箱入り娘からの脱却
そもそも箱入り娘なのか。
はこいり‐むすめ【箱入り娘】
めったに外へも出さないようにして、家庭の中で大事に育てられた娘。
箱入り娘。
表面的に私を見る人は、表面上私のことをそう呼んだ。
果たしてそうなのか。
裕福な家庭の育ちではない。だからこそ両親は、礼儀作法など私が一人間として恥ずかしいことがないようしっかり教育してくれた。
小さい頃から親からの愛情は十分すぎるほど感じていたし、それは28歳になった今でも変わらない。
容姿についても、自分で言うのも何だが、小さい頃から周囲に可愛い可愛いと言われて育ってきた。
このことを箱入り娘と呼ぶのかどうかは分からない。
でも人は私を、色々な言葉で箱入り娘と呼んだ。
初めは嬉しかったが、次第に、私は箱入り娘なだけでいいのか、というモヤモヤとした疑問と孤独感が生まれるようになる。
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中学校へ入学した時にあるきっかけがあった。
周囲に可愛がられ、箱入り娘であると錯覚していた私の目を覚ましてくれたのは、小学校からの友人のある一言だった。
『俺はお前のこと容赦なくイジるからな、その方が面白いじゃん』
この様な感じだったと思う。
私が求めていたのはこの関わられ方だったのかもしれない。
表面的じゃない関係性。
見てくれていた人がいた。手を差し伸べてくれた友人。箱入り娘じゃない扱い方をされたことが嬉しかった。
それからは何かが吹っ切れたように、ただの大人しいいいこちゃんではなく、時にはいじられ、時には自分を通し、明るく自分を出せるようになっていった。友人関係も深いものになった。
表面的な部分ではなく中身を磨こうと思うようになった。
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きっと、ちやほやされたまま大人になっていたら、箱入り娘の仮面を被った傲慢な人間になってしまっていたと思う。
私を箱入り娘から脱却させてくれた友人に一度、
『あの時はイジってくれてありがとう。』等と、謎の感謝の気持ちを伝えたことがある。
友人は当たり前のことのように、まあな、と言っていた。
箱入り娘からの脱却。
傲慢な自分からの卒業。
私をしっかりみてほしい。
そう願っている人間は多いはず。
見極め、見極められ、箱から出られるように。
今度は私が。
箱入り娘だけど箱入り娘ではない私が、しっかり自分を持って相手に関わり、手を差し伸べられるヒトになりたい。