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過剰生産の果て

わたしたちが毎日必死になって作り上げているもの。それは、たいていこうした形で毎日大量に捨てられている。

こうした現実があることを日本にいるとなかなか目の当たりにすることはないのかもしれないが、実際にこうしたことを目の当たりにすると、一体自分は何を作っているのか?と思うようになる。

良いものを作っているとそうおもっていても、それは意外に単なるゴミだったりする。

スーパーや、洋服店などへいっても、多量に売れない服や装飾品があちこちにあふれている。

こんなものを作って誰が買うのか?誰が、こうしたものを心から必要としているのか?それさえもわからないものが大量に陳列棚に並んでいる。

人間っていうのはいつからか、本当に必要なものを作るというよりも、自分の利益の為にものを作るという考えを持つ様に代わってしまった。

売れて金になれば何でもいいから、とにかくいろいろ作って売ってみよう!売れなかったら、処分すればそれでいい。

こうした考えが、上の写真のような悲劇を生む。

海外では、こうした安易な考えのもとに作った大量のごみが投棄されている。そしてその上を毎日裸足で何人もの子供が歩いて、その中からわずかなお金になるものを探しさまよい歩いている。

こうした現状を私たちは本当に知っているといえるのだろうか?

何もかも奪われ、他国からやってくるのは先進国の出した多量のゴミ。

彼らは毎日この多量のゴミの上を歩く。

こうした彼らの事を少しでも想像することが出来る力があるのなら、わたしたちはもっと自分たちが生産するものに対して責任を持つことができるようになるんじゃないかと思う。

自分が作り出したもの、生産したものが一体どうなっているのか?それを最後まで自分の責任において見つめ続ける力を持たないといけないと思う。

自分が作り出したもの。それがどうなっているのか?どのようなプロセスを経て今現在どのような形になっているのか?どのような位置にとどまっているのか?

そこまでしっかりと想像することが出来なければ、わたしたちは安易にものを生産する権利など持つべきではないと思う。

安易な金儲け主義の人間が、地球の裏側で多くの人の人生を苦しめ、そして彼らを貧困に陥らせている。

実際にある現状を何も知ろうとしない。何も見ようとしない。何も聞き入れようとしない。こうした頑なな態度が、こうした不幸の連鎖を生んでいる。

わたしたちは今一度、自分が何のために生産しているのか?自分が生産しているものは何のためのものなのか?という事をよく考えるべきだと思う。

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