コンストラクティブ・ジャーナリズムについて
11月27日から3日間開催されている「デモクラシーフェスティバル2020」にオンライン参加しました。私が参加したのは社会問題の解決に関する発信を行っているメディア「ideas for good」の回。
そこでのテーマが今回のnote記事のタイトルにもあるように、
「コンストラクティブ・ジャーナリズム」について。回ではコンストラクティブ・ジャーナリズムを始め、北欧の政治や選挙についてを知り、後半ではブレイクアウトセッションでアバウトに日本の選挙状況について意見を交わしました。そこで、今回は①そもそものコンストラクティブ・ジャーナリズムについて、②そしてここで話したこと、③話して考えたことについて書いていこうと思います。
・って何
このイベントで初めて知ったこの単語。直訳すれば「建設的な」という意味のコンストラクティブにジャーナリズムを付けたもの。「でもそもそもジャーナリズムって建設的じゃないの〜?」なんて思いつつ、主催であるideasさんの説明を聞いてました。
要は…
社会の様々な課題(気候変動や貧困、差別、紛争、政治家の汚職etc)を報道するだけでなく、それを解決するためにはどうすれば良いか、を聞き手に考えさせる報道のあり方をいうらしく。
考え方自体は北欧デンマーク発らしく、私的には「そうだろうね〜」と特段驚きませんでした。
民主主義が成熟した国としてあげられるデンマークでは教育の段階から、「あなたは何がしたい、何を考えているか」を問われることが多い。それは現地の国民学校である「フォルケホイスコーレ」に留学していた人たちから聞かされていたし、コロナ期間の民主主義に関するイベントやデンマーク教育についてのオンラインセミナー、ディスカッションイベントでも同じ様なことを知っていたから。
新鮮だったのが、それがジャーナリズムと結びつけられていることだった。実際ジャーナリズムと聞いて日本であれば、ジャーナリストという仕事があるし、一般に記者やメディアといった一部の人に限られるもの、という認識であろう。それと、国民全員に関係のある民主主義との間にどのような関係性にあるんだろう?
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少し逸れたけど説明に戻ります。
コンストラクティブジャーナリズムには、三つの柱があります。順に説明。
#01 . 解決策にフォーカスする
問題そのものではなく、問題に直面したときの人の対応の
仕方に焦点をあてる
#02 . 微妙なニュアンスまでカバーする
物事のさまざまな側面を見て、現状の複雑さを正確に伝える
解決策の良さだけでなく、その有用性の証拠も提示する
#03 . 民主的な対話を促す
念入りに研究された情報を伝え、読者が建設的に反応できるようにする
再現性のあるアイデアと洞察を提供する
この3つの柱を大切に、解決策や深層理解、対話を生み出す形が、
「コンストラクティブ・ジャーナリズム」であるということです。
これを聞いた時にパッと私が漠然と「新しいな、有用だな」と考えていた二つのメディアが頭に浮かびました。それが「No youth No Japan」と「Choose Life Project」です。
NYNJは主にインスタグラムで政治や環境問題についての説明をフィード投稿でしつつ、インスタライブではアクティビストや政治家の人と対談、そこでリスナーに意見や質問を求め議題を深めています。また、ストーリーのアンケート機能などで積極的にフォロワーの意見を活用していてまさにコンストラクティブ・ジャーナリズムを体現しているメディアだと思います。
また、実際NYNJのメンバーにも北欧留学の経験者がいるあたりに意識的な取り入れ方なのだと推察します。
そしてChoose lifeも同じくコンストラクティブ・ジャーナリズムの要素がかなり盛り込まれていると思います。メディア関係者やアーティスト、アクティビスト有志からなるこのメディアは主にYouTubeをメインプラットフォームとして活動しており、今知りたいニュースの話題から忘れてはいけない日本や世界の話題について発信しているメディアです。
