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そぼ降る雨が少女の体を容赦なく濡らしていた。 北燕山(ほくえんさん)の奥深く、 人も通わぬ 獣道で、少女は泥にまみれ 着物をひきずるようにして歩いていた。 杉木立が生い茂り、遠く近く 獣の鳴く声が響いてくる。 少女は足を止めず、ひたすら歩く。 よく見ると着物は ところどころ破け 長い髪も雨に濡れて 顔にべたりとはりつき そして その顔を見た者は 誰もが生気のなさに驚くだろう。 雷鳴がとどろいても 少女は足を止めない。 少女の視線が稲光をとらえた。 「
ドサッ! 弓に射抜かれた山鳥が 止まり木から落ちた。 北燕山(ほくえんさん)は 昨日の雨が嘘のように晴れ渡っている。 まさに狩り日和。 この山の奥に住んでいる大悟(だいご)は、 変わりやすい山の天気に嫌というほど 悩まされてきた。 雨や雪が続くと、父と二人じっとして空腹に耐える。 瓶(かめ)の水が底をつき、雨水や雪で飢えをしのぐ。 だからこそ、晴れた日は少しでも獲物をとり、 干物などにして保存しておく。 今日は父も樹林川(じゅりんがわ)に行っているはず
「敵か?」 今度は丈之介(じょうのすけ)が首を振る。 「気を失っているようだ。 寝かせてやりたいが、こう泥だらけではな」 丈之介は 大悟(だいご)をチラリと見た。 「わしが着替えさせる。後ろを向いてろ」 大悟がけげんそうな顔をした。 「女だ。見たことがないのだから、 わからないのも無理はないが。 おまえとそう変わらん年だろうが、 おまえは見てはならん。」 丈之介に言われて、大悟は後ろを向いてすわった。 父にそむくつもりはさらさらないが、 何故見てはい
夜を日に継いで、兵衛(ひょうえ)は 甘露(かんろ)の国に近づこうとしていた。 いくつかの峠や小山を抜けながら、 少しでも早く 少しでも遠く 来良(らいら)の国から 離れたかった。 海に囲まれた来良の国は 他国の者も出入りする 華やかな街だったが、今向かっている東の甘露の町は その影響が少なからずある。 甘露の国の北東に サライという他国民が多く住む土地があり、 港には常に異国の船が停泊しているらしい。 樹林川(じゅりんがわ)の海の注ぎ口にある甘露の町は、
「どうやって追いついたんだ? 俺は人の倍の速さで甘露にきたんだぞ」 「馬」 葵(あおい)がこともなげに言った。 やられた。 しかも葵の顔は静かに微笑みをたたえながら、 目は笑っていない。 「葵。あれはその、何だ。つまり・・・」 「つまり 私を捨てたってこと?」 怒っている。 葵が 怒っている。 「ち・・・違う。 葵を捨てるとか そういう問題じゃないんだ。 俺は ただ・・・」 「ただ、何?」 兵衛(ひょうえ)は言葉につまった。 手紙に書いたことは
大悟(だいご)がひろってきた少女は、気がついても まだ正気ではないようで、丈之介(じょうのすけ)が 薬草を煎じたり、野草を粥にして与えたりと 看病が続いていた。 大悟は今日も狩りに来ているが、身が入らない。 少女をひろって来た時、丈之介から聞いた話が いつまでも耳につき、繰り返し頭をよぎっていた。 それはまだ大悟が生まれる前の、 父・丈之介と母・桔梗(ききょう)の話だった。 北燕山(はくえんさん)を東に下ると 新城(しんじょう)という街がある。 その国は
しかし、もとより立っているのがやっと。 すでに手向かいする力などない。 桔梗(ききょう)は月を見つめ ひたすら祈った。 追手が まさに襲いかからんばかりに 迫った時だ。 月が追手に向かって光り、 三つ首の龍の姿になった。 光の龍は追手に向かって 咆哮するように襲いかかると、 追手はちりぢりに吹っ飛んで消え去った。 そして その光は、桔梗と丈之介(じょうのすけ)を 包み込み 光は吸い込まれるように 桔梗の太刀に 飲みこまれた。 「探したぞ、桔梗。 三
