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賢く麗しく孤独すらも突き放せば、


感染症はいろんな型に変化してまだまだ完全終息には程遠く、いい加減飽きたなあと思いながらも少しの恐怖を抱えながら、それでも今年こそはと色々と進めるつもりだったから年始からあれこれ取り掛かっていたらもう年が明けて二週間が過ぎようとしている。

時間を区切って日々を過ごすことの大切さをすごく感じていて、自分の感情をうまくコントロールする意味でも重要な役割を果たしている。日々を無傷で生きていくことは難しいからこそ心ない人からの言葉を投げつけられても気にしないように努力して前を向いて歩いている。


人と違うからかわいそう、という偏見は結婚だけに限らない。様々な視点から日常生活を生きる中であらゆる場面で自分に突きつけられる。
「もういいよ、うるせえよ」という言葉を何度も飲み込んで生きてきたわたしの気持ちを救いあげてくれて、心がじわりと掴まれて揺れて、涙のあとにはゆっくり背中を押される、そんな人生全体を映し出す映画だった。


「結婚しないの?」
「結婚したいと思わないの?」
「結婚したいと思う?そもそもその気もない?聞いてみたくて。」
「結婚して子供産まないなんて人間のクズよ」


これ全部いろんなシーンでわたしがぶつけられたことがある言葉だけれど、今なんの感情もなく冷静に振り返ってみるとただのアラサーに投げつけられる定型文であってそれ以上でもそれ以下でもない。
でもきっと、あのバカにされ侮辱されたような笑顔や冷ややかに見下された視線をわたしは密かにずっと覚えているんじゃないかな、と思う。別にそれは憎しみや執着ではなくて、そんな場面が自分の人生にあったなあといつの日か切り取って薄く思い出したりするような感覚で。


雨宮まみこと田中みな実が発する「うるせえよ」の5文字が最強で最高で、わたしはありがとうと心の中で何度もお礼を言った。
これだ、わたしがずっと言いたかった言葉は。言えなくて、それでも言いたかった叫びたかった言葉は。
「うるせえよ」の前後の言葉もわたしの見えない心の奥をぎゅっと握ったら出てくる言いたくて言えなかったセリフだった。流した涙はきっと代弁してくれた雨宮まみさんへの感謝だったと思う。

なんで?と問われても、そんなものなんでパクチー食べられないの?と言われて困るくらい曖昧な理由と自分の中で分かり切った理由と、そういうものがごちゃ混ぜになっているだけで、物事が大きく変革するときに理由が一つだけでないのと同じで簡潔に答えられるものではないということを理解してもらうのはやっぱり難しいんだろうなと肩を落とす。

雪乃が「結婚したら寂しさは消えるんじゃないのかよーー、あー、死にたい」と自転車で爆走したシーンもとっても印象的で良かった。
言いづらい言葉である「死にたい」という表現がしっくりきていて、そうそう、もう全部投げ捨てて消えたいって、死んだら全部終わるのになって、こんなことに悩み散らかすために生まれついたわけでも、生きてきたわけでもないのにどうしてどこを探しまくっても答えがないんだろうって、そんな何百という言葉にならない気持ちをまとめたら「死にたい」になる、のだ。

20代の時は「どんな人がタイプですか?」という質問なのに対して30代になると「結婚願望ありますか?」に質問の定型文が変わるこの日本の中で自分の気持ちといつも向き合ってどんなときもたくましく生きていくと決めることって実はとても重要なことなんだろうなと気付く。
自分を信じ抜くこと、自分の選んだものを信頼すること、きっとそれが出来ないとどこまでいっても幸せを感じ切ることが不可能であることをあと何度再確認しながら人生を進めていくんだろう。

今だってあらゆるものと毎日戦っている。
敵が多すぎて、倒しても倒しきれない、そんな毎日だなあと思う。
まだ引き戻せる、いやもう手遅れでしょ、そんな強さと弱さの一進一退な日々の積み重ねの先にどんな未来が待っているのか想像もつかない。

女性は年齢すら敵で老けないようにあらゆる努力をして、若いからと許されていたものを剥ぎ取られたあとに何が自分に残るのか、美穂が若さでしか手に入れられなかったものを全部捨てて最後にスマホをバイバイー!と川に投げ捨てたシーンは清々しくて気持ち良かった。
可愛くても、若くても、どこかでは終わりがきて、その時に自分に何が残るのか、残るものを自分で作り上げていくことが人生なのかもしれないです。


みんながみんな同じように幸せだと示されるテンプレートみたいな人生を歩むことは難しい。同じスピードで褒められるような人生を全員が歩めるはずがない。訴えたり叫んだりしたくなるけれど少数派は必ず負けることを知っているから最近は口を閉じることにしている。マイノリティはマジョリティに勝つことは想像を絶する以上に難しい。

人生なんて「こんなはずじゃなかった」との戦いが永遠と続いていく旅で、そこを毎回どのように乗り越えていくのかは、きっと自分らしさに繋がる。

わたしがわたしとして、産み落とされて必死に生きてきた今までを周りがいくら責め立てたとしても、軽蔑したとしても、絶対的にわたしだけはわたしを否定してはいけないんだろう。ありきたりな言葉だけれど、本当に自分の人生の伴侶は永遠に自分であって死ぬまで別れることができないからこそ大事にしてあげなくちゃ、と。


みんなズルくて寂しくて他人を羨んでそれでも自分をなんとか好きになりたくてきっと必死に生きている。だって足りないものを数えることは有るものを数えることよりいつだって容易いから。

雨宮まみさんの書籍は以前に何冊か読んでいて、「ずっと独身でいるつもり?」の他にも「女子をこじらせて」や「まじめに生きるって損ですか」もすごく面白かったです。
たくさんの悩みが重なってもう消えてしまいたいと思うくらいに落ち込んだ夜には、「死にたくなる夜のこと」いう雨宮さんのブログをお気に入りから引っ張り出して読んでいます。
まみさんはもうこの世にはいないですが、きっと最後までいろんな感情と言葉と戦い抜いたんだろうなと優しい文面から感じ取ることができるます。
言葉って、文章って、すごい。
わたし本当にそれがなくなると自分の思考や感情をどのように処理していいかわからないくらい、ふと読んだ本の中の一節やポスターや標語、そういうものが誰かの心に共感性をもたらせて救うのだから素晴らしいなと思う。


このままでいるつもりもない。
わたしにはわたしの未来が、わたしにだけの正しさが、あるんだよ。
なにかの有無や持物精査なんかで、その人のまばゆさや個性が分かるわけなんかないとそう信じられる世界が今から200年後くらいなら来るかもしれないな、とそう願って、たくましく生きていこう。

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