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マミィファースト

こんにちは、アラカンのおかんです^^ コロナで経営していたゲストハウスのお客様がほぼゼロに😵日々悪戦苦闘しながらもほっこりしたものを書いていきたいと思っています😄

おかんは母と二人暮らしです。その母は、おかんのおかんですから、もう立派な高齢者です。「マミィ」はかあちゃんのことですね。今日はおかんの「マミィ」の辛口ストーリーです。

マミィはゴッドマザー

今でこそ穏やかな母も元気な頃は、我が家では頂点に君臨していました。母のひと言で全てが決まると言う感じでしょうか。家族は誰も逆らえなかったのです。それほど強かったんですね。父は仕事人間で、家庭や子供たちの教育のことは母に任せていました。

素足で旅に出る

小学生の頃のことです。理由は兄とけんかしたからか、母の言うことを聞かなかったからか、定かではないのですが「出て行きなさい」と言われ、玄関から無理やり外に放り出されていました。一度は靴を履く間もなく追い出され鍵を掛けられたので、素足のまま近所一周旅行をしたことがあります。

壮絶バトル

おかんが高校になると進学のことであるバトルが繰り広げられます。おかんは勉強の出来が悪かったので「もう受験は無理」ということで高校受験の時に、大学までエスカレーター式の学校に入学していました。そこはいわゆる「お坊ちゃん、お嬢ちゃん」学校で、おかんはどうもその温室的空気に馴染めませんでした。そこで別の大学に入りたいと思い予備校に通い始めます。ところが通っている高校から「このまま進学しますか」なるお伺い文書が届くと、母の態度は一変し、断固としてこのまま進学するように命じられます。「いやだ、受験する」「どうして言うことを聞かないの」という押し問答でした。小さな大学でしたので、このまま進学しても入りたい学部や学科がなく「それならば短大に行く」と言うとそれもだめで、学部や学科も言う通りに行くように告げられたのです。この時、母は切れて座っていたおかんの顔に向けて、分厚い百科事典の本を投げました。それは見事に命中して当たったのです。翌日、学校に行くと友人から「どうしたの、その顔?」と聞かれたおかんの顔は、はれ上がったうえに、こぶも出来ていました。そして母の力に屈してそのまま言う通りに進学したのでした。

母と娘

そんな母とおかんの関係は長い年月を経て、母が倒れたあたりから大幅に変更していきます。母を「強きゴッドマザー」から「一人の弱き人間」として見るようになったのです。生死をさまよった母に「守らなければ。できることは全てしよう」と決めました。母はもう以前の母ではなく「一番信頼しているのよ」とある時に話してくれました。今まで話せなかったことや「昔はこうで、こう思ってたんだよ」ってことも話せるようになったのです。それを思うとおかんにとっては、今の「母と娘の関係」は一番いい時と言えます。母が亡くなっていたらこんな機会はなかったでしょう。「母はおかんのために生きていてくれているのかな」って思う時があります。母にいろいろ心配をかけてきたおかんでした。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。スキやフォローもしていただけると励みになります。それではまたね。ばいばーい😃






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