自分に向く目がどこから来るのか、知っていますか? 〜心理学の“投影”をまとめてみた〜
心理学でよく出てくる『投影』という考え方があります。
私たちが目にしている世界は全て投影である、と言われるぐらい、私たちの心理において肝となる概念です。
「人は自分の思考パターンや心の状態を世界や他者に映し出して見ている」という話で、イメージ的には自分の内部にフィルムがあって、それを映写機を通して世界に映し出したものを私たちは世界だと思って見ています。
黄色いサングラスを通して見ると全てが黄色く見える、と言うと更に分かりやすいでしょうか。
私たちは、ありのまま世界を見ているようでいて、必ずこのサングラスを通して見た世界を生きているのです。(もちろん無意識に)
今回、オードリー若林さんのエピソードがこの投影の件を説明するのに「めちゃくちゃ分かりやすい!!」と感じたので、ご紹介してみようと思いました!
それがこちら。
『ナナメの夕暮れ』というエッセイに登場する、スタバでグランデが頼めない、というエピソードです。
心理学的にみると、このエピソードには3本の矢印が登場します。
1️⃣自分に対する自分自身の目線
2️⃣自分から他人に対する目線
3️⃣他人から自分に向けられている(と感じている)目線です。
このケースの場合、恐らく自分は自分に対して「スタバでグランデと注文するのは身の丈に合わなくて恥ずかしい」「自分には見合わない」「自分はそんなオシャレな存在ではない」「バカにされうる存在だ」という自己認知をしています。
自分自身を取るに足らない存在と捉え、見下し、嘲笑していると考えられます。
(無意識です。)
そうなると、人は自分自身の思考や心の状態を他者に”投影“し、他者も同様に感じるはずだと考えるので、「自分でもそう考えるぐらいなのだから、他者も自分を見下しているはずだ」と捉えます。
そしてまた他者に対しても同じ基準でジャッジを下すので、「あいつ身の丈に合わないのにグランデとか言っちゃって」と見下すのです。
こうして、3つの矢印は全てイコールになります。
きっと誰にも身に覚えがありますよね。
“実際に誰かに言われたわけではないのだけど、そう思われてる気がする” “思われてるに違いない”と感じてしまう事。
心理学の他の要素も複雑に絡み合うので、常に必ずこの3本の矢印がイコールとして現れるわけでもないですが、基本的に自分の自分に対する態度と、世界や他者に対する態度は常に一致すると言われています。
自分を見下す人は、他者も見下します。
他者に対してこうあるべき・こうするべきという批判思考の強い人は、自分の事も同様にこうあるべきという思考で縛っています。
そして、自分が見下すくらい取るに足らない存在の自分は、当然他者からも見下されているはずだ、と感じるのです。
もし若林さんの例のように、人目が気になって生き辛いとか、自分への肯定感を上げたいとか、他者を攻撃的に見るのをやめたいと思うのであれば。
ポイントは、3本の矢印がイコールであるところにあります。
どれか1つでも緩めることが出来れば、必然的にどの矢印も緩まっていきます。
「他者からどう見られていると感じるか」という矢印をコントロールするのはなかなか難しいので、自分に出来ることは「自分に対する攻撃」の矢印と、「他人に対する攻撃」の矢印を弱めること。
こうあるべきと厳しく縛ったり、つい卑下したりジャッジしてしまう瞬間の自分に気づき、愛情をもって攻撃の手を緩めてあげること。
特に自分自身をいじめず尊重してあげて下さい。
自分を尊重出来るようになってくると、安心感と癒しを感じて他者に対しても自然と尊重の気持ちを持てるようになり、また自分は尊重されるに足る存在だと思えるので、他者からの愛情や評価も信じられるようになってきます。
加えて言うと、他者から攻撃的・批判的な言動を受けた時に、「この人は同じような攻撃的・批判的な態度を自分にも取ってしまっているんだなあ…」と考えると感じ方も変わってくるので、オススメですよ。
次回は、自分自身の中で無意識に抑圧している“シャドウ”と呼ばれるものを他者に投影している仕組みについてまとめてみます!
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