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ガンジス川で見つけた、私とあなたの心の「設計図」

【こんな方々へ向けた記事です】
・自分の事をもっと知りたい
・自分の性格や人間関係のことで悩みやモヤモヤがある
・心理学、脳科学、認知行動療法などの話に興味がある
・コーチングについて興味がある

茶色く濁ったガンジス川には、小さな小さな遺体が浮いていた。

ボートから離れていたのでよくは見えなかったものの、体の大きさから恐らく赤ちゃんのものと思われました。
数年前インドに旅行した際、小さなボートに乗ってバラナシの街からガンジス川を下った時の出来事です。ヒンドゥー教徒の多いインドではガンジス川は聖なる川とされていて、死んだら遺骨をガンジス川に流してもらうのが至上の喜びなんだとか。ただ幼児の場合は焼かずにそのまま流されるので、今回のように川を流れている遺体を目撃する事があるようです。完全に観光気分でいたところにいきなり遺体を目撃してしまったので、かなりの衝撃を受けたのは言うまでもありません。

その後訪れたマッサージ屋さんで、20才くらいの店員の女の子にマッサージしてもらいながら世間話をしていたのですが「さっきガンジス川に行ったんだけどね、子供の遺体が流れてたんだよ!」と興奮気味に伝えると、店員の女の子は「そうなのね」となんでもない事のようにニコニコしていました。

あまりに反応が薄かったので拍子抜けしつつも、そうか、ガンジス川近くに住んでいる人達にとってはそれが日常の一部であって、死という存在が私達よりも身近にあるんだな…と感じました。

インドのタージマハル!

死ぬ前に多くの人が後悔すること


私達が日々の暮らしを送る中で、死を意識する事ってあんまり無いのではないかと思います。一方、米国コーネル大学の研究や、多くの患者を看取ったホスピス医の経験によると、人は死の間際になるとこんな後悔の言葉を口にする事が最も多いそうです。

「他人の望む生き方ではなく、もっと自分らしく生きれば良かった」

死の間際で人生を振り返ると、多くの人は失敗してしまった事柄よりも、「自分らしい人生を送らなかった事」を後悔します。
けれど、生まれながらに身分制度のある国や、個人の自由が許されない国ならいざ知らず、なぜ自由を享受しているはずの私達が自分らしく生きる事が出来ないのでしょうか?



他人軸の生き方


考えられる理由は2つ。
一つ目は、他人からの評価を気にし、他人に合わせる生き方に慣れすぎてしまっているから。二つ目は、そもそも自分らしさが何なのかが分からないから。(これは一つ目の結果とも言えます)

誰もが一度は「アフリカの恵まれない子供たちに比べたら自分は幸せだ」とか、大変そうな境遇にいる人を見て「あの人に比べたら自分は恵まれている」と自身に言い聞かせた事があるのではないでしょうか?でも一旦心が慰められた気はしても、その効果は長くは続かなかったのではないでしょうか?
衣食住が満たされてさえいれば幸せが保証されるわけでもなく、「不幸じゃない状態=幸せ」、というわけでもない。

近年多くの有名芸能人が自ら命を落としてしまう報道を見ていても、美男美女であれば・お金持ちになれれば・人気者になれれば・有名になれれば、幸せが保証される!というわけじゃない事はハッキリしてきたと思うのです。

だとしたら、幸せって一体何なのか?

それはやっぱり、「自分らしさを知り」「自分を満たすこと」に鍵があるんだと思います。

心の設計図 『スキーマ』


私達人間の心の中には、認知心理学で「スキーマ」と呼ばれる、心の設計図のようなものが存在します。

例えば…

●私は無力な存在だ(だから努力し成長し続けなければならない)
●人には明るく優しく振舞わなければならない(そうしなければ愛してもらえない)
●私には欠陥がある(だから補わなければならない)
●私はどうせ独りぼっちだ(みんな私から離れていく)
●人から愛されなければ生きていけない(嫌われたら終わりだ)

といったようなもの。
これらは主に、幼少期に親や家族など身近な人々との関係を通じて形成されるもので、無意識に形成されるので自分自身で自覚することは困難ですが、これが常に自分が考え・動く時の「ルール」のようなものとして存在します。