YouTubeライブを用いており、こちらもユーザーの意見やコメントを積極的に取り入れています。また、Twitterで話題に沿ったハッシュタグを用いることによってユーザー同士の横の関わり、意見交換の場を作っているところも優れてるなと思います。
かつ、毎回のゲストの男女比であったり、思想・意見が必ずしも一致しない中での配信であるためそういった部分からも建設的な議論が行われているのではないかと思いながら見ています。
そしてこういったSNSや動画プラットフォームがある中で、Webメディアとしてコンストラクティブ・ジャーナリズムを実践、発信しているのが、「Ideas for good」。
ここで挙げたメディアの他にも、インスタグラムで社会問題について発信したり、オンラインイベントで発信してたりする人たち/団体はコンストラクティブ・ジャーナリズムを実践していると言えるし、ともすれば
「ジャーナリズムってみんなができる/やっても良いものなのでは…!?」と気づくことができました。
・選挙について思うこと
イベント後半は大きく「選挙」についてのディスカッション。
「若者が選挙に行かない」「選挙の仕組みについて」「どうやれば良い?」などなどをざっくばらんに話し合いました。
私が参加者数十人に投げかけた「選挙にポジティブな取り組みってオフラインなことが多いけどコロナでやりづらくなったのでは?どうすれば?」という質問に対してはうーんと考える人たちも見受けられましたが、「選挙行為自体はオフラインだから、普段入れないところが投票所になっていて愉しい感じにする」とか「そもそもあの厳かな感じ変えてみたらどうかな」などの意見がありました。
確かに私も初めて一人で行った選挙は体育館の四方八方からみられてる感が否めなくて箱に票を入れた後はそそくさと会場脱出したな…
その後は「投票率が上がったからといって政治や社会が必ずしも良くになるのか?」という問いから「投票の質について」の話題へ。
ブラジルは投票に行かないと罰金がある一方で、現在のブラジルの政治は偏りがありコロナに関する報道でも話題になっていました。
日本でも参院選に絡めて企業が割引をするなどしていましたが、そこでもかなり賛否があり。そういったファクトから、その方は
「質をあげて行かなきゃ」と仰っていました。
私もその意見に参戦しますし、選挙に行くことが目的なのではない。目的は社会・政治をよりよくすることであって選挙はその手段でしかない。
ただ私は手段でしかないこそ、企業の割引やYouTuberなどの呼びかけがきっかけで選挙、社会問題に関心を持ちゆくゆくは質の向上に繋げていくという長い目で見た質の向上が現段階の日本から見ると好ましいのではないかと考えます。
義務教育や高校で崩壊し始めている詰め込み式の教育に無駄な期待をせず、その外でいかにコンストラクティブ・ジャーナリズムの知見を持った人/コミュニティがそれを取り入れた上で社会や政治に関心を持ってもらえるような発信、アプローチをかけられるか、そこが落とし所であり、難しいところ。
問題意識を持った人たちがいかに多角的なベクトルから社会・政治に声をあげ、意識を芽生えさせていけるか。特に戦後日本は民主主義的なムーブメントで社会が覆ったことがなく、成功体験のなさが社会参加意識の低さであることもディスカッションの中で出ていました。
しかし、最近では数万筆のオンライン署名から緊急避妊ピルが薬局で買える様になる審議が始まったり、 #検察庁法改正案にーのムーブメントから改正案が撤回されたりと小さな変化は起こっています 。
ここから、いかに社会参加の普遍性を浸透させ、意見を許容し議論を深めていけるか。個人、コミュニティ、プラットフォーム、政治家、企業etc...様々な立場の人たちが政治・社会問題にコミットして初めて社会は前に動き始めるものだと思います。
過去の栄光にすがって、仲良しグループでジリ貧を黙ってみているより、
既成概念、固定観念のヒビから射す光に目を向けませんか。
一緒に立ち止まって問題・課題を見つめて考えて解決策を探る。
コンストラクティブ・ジャーナリズム、はじめませんか?
ごきげんよう。
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