきた民主的でない国々の物荒々しさのようなものがこの国では全く感じられないのだ。釣り銭をごまかしたり値段をふっかけてくる人はほとんどおらず、笑顔で近づいてくる人は純粋な好奇心以外の何物も持ち合わせていない。【420日目.6408キロ.イラン.テヘラン】p.335

 イラン、ペルシャ万歳!

ははあ、お前はシークレットなのが好きなんだな。【563日目.6882キロ.イラン.ホシケビジャール】p.355

 イラン猥談

起こしてごめんよ。僕にとって宗教とは地図みたいなものさ。おやすみなさい。【575日目.7114キロ.イラン.アルデビル】p.378

 ムスリムとの宗教論議。

なぜ突然、ただで乗せる気になったんだろう。考える間もなくまたドルムシュが止まった。驚いたことにその運転手も金はいらないと言った。【602日目.7651キロ.トルコ.ドーバヤジット】p.400

 トルコの乗合タクシー、ドルムシュ。

「仏教はブッダを神として崇めているだろう。あれはいかんなぁ。」トルコでは腰をすえた話になると、必ず話題は宗教の方へ向かう。その頻度はイランより多く、彼らはとにかくこの話題が好きだ。店主は切々とイスラムの優位性を説き始め、イスラムの不思議な逸話を紹介しては、仏教にもこんな話があるかい、とくる。/最後には、君はもっとイスラムについて学んだほうがいいねなどと言われて終わるのがオチだ。【619日目.7945キロ.トルコ.ウルジャ】p.411

 物語が宗教の中を生きている。知的。

トルコ人が繰り返し私に、トルコ語ほど難解な言語はこの世に存在しない、と自慢する。だから外国人がトルコ語を話すことなど全く期待していないし、私からトルコ語で話かけてもしない限り彼らの方から話しかけてくる事は滅多にない。こうした自分たちの言語に対する間違ったプライドと錯覚はまさに日本人と酷似している。【654日目.8513キロ.トルコ.ユンイエ】p.431

 世界の国の中で一番日本に近いのは、実はトルコかもしれません。

これほどまでに幸福で巨大な思い出を抱えて、自分はどんな気持ちで、その後の人生を生きていけば良いのだろう。【697日目.9211キロ.トルコ.イスタンブール手前キャンプ】p.442

 このタイムストップかけたい気持ち。この瞬間セーブしてとっておきたい気持ち。

ケバブのうまい店があるんだ。ガイドブックなんか載ってないよ。行ってみないか?メフメットだった。常習犯さ。4回捕まっている。うち3回は日本人相手だ。【729日目.9276キロ.トルコ.イスタンブール】p.452

 私もイスタンブールで騙されたことあるので、親近感持って読めました。

若い男で、なぜかブリーフ一枚しか身につけていなかった。彼らの言動、振る舞い、そして生活様式、他の全てが私を戸惑わせるほど粗雑で野卑だった。【753日目.9584キロ.ブルガリア.地図にもない小さな農村】p.484

 この辺り急にホラー。『悪魔のはらわた』か、ケッチャムか。

中心街にはスラブ系が住み、次にトルコ系、そして街の最も外縁にはチンゲネー。【761日目.9770キロ.ブルガリア.ラダノボ】p.493

 ブルガリアでのロマの呼称チンゲネー。

この村のこの一角だけがロマの居住区になっているのだ。【769日目.9953キロ.ルーマニア.ウリエステ】p.510「金持ちのジプシーの家さ。」【774日目.10063キロ.ルーマニア.ブルチャ】p.519

 一万キロ先で出会ったロマ、ジプシー。

私の額には大きなコブができ、ロマたちは口々に慰めてくれた。/物を乞うことが罪悪ではない。【777日目.10118キロ.ルーマニア.トランシルヴァニアに向かう渓谷】p.520・530

 石が投げられる日常。堂々バクシーシ。

イランと同じ感覚を持ち合わせてくれたこの国、そして私をまた旅の興奮の価値へと引きずり込んでくれたこの国を私は愛おしい。しかし同時に1日でも早くこの国を歩き終えたいと、心の全て終始願い続けていたほど荒々しい一面を持つ国でもあった。【794日.10482キロ.ルーマニア国境.バルシャンド】p.536

 ウズベキスタンの良さ。イランの気品。ルーマニアの蜂とロマ。この3カ国が本書のメインでしょうか。

野菜は路上で拾う。【ハンガリー】p.541

 急にのどかになってきました。

ロマやトルコ人などアジアの民族が入り乱れているわけでもなくイスラムの影響も受けていない、そしてトルコ人への遺恨すら持たないこの国にきて、私は初めて自分の旅がアジアと言うものから完全に切り離されていたことに気づいたのかもしれない。小さな喜びが日一日と積み重なる心安らかに歩ける国だとつくづく思う。p.570.578【826日.11050キロ.スロベニア】

 このスロベニアへの印象は、アジアからヨーロッパまで地続きで歩いてきたからこそ吐けるセリフだと思いました。

不意に甦ってくる情景があった。夏の旭川駅。【859日.11704キロ.イタリア.フィレンツェ.シニョーリア広場】p.607

 ゴール寸前でまさかの旭川駅登場。

これからは東西南北、自分の好きな方角へ旅立ち、降り立った土地で好きなことを始められる。ただそれだけのことが周りの景色をがらりと変えてしまうほど、私には嬉しかった。その時ようやく旅が終わったと言う現実と向き合えた気がした。【873日.11992キロ.ローマ】p.620

 自由という喜びと苦しみ。

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