スキーマの例


持っているスキーマが異なると、同じ出来事でも解釈が異なって来ます。

例えば「会社の廊下で上司とすれ違ったので挨拶したが返事がなかった」という出来事があったとします。

これに対して、挨拶に返事しないなんて非常識な!と憤る人もいれば、何か嫌われるようなことをしただろうか?と不安に感じる人もいれば、自分が仕事出来ないから挨拶もしてもらえないんだ…と落ち込む人もいれば、聞こえなかったのかな?と気にも留めない人もいるでしょう。


自分がどんなスキーマを持っているかは、様々な出来事に対して自動的にわく思考を観察すると見えてきます。
例えば「完璧にやりきらなければいけない」というスキーマを持っている人だったら。

●プレゼンの途中で緊張して口ごもってしまった→全体的には上手くいったものの、口ごもるなんてもう台無しだ…と落ち込む
●忙しくしていたら先輩が自分の仕事を黙って手伝ってくれた→自分の仕事のやり方がまずいから見かねて手を出したに違いない。自分はなんてダメな人間なんだろう、と悲しくなる
●友達の誕生日プレゼントを用意したが、届く日が1日遅れてしまった→当日に届かなければ何の意味もない…と自己嫌悪に陥る

といったように、様々な出来事に対して「完璧にやりきらなければいけない」というルールに基づいて解釈し、反応してしまいます。

幼少期に形成されたこうしたスキーマが、大人になってもずっと私達の中で思考の土台として存在し、その土台が無自覚に思考を生み出し続けている
このスキーマという思い込みのルールに縛られ、あるいは駆り立てられて、私達はむやみに自分に対して厳しくなったり、人間関係で苦しくなったり、現状に満足せず走り続けてしまったりするのです。
自分がどんな思考の癖を持っているのか、どんな思い込みに縛られているのか。
自分らしく自由な生き方を考えるにあたって、それに気づく事がカギとなります。

スキーマは書き換えも出来る


私自身、ずっと何かに駆り立てられるように「努力しなければ」「成長しなければ」「現状維持ではダメだ」…と動き続けて来て、それが正しい事だと思っていました。ただ時々、得体のしれない虚無感や不安を覚える事があった。
今考えると、「ありのままの自分では無価値である」というスキーマを持っていたんだと思います。(全く自覚はなかったけれど!)

スキーマというものは必要があるからこそ生まれるもので(少なくとも幼少期の当時は)、そういったスキーマがあるからこそ、自分を磨く努力をしたり、人と良好な関係を築く方法を身に着けたりするので、こんなスキーマを身に着けちゃって…!!と後悔する必要は全くありません。

ただ、もし今現在苦しみやデメリットの方が多く生み出されている気がする…意に沿わない現実を生んでしまっている気がする…自分らしく生きられていない…という状況であれば、より前向きなスキーマに書き換えて行くことも可能です。

(詳しくはまた今度書こうと思いますが、認知行動療法のワークブック付きの本を使って自分でスキーマを発見したり書き換えを行う事も可能なので、下に参考文献載せておきます!)

まず大きな一歩は自分の思考パターンに気づく事なので、いつも自分が出来事に対してどんな解釈をしがちなのか、観察してみることをお勧めします!


私達は常にスキーマという色眼鏡を通して世界を見ていますが、何しろ無色透明の眼鏡なので、もはや眼鏡を掛けている事にすら気づいていない状態。

自分で観察し気づくことが難しければ、コーチングの活用をお勧めします。
「質問」の力で初めて無意識の扉は開かれる。
それがコーチングを活用する意義です!

おわりに

インドのマッサージ屋では、その後、店員の女の子の恋バナに発展しました。

遠距離恋愛中の彼がいること。両親が彼との仲を認めてくれなくて悩んでいること…。私が旅行中にタージマハルを訪れた話をすると、「遠くてお金がかかるから難しいけど、私もいつか行ってみたいの」と言って笑いました。
女の子が話をするたびにマッサージの手が止まるので、マッサージ自体には全く集中出来ませんでしたが…。インドの女の子の恋バナが聞けて楽しかった!

終わってお会計を済ませた後、店長さんに女の子を呼び出してもらってチップを渡し、「彼と幸せにね!遠くから応援してるからね!」と手を握り合って別れました。

その後、彼女が彼とどうなったのか。
タージマハルに行くことは出来たのか。
それは、ヒンドゥー教の神のみぞ知る…

(それっぽくまとめてみました…)



★ワークブック付きの認知行動療法の本です!一人でもワーク出来るし、読みやすくておすすめ!


★こちらはご参考までに!

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