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「月」を観た。

最初に実を言えば、観てからかなり時が経っている。
そして今だにどう感想を綴れば良いのか考えあぐね居ている。
この映画に対してどんなに言葉を並べても薄っぺらい偽善者の戯言にしかならない気がしている。
それくらいこの映画の攻撃力は凄い。
そしてある意味全ての人達にとって人間の善悪、性善、優生、倫理観、生きとし生けるものの死生観に於ける免罪符になりうる映画だと思う。

だいぶ時が経って思い返しても、やっぱり適切な言葉が見当たらない。
語るべき言葉をこの映画は奪ってしまう。
自分も時が経って冷静になってこの映画に対する明確な言葉が出ると思ってた。
でもいくら考えても思い返しても一向に言葉は出てこなかった。
寧ろもっと迷宮に迷い込んでしまう気分になってしまった。

他の方々の感想も目にしたり、分厚いパンフレットも熟読してみた(というか何故か途中で頓挫してしまった)
原作や事件のルポなども買ってはみた(まだ読み切れてはいないけど)
もしかしたら、それらの本を読み切ったりしたら明確な胸を張って言える言葉が見つかるかも知れない。
だからもう少し寝かせて置いた方が良かったかも知れない。
でもこの心の中に満ち切った灰色の塊を留めておく事がどうしても出来なくなってきた。
だから答えも何も出ない中、兎に角書いてみようと思う。

映画の内容や考察なんかは、別の方々の素晴らしい文章が沢山あるのでそちらを参照して頂きたい。

この映画の肝であるさとくんがある決断をするシーン。
施設の部屋に閉じ込められて糞尿まみれで悶える入居者を見た時、彼の心の中の何かが壊れた。
確かに衝撃的で人間の黒い部分に触れてしまうシーンだ。
でもやはり「こういう人を辞めてしまったモノは要らない」という決断になる事は最初から彼は壊れていたんだと思う。
そんな人間が出した答えなぞは正しいものではないのははっきり言える。
そして彼は「貴方心は、ありますか?」と障がい者達に問う。
そして答えられない者は「人間」じゃないと決めつけて、自分の価値観、倫理観で「要らないモノ」として処理する。まるで自分が神様か何かにでもなったみたいに。
処理する決断を決意してからのヒロインの洋子との対話でもさも倫理観ありありで「貴方だって彼らを要らないモノ汚いモノと認識してただろう?」と問う。
戸惑う洋子だが、明確に言う「あなたの判断は間違っている。断固否定する」と。
そこに真理は矢張りある。
「間違っているのは間違いじゃない!」「あなたは間違っている!」と。

だがしかし。
障がいを持つ人達(病いだとしても)を世間一般的な常識とされるルールの中で正しく正直に「綺麗で美しくこの世界で必要な者」だと胸を張って言える人はどれほどいるのだろうか?一瞬でも「面倒臭い」や「厄介」や「汚い」や「怖い」等と思わなかった人はいるのだろうか?と。

僕自身の体験の中でもそういう「黒い感情」というか、「自分だけが幸せなら良い」という気持ちや「同じ人間なのに理解出来ない行動や発言をする心の読み取れない人達に対する得体の知れない恐怖心」が無かったとは100%言い切れない。
それでも彼等と長く接して裸になってぶつかって根気よく付き合い続けたら「彼等も同じ人間で、なりたくてなったんじゃなく、辛い気持ちを隠して前向きに生きている」事に気付かされるし、そんな当たり前の事に考えが及ばなくなっている自分の思考に逆に恐怖を覚えた。
全ての人と分かり合えるなんて幻想だ。
これだけ思考の違う人達同士が同じ価値観で同じ思いで生きていくなんてあり得ないし、人に備わった「感情」とか「感覚」とか「感性」とか違うのこそ人間の価値感で動物界の中で文明なんてモノを築いて君臨している所以なのだろう。
だからこそ「心」が「知識」が「感情」が「言葉」が豊かであるから、それぞれがそれぞれを補いあって尊重し合い思い合って時には我慢をしてこの社会なんてモノを作ってきたんだろう。
「倫理観」なんてルールを作って更に「この複雑な生き物」の安定を模索したのだろう。
そうやって作ってきた人間としてのルールも「恐怖心」って奴は度々そのルールを脅かす要因になってしまう。
そこに生まれる「怠惰」や「優生」や「奢り」は人を安易と狂わせてしまう。

今のネット社会や毎日何処かで起こっている争いはみんな「恐怖心」が生み出したものだ。
光が差せば影が出来る様に、そのタブーとされる人に備わった「黒い感情」は無くなる事はないのだろう。
だから「イジメ」も「蔑み」も「差別」も「偏見」も絶対無くなる事はない。
誰もが平和や幸せを望みながら、それぞれの価値感の違いや欲望の違いで戦争を起こし何度繰り返しても止める事をしない。
それが人間だ。

でも忘れている。
感情が豊かだから人を思いやれる心もあるって事を。
考える知識があるから、最善の方法で最良の生を模索する事も出来るという事を。
想像力と理解力と読解力と助け合う愛情があるのも人間の強みで長い期間栄華を誇ってきた生命の神秘と種の繁栄と生存戦略術がある。
だから人は学び反省して更に新しく歩んでいける力があるんだ。

随分と脱線してしまったが、この映画の夫婦の決断に人間としての希望がある。
一度諦めた希望を諦めずに足掻いていけばもう一度歩き出せるチャンスと力はあるんだという事。
矢張り諦めずに「信じる」事。
単純ながら実にシンプルに。
だが、選択をちょっと間違えればそれは簡単に悪夢に変わる。
そんなあやふやさがこの世界にはこの社会には溢れている。
あの人は明日の君になりうるという事。
そして、「汚いものには蓋」の世界で考える事をやめてはダメだいう事。
自らに、この世界に、問い続ける事を辞めてはダメだという事だ。

「正しい」ってなんだ?
「間違い」ってなんだ?
「悪意」ってなんだ?
「幸せ」ってなんだ?
「個人と多数人」ってなんだ?
「欲望」ってなんだ?

今日も問い続けもがき続け生きていかなきゃならない。

答えのない答えを求めて続けなければならない。

それが「生きる」という事なんだろう。

そんな映画だと思いました。

だから是非沢山の人達に観てほしい映画だと思いました。
この痛みこそ「生きている」という事に気付かされるはずだから。

問い続けもがき足掻け!

なんかぶれていたらゴメンなさい。
今の自分には、このカオスしか見せられませんでした。

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