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VINEGAR GIRLってどういう意味?

vinegarは勿論、お酢のことだけど「気難しい」という意味もあるらしい。

アン・タイラー作、『ヴィネガー・ガール』を読んだ。これは現代版『じゃじゃ馬ならし』で、シェイクスピアの原作よりも確かに状況がスッと理解しやすかった。

『じゃじゃ馬ならし』(原題は"The Taming of the Shrew")は、言うことを聞かない女性が手なづけられて従順な花嫁になってしまう喜劇、といったストーリー。

私自身、シェイクスピアが凄く好きなのだが本作については実は嫌いだ。
なぜなら、男性が女性に言うことを聞かせようとしたり、男性の言うことを聞かない女性を悪く書いているところが男尊女卑的だと思ったから。

するとヴィネガー・ガール作者のアン・タイラーも、で、嫌いだからこそ書き直すことにしたという。きっかけによくぞ!という気持ちになった笑
そのためアン・タイラー版では、女性をただ"激しい性格"として見せず、"自立した女性"としての一面を重点的に書いていて、好感を持てた。

今回、私が現代版に高評価な理由として、タイトルが秀逸であるところも挙げられる。
原作と同じく、vinegarで気難しい女性を指しているものの作中での諺でvinegarであることの良さを回収しているから。

諺はロシア語でも英語でもあるらしい。
まずロシアでは「優しい(sweet)な人間には気をつけろ。砂糖(sugar)は栄養がない」という言葉があり、アメリカでは「蜂蜜(honey)の方が酢(vinegar)より多くの蠅を捕らえられる」という言葉があるという。

日本にも「酸いも甘いも」といった言葉があるように、酸っぱいものは辛いものとかマイナスイメージがあるのが面白い(因みに私は酸っぱいものが好き)。

原作並びに本作では甘さのある妹(バニー)と酸っぱい姉(ケイト)という構図がある。
妹はいつも語尾が疑問系で曖昧な話し方、幼さを前面に出した所謂ぶりっ子女子。
対して姉はハッキリとした性格で自分の意見を臆せずにいうタイプ。でも大人である割に、世渡りする時にこれが邪魔をして社会的には自立していない。

姉のようなタイプが世渡りしづらいのは社会において、女性に求められている役割からズレているからであるように思える。
なぜなら妹も実はぶりっ子キャラ意外の面も持ち合わせていて、忌憚ない意見を言うシーンもあるからだ。
つまり妹はワザと自分の自立した一面を隠しているということで、あくまで自由を手に入れるための手段を選んでいるということ。

そう考えると融通の効かない姉は、よく童話に出てくる白馬の王子を待つプリンセスとそう変わらず、寧ろ妹の方が王子を自ら狩りに行くスタイルのように思える。
一見、姉の方が自立して見えるのが皮肉だと思った。

現代版の作品といえば、ほかに最近、山崎ナオコーラの「ミライの源氏物語」も読んだ。
源氏物語の中で男(主に光源氏)が今時嫌がられることをしでかしているポイントに切り込んでいっていて面白い。
昔はモテ男だったはずだけど、今だったら彼はダメかもって思ってしまう(それでも面食いならいいっていう意見はあるかもね)。
しかも章のタイトルが「マザコン」「ロリコン」とか笑

他には「ホモソーシャル」や「マウンティング」など、今でも話題になりそうなネタが源氏物語には詰まっていることに気が付かされる。
時代にそぐわない部分も多いけれど、まだまだ残る問題も作中に出てくるところが古典といっても読み継がれる理由の一つかもしれない。

しかしミライにはどうなっているのだろうか。
私の予想では平安時代の感覚が完全にズレることはない気がしている。ジェンダー問題などに進展があるとは思うが人が分かりあうことは難しい。

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