桔梗(ききょう)が答えると、洸綱(たけつな)は ひざまづき二人の子の手をとった。 小さな兄弟は身を硬くしてにらんだ。 「良い目をしておる。さすがは涼原(すずはら)の 血筋だ。わしもな、娘が生まれた。 葵(あおい)といって、下の大悟(だいご)と同い年だ。 そうだ、わしの娘と どちらか めあわせよう」 「兄上、このような幼き者に おたわむれを」 洸綱は 立ち上がった。 「本来 丈之介の身分であれば、この縁組は 叶うまい。 だが、あの負けいくさの後とあっては仕
馬を奪った兵衛(ひょうえ)は、そのまま 東の北燕山(ほくえんさん)に逃げ込んだ。 北東のサライに行くつもりだったが、 サライではまたすぐに葵(あおい)に 見つかってしまいそうな気がしたからだ。 しかし、獣道にさしかかり、馬では無理と 悟ると、あきらめて馬は逃がした。 馬と別れて何日かが経過したが、 山道に入りこんだ兵衛は、 行き先を見失っていた。 しかも空腹が襲いかかり、 やがて座り込んでしまった。 ぼんやりと草むらにうずくまっていると、 何かが動く
その嘲笑うかのような兵衛(ひょうえ)の眼と 少年の眼が交差した時、少年はカッと目を見開いた。 「おまえ、やる気だな!」 気がつくと兵衛は少年に突き飛ばされていた。 兵衛はすぐさま太刀を抜き、臨戦態勢に入った。 少年もゆっくりと腰の太刀を抜いた。 兵衛はジリジリと間合いを詰めてゆく。 ヒュンと音がして、ガチッと太刀が触れあった。 兵衛が振り下ろしたのを、少年が止めたのだ。 だが、戦いは兵衛ペースで進んでゆく。 少年はただ受け身をとるのだけで、精一杯だ。 二
「それは、わたくしの・・・。お返しくださいませ。 母の形見にございます」 「母の形見・・・」 丈之介は その鍔(つば・刀の鍔)をしげしげと見つめた。 「この鍔は わしが作ったものだ」 少女が驚きの目を向けた。 丈之介は 鍔を見つめたまま 少女に問う。 「母の・・・名は?」 少女は うつむいた。 「言えぬか。では、もうひとつ。わしは菊葉(きくは)殿を着替えさせた。 これがどうゆうことか わかるな」 丈之介が顔を上げた。 「事情を聞くには、やはりこちらも名
新城(しんじょう)の城の天守閣でイライラと動きまわる男がいた。 いかにも殺気立ち、憎しみを爆発させんばかりに、 悔しさが充満する空気が、今の男を象徴している。 バタバタと走る音がして、階段を登って来た者がいる。 「定継様、見つかりました」 男・三つ口定継(みつくち さだつぐ)はピタリと足を止めた。 「菊葉(きくは)か?間違いないか?」 登って来た家来は 深くうなずいた。 「そうか、やっと見つかったか。 おのれ菊葉め、娘と思い育ててやった恩を仇で返しおって。
最初に着替えさせた時から 気づいていたことだ。 しかし、菊葉(きくは)のふところから、 桔梗(ききょう)に作ってやった鍔(つば・刀の鍔)を 見つけた時、事情がわかるまで、大悟(だいご)には話すまい、と決めていた。 「生まれた時に男では殺されると思い、母が偽ったのです。 十三年間、女として育てられました。 しかし、母はこれ以上 城にいれば 必ず男とばれる時が来る。 その前に ひそかに わたしを逃がしたのです。 その鍔は もし身内の誰かに生きてめぐり逢えた時のため
「おやじ、雁崖小僧(がんぎこぞう)の群れに 囲まれている」 おびただしいほどの大量の雁崖小僧。 彼らは樹林川(じゅりんがわ)を住みかとする妖怪で、 体中がウロコでおおわれて頭に皿がある河童の仲間だ。 だが 普段は人と交わることなく 静かに暮らしている。 「大悟(だいご)、火のまわりが早い。出るしかない!」 丈之介(じょうのすけ)が叫ぶのと ほぼ同時に 大悟と菊葉(きくは)をともなった丈之介は、 外に飛び出した。 時 同じくしていっせいに雁崖小僧が飛びかか