私が胸を張って誇れる息子の素晴らしさ、それは勉強でも運動でもなく…。
あれは息子が小学3、4年生くらいの頃、
学校から帰宅すると、朝来ていったTシャツではなく体操服を着ていた。
「汚れちゃったから」と言う息子に聞いた事情はこうだった。
隣のクラスのA君が習字道具を忘れてしまい、先生が息子のクラスに来て
「誰かA君に習字道具を貸してくれる子、いませんか?」と尋ねた。
でも、誰も手を挙げない。
A君は、別段嫌われているわけでもないのだが、まだ少し他の子に比べて挙動が幼く、それは例えば、普段指をしゃぶっていたりとかで、
つまり、子ども達の脳内では、『A君に貸すのはちょっと嫌だな。』となり、誰も貸そうとしなかった。
それで、「誰も手を挙げなかったから、僕が貸した。」のだそうだ。
その後、隣のクラスの書道の時間が終わり、返された習字道具を、今度は息子が書道の時間に使おうとすずり入れの蓋を開けたら、中から墨汁がこぼれ、Tシャツを汚してしまった。
どうやら、A君の習字道具の片付け方が甘かった為、処理されていなかった墨汁がこぼれてしまったようだった。
Tシャツの墨汁の染みは、さすがに頑固で、気にせず着れば?とも言えないくらいだったので、仕方なく処分することにした。
習字道具を貸したがらなかった他の子ども達が、この顛末を見越した訳ではないだろうが、きっと皆『貸さなくて良かった』と思ったんだろうなぁと想像し、
息子に何か言われたかと聞いてみた。すると、苦笑いしながら
女の子の友達に、「いい人過ぎるのも考えもんだよって言われた」と答えた。
小学生女子の、そのコメント力にも驚かされたが、私が一番驚いたのは
その後だ。
私は、苦笑いを浮かべた息子が『せっかくいい事をしたのに、わざとじゃないにしろ、損害を被ってしまった』ことで、ちょっと落ち込んでいるのかなと、
励ますつもりで、冗談めかして「もう次、A君が忘れても貸さないでしょ?」と尋ねたら、
息子は、「いや、貸すよ?」と言ったのだ。
「え?貸すの?!」
てっきり、「もう貸したくないわ〜。ははは。」と、笑い、
「まあでも、いいことしたね、偉い偉い!」と締めの言葉をかけて終わると思っていたのに、
予想外の返事が返ってきた。
「なんで?また同じことがあるかもよ?」と、息子の真意を推し量ろうとする私に
息子は
「次貸した時は、自分が注意して蓋を開ければいいんだよ。」
と、サラッと答えた。
そうくるか!!
私にはその発想は皆無だった。
次は向こうが気をつけてくれるだろう、と考えるくらいが関の山の私には、思いも寄らない言葉だった。
気をつけるのは相手じゃなく、自分。
マジか!
私なら、仲良しなわけでもなく、皆が貸さない相手なら貸したくないと思うし、
そこを親切に貸してあげたとしても、きちんと返してくれない相手には、もう貸さない。なんなら怒ってしまうかも。
自分の息子といっても、やはり別の人間。
普段、損得ばかりに囚われがちな私は、『この人、こんなに綺麗な心の持ち主だったのか・・・』と、ちょっと羨望の眼差しを向けてしまった。
このまま育ったら、いつか悪い人間に騙されてしまったりするんじゃないか。
ちょっとくらいの狡猾さも、この先の人生必要なんじゃないだろうか。
息子の綺麗な心に触れてすら、そんな心配がよぎるが、
いやいや、違う。これは諸手を挙げて褒めるところだ。
おそらく、テストで100点よりも、かけっこ1番よりも、
何よりも褒めるところだ!!
「すごい!あんたすごいね!そんな風に考えられるなんて、本当に偉い!
お母さんならもう貸さないって思っちゃうけど、あんたは違うね!
それはね、きっとものすごく素晴らしい考え方だよ!
もう、なんならお釈迦様レベル!!」
必死に、思いつく賞賛の言葉を浴びせ、興奮気味な母親に、少し当惑している息子の頭をガシガシとなでた。
この先、息子の人生の諸所で、様々な評価が下り、本人含め、周りもそれに一喜一憂することだろう。
学業、仕事、人間関係、その他諸々。
でも、私は、この時の感動を忘れないでいよう。
彼にどんな評価がされようとも、あの時、こういう気持ちを持てた人間であること。
それは、頭脳明晰であったり、運動能力に長けていたり、特別な才能に秀でていることと並べたとしても、遜色ない素晴らしさだと思うから。
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