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ひとりぼっちになんかさせないでよ、



「あなたの方が毎日大変なのに今日は励ましてくれてありがとう。」




席についてパソコンを開く。
毎日の仕事のルーティンをこなす中で、なぜだかもう全部諦めて手放して泣きたくなった。
こんなところに、わたしがいなくても世界は回るし、わたしではない誰かが来ても困らない。
わたしはどうしてこんなところにいて毎日頑張っているんだろう。
結婚しているわけでもなければ、養わなければいけない家族がいるわけでもない。ただ、それでも生きていくためにはお金が必要で、引きこもりになるわけにもいかず、自分の中の繊細さを殺しながらどうして毎日ここにきて、みんなと同じように擬態をしながら働いているんだろう、そんなふうに思った朝に泣きそうになった。




涙の分だけ強くなれるとか、
傷ついた分だけ優しくなれるとか、
それって本当なのだろうか。

心のキャパシティや傷の度合いは一人一人違うけれど、きっと誰しも涙が止まらないような悲しみや苦しさを体験して、それと共に生きてきたことは確かだと思う。


例えば、今朝の通勤電車でわたしの隣に立っていたあの女性が本当は立っているのも精一杯で今にも崩れ落ちそうな哀しみを抱えていたとして、「おはようございます」「お疲れ様でした」と言葉を交わした上司がどうしようもない絶望を抱えていたとして、わたしがそれに気づくことなんてできるはずなかった。


どんなときだって、朝が来て、行くべき場所に足を運び、すべきことをして、誰にもぶつけられない想いや傷を抱えながらなんともないフリをして平常心を装って過ごす。
悲しいから、苦しいから、傷が痛いから、そんなことを理由で全てを投げ出せないような世界で生きていくしかなかったんだから。


それは別に涙を流して強くなったわけでも、傷ついた故に優しくなったわけでもなくて、ただただそうするしかなかったから。




心の想いは分厚いファンデーションで人には見えない。本当は傷だらけで包帯をぐるぐる巻きにしなきゃならないほどの血だらけでも、絆創膏すら貼れてないかもしれない。

傷はどこかでは癒える。薄くはなる。
でも忘れることはできないし、跡は残る。



「もうどうしよう泣きそう…」と更衣室に入るなりほろりと言葉をこぼしたときには、もう先輩の頬には涙が流れていた。



わたしは慌ててカシミヤのティッシュをロッカーから出して、「大丈夫です、大丈夫です。わたしはあなたの良さを、頑張りを毎日見ています。大丈夫です。」そう言ってティッシュを差し出すことしかできなかった。
チョコレートの一つでもあればよかったのに、そんな時に限って持ち合わせていなかった。


もっとうまく言葉を紡げたらよかったのに、
言葉を交わさなくても先輩が涙してしまう理由の一つくらいはきっとわたしと同じで、あなたの心が見えるような気がして、そんな安易な言葉しか出なかった。
間違っても「泣かないで」とは言えなかった。



その日はわたしも朝から泣きそうだった日で「大丈夫だよ」って何度も自分に言い聞かせて仕事をしていたからテレパシーみたいだな、と同じ感覚の人が同じ場所にいてひとりぼっちなんかじゃない、ふたりぼっちだって思った。


今の部署は若手が多く、同じ年代で話ができる女子が先輩とわたしの二人しかいなかったから、いつもお昼ご飯が被ったときに更衣室でたくさんの話をしてきた。


いつも絶対的に優しくいたい。
できる限り、人を傷つけずにいたいと思って接したいし、絶望に寄り添えるわたしでいたい。
傷つけられたことがあるわたしは、誰かを傷つけないために生きていきたいし、いつだって絶望と希望の間で揺れながら生きてきて優しさについてずっと考えてきた。
偽善者と言われるかもしれないけれど、「大丈夫だよ、わたしとあなたは同じ地平にいるよ。同じように汚れているけどこんなふうに思ってこんなふうに感じているよ」とそう寄り添いたいと思うだけで、偽善のつもりはない。



その日の夜に先輩からあなたの方が毎日大変なのに励ましてくれてありがとうというLINEが来た。
結局、なんの役にも立たなかったのではないかという思考を何度も巡らせながら帰路についたからその一言のLINEがとても嬉しかった。


絶望は絶望で終わるといけない。そこは思考停止の行き止まりで、どんなに潰れそうでもやり切れなくても、虚無感で立ち上がれそうになくても、絶望の中でこそ、バラバラになった胸の奥をなんとかもう一度かき集めて、10001回目を探さなきゃ。



優しくいたいな、と思う。
全員に届かなくても、こうやって何百回に一度わたしの下手くそな優しさが届いたのならそれは紛れもない希望だから。




大丈夫、ひとりぼっちになんかさせないよ。















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