見出し画像

[理系による「アート」考察] アンディ・ウォーホル・プラットフォームによるオシャレ音楽としての"The Velvet Underground and Nico"(1967)

"The Velvet Underground and Nico"ですが、下のジャケットにもあるようにアンディ・ウォーホルプロデュースのアルバムです。

このアルバム考察の前に、自身がアンディ・ウォーホルをどう捉えているか、なのですが、芸術家というよりは芸術起業家と捉えています。

アンディ・ウォーホルが凄いのは、
作品そのものに作家本人のキャラを掛け算することにより、作品の価値は爆上がりする
を、発見・実践したことです。

だって、アンディ・ウォーホルのキャラ・背景(ウォーホル自身が意図的に作り出したものだと思われますが)を知らず、アンディ・ウォーホルの作品は素晴らしく価格も納得!、と言える人は意外に少なくないですかね。

世間的によく記載されているウォーホルの行動やスタイルは、作品のどこに価値を見出せばよいか分からない潜在顧客に対して、あの有名なアンディ・ウォーホルが作成したものなので凄いにちがいない!、と思わせることがアートにおけるビジネスの鍵である、というアート界におけるビジネス構造を熟知したうえでの行動と思われます。

ただ、ビジネスを理解していてなんとなかる甘い世界でもないので、作品には絶対的自信があるのはもちろんでしょうが、どちらにしても本人が注目されて作品を多くの人に見てもらう必要があるので、ウォーホルがとった作戦は今で言う炎上商法で、性・ドラッグ、な世間的にはタブーな面を表に出し、メディアに取り上げられやすいようにして注目を集める、と認識しています。さらに、当時のスーパースターとのコネクションを持つことで、アンディ・ウォーホル=すごいアーティスト、の肩書を得ることに成功し、自身の作品の価値をさらに高めたわけです。今で言うと、アンディ・ウォーホルというブランドを確立した、ということになります。

自身からは、アンディ・ウォーホルはアーティストというよりはアートプロデューサーに見えるのですが、結局、確立したアンディ・ウォーホルというブランドをさらに強固にするために、絵画以外の映像や音楽のフィールドにもチャレンジし、今で言うアンディ・ウォーホル・ブランドを利用したアートプラットフォームビジネスの確立を目指したのかなと

で、このアルバムですが、アンディ・ウォーホル・プラットフォームの音楽部門におけるアルバムと自身は捉えているのですが、一般的に言われている、ドラッグ・性、を匂わす歌詞は、自身はこれも炎上商法によるアンディ・ウォーホルブランド強化をねらったものかな、とうがった目線で見ています。

が、それに惑わされず、ピュアな心でこのアルバムを聴いてみると、歌詞も曲もとてもオシャレなのです。

オシャレな音楽、の定義は、自分の言語力では明確に出来ないのですが、強いて言うと、ウォーホルの絵のようなアートでオシャレでポップな音楽、となり、恐らくビートルズを除くと、オシャレな音楽という分野を始めて切り開いたアルバムと自身は捉えています。

また、音楽だけでなく、ジャケットにて、バナナを皮をはがせるようにしているのもオシャレで、でも性的なことはキープするところがなんともにウォーホルっぽくてにくいです。

オシャレ音楽でいうと、我々の世代からいうと"渋谷系"になるのですが、自身は"ピチカートファイブ"が大好きでした!、の個人的なつぶやきで今回は終わろうと思います。



この記事が参加している募集

私のプレイリスト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?