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繊細チンピラが、思考の歪みを整えてハッピーになるまで。#1-1 〜自分の歪み特性を知る①〜

※このnoteは、繊細チンピラの私が思考を整え、ハッピーなるまでの奮闘記をお届けする連載マガジンです。
ぜひ、これより前のお話もあわせて読んでみてください( ¨̮ )

繊細チンピラをやめたい。

そう思いはじめた私は、まずは自分の歪みを知るところからスタートしようと考えました。
病気でも仕事でも、まずは症状や状況から自分の異常に気づき、原因を探し、解決していくものですよね。

私は30年近く生きてきて、物心ついたころからずっと漠然とした「生きづらさ」を感じてきました。

まずは、自分がなにに「生きづらさ」を感じているのか。
その「生きづらさ」とは具体的にどういうシーンで、どういう風に発動しているものなのか。

お悩み相談に乗るような感覚で、自分の「困りごと」を紐解き内省を行っていきます。

「内省」とは、簡単に言うと「反省」よりもさらに問題を深堀り見つめ直すことです。

このマガジンを書いている現在は、内省が少しずつ習慣化している途中ですので、すでに凝り固まった考え方が解れている部分もあります。

過去の自分に向けて、もしくは過去の私のように「生きづらさ」を感じている人に向けて、昔を振り返っていきます。

そして、これからお話する私の「歪み」は、きっと多くの人が実は心の奥底でひっそり抱えている、ありきたりな感情のカケラたちです。

闇の大きさ・深さは人それぞれではありますが、少しでも共感するエピソードがあった方は、ぜひ私と一緒に自分の「歪み」と向き合ってくれると嬉しいです。


①「こうあるべき」という執着心が強い

昔の私は、なにに対しても「こうあるべきだ!」という考えが異常に強い人間でした。
自分の中になにか定義があって、そこから逸脱することが許せないのです。

高校3年生の頃、私は吹奏楽部の部長を務めていました。

今では考えられませんが、当時の私は「部長とは常に明るく皆をリードするべき」という考えが強く、部員、特に後輩の前では泣いてはいけないというルールを自分に課していたのです。

しかし、思春期真っ盛りの多感な時期、しかも部活動という人間関係のいざこざも含め青春を凝縮した環境で「泣かない」なんてことは全くもって不可能。

どうしても涙が出そうな時はトイレに籠り、それでも上手くいかずに爆発して過呼吸を起こしてしまう……なんてこともザラにありました。

部活に限らず、私の「こうあるべき」思考は日常生活でも顔を出します。


できないこと・苦手なことは徹底的に潰すべき。

苦しいことにも逃げずに立ち向かうべき。
一度言ったことは、貫き通すべき。
大人になったら、人に頼らず自分の力で生きるべき。


そこから逸脱することは許せなくて、ここから外れることはただの怠惰だと思っていました。

これだけ聞くと、「なんだ、ただの真面目か」と一見長所のように感じられますが、問題なのはそれを人に強要したくなってしまうところです。

「前に〇〇って言ってたのに、どうして覆すの?」
「人に頼ってばっかりで、どうして努力しないの?」

自分は自分、人は人。
頭のどこかでそう分かっているはずなのに、心の中で勝手に腹を立てていました。

そもそも価値観というのは人それぞれ違うし、なにより人の気持ちや価値観は、その場の状況や環境に応じて変化していくものです。

昔の私はそれを理解できず、自分で勝手に決めた「こうあるべき」というルールの中で、他人も自分自身も苦しめていました。


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