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才能には多様性があり、それぞれは共鳴し合う|『蜜蜂と遠雷』恩田陸

宮下奈都さんの『羊と鋼の森』で音楽を文学で表現する作品に魅了され、私が次に手を取ったのが恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』(古巣の社長 見城徹氏が著書で薦めていたから、という理由もある)。

Amazonのサジェストを見ても、結構多くの人が『羊と鋼の森』→『蜜蜂と遠雷』、あるいは『蜜蜂と遠雷』→『羊と鋼の森』コースを辿っているのだろう。音楽と文学の贅沢な王道散歩コース。

作品のあらすじ

舞台は日本で開催される国際的なピアノコンクール。一次、二次、三次、本選と進んでいく舞台で音楽と向き合うコンテスタントたち。

養蜂家の父を持ち各地を転々と旅する、ピアノを持たず音楽教育も受けていない天才、風間塵。かつては天才少女としてジュニアコンクールを制覇してきたが、母親の死去とともに音楽の日なたから消えた栄伝亜夜。楽器店勤務のサラリーマンで、働きながらコンクールに挑戦する高島明石。技術も音楽性もスター性も兼ね備えた優勝候補のマサル・C・レヴィ=アナトール。

作品は4人のコンテスタントに審査員の三枝子や、亜夜に付き添う音大の友人 奏、明石に密着取材する級友の雅美、ステージマネージャーの田久保、調律師の浅野と目まぐるしく視点を変えて進んでいく。

才能を持ったコンテスタントたちが一堂に会するコンクールで、本選に選ばれるのは、そして優勝するのは誰なのか。

多様な才能が天才同士を共鳴させる

天才は、才能の形は一種類ではない。この作品から感じたのはこれかもしれない。物語の主軸となる4人のコンテスタントはそれぞれに才能があり、音楽を愛している。

世の中にある多くの天才を描いた物語は、幼少期から天才と呼ばれた人間がときに挫折を味わいながらも確固たる地位を確立していったり、絶え間なく努力を重ねていき才能を磨いた結果天の才が表出したりする。そんなとき天才は孤高だ。

しかし、この作品の天才たちはそれぞれが異なる才能を持つ。そして彼らは孤高ではなく、互いに共鳴し合う。

ただ天才を描くのではない、努力を描くのではない。一人ひとりが才能を手に入れるまでの物語はできるだけ排除し、コンクール本番に焦点を当てることによって、ライバルの演奏に影響を受けてさらなる成長を遂げる「天才」を読者にみせる。

ただ、「音楽を文学で表現する」という点では、前に読んだ『羊と鋼の森』の私の中での評価が高すぎて、この作品に感動することはなかった。多くの読者レビューを覗いてみると第一に「文字で音楽を感じる」などと書かれているので、きっとそこに魅力を感じる人も多いのだろう。

自分が才能を見出せなかった音楽への憧憬

私がこれまでの人生で、唯一挫折したものがピアノだった。そのせいか、音楽の才能を持っている人を例外なく崇める傾向が私にはある。『羊と鋼の森』や『蜜蜂と遠雷』に食指が動いたのも、それが理由だろう。

きっともう一生私は音楽を鳴らすことがない。世界を音楽で切り出すこともできないし、「音符の群れを、広いところに連れ出して」(『蜜蜂と遠雷』ロンド・カプリチオーソより)やることもできない。

その分、自分ができる形で世界を表現することを諦めたくない。改めて気持ちを奮い立たせてくれる作品だった。


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