「あなたがしてくれなくても」に見る人間心理part2
こんにちは、マインドアナリストの美月詞葉です。
今日もこのドラマの人間心理を私なりに書いていこうと思います。
このドラマを見ていると、人というのは本当に自分自身に向き合う事が難しい生き物なのだなとつくづく感じます。
今ある自分を徹底的に否定していく、今を肯定しないで自分の在り方を徹底的に否定していく。これがなかなかどのキャラクターも出来ていない。
自分の在り方を自己反省的に見るといことがなかなか出来ないために、どのキャラクターも皆、自分が見るべき、向き合うべき問題を他人に転嫁する。
人間皆、自分に都合の悪いことは見たくないという事になる。
自分はこれまでちゃんとやってきた。そんな自負の様なものが誰にでもある。だから、そんな自分の在り方を今更否定することは出来ない。
これまで、自分はこうした形でやってきた。ならば、その形を肯定して生きていくしかない。自分にはこうした生き方しかできない。だから、その生き方を相手にも受け入れてもらう。もし、それが出来なければ、互いの関係は破綻する。
昨日もドラマを見ていて思ったけれど、私を含め、人間ってのは本当に自分を譲るという事がない。どこまでも、これまでの自分の在り方を貫こうとする。
ここで自分を押し通して貫いてしまったら、絶対にうまくいくはずがないという事はどこかではわかっているはず。でも、そうした心の声には皆、耳を傾けようとはしない。
たえず、そうした声はどのキャラクターの中にも流れて聞こえているはず。でも、彼らはその声を無視し続ける。
こっちに進んだら、絶対に良い結果は得られないとそうわかっていながら、私たちはなぜか、破綻の道にあえて入っていこうとする。
このドラマを見ていると、本当にどのキャラクターも痛々しくてどうにもたまらなくなる。
皆、自分を傷付けたくなくて、自分を守ろうと必死にもがいてる。でも、実際には皆、その自分を自分で傷付けるような選択ばかりをしている。
こうしたドラマを見ていて思う事は、人間とは本当に矛盾している生き物だという事。
傷つきたくないのなら、自分を守る行動をとればいい。それが客観的にドラマを見ている私の個人的な見解だけれど、ドラマの中の本人たちは、なぜか、自分を傷つける方へと、破綻の道へと自分を追いやる。
私はマインドアナリストという仕事をしているので、そういった目でこのドラマの人間模様を見ていると、彼らは自分のパートナーがいながら、他の人にその自分の心が移ったことに対して、自分では絶対に気づくことが出来ないとんでもなく深い罪の意識をどこかで持っているのではないかと思ったりする。実際問題、彼らは罪の意識にさいなまれて苦しんではいるが、その罪の意識は彼らが感じている以上に深いと私は見ている。
この自分のパートナーに対しての裏切り行為、ずっとパートナーと向き合う事が出来なかった自分に対して彼らはどこまでも悔やんでいるし、そんな自分を徹底的に責めている。この自分に対する責めの行為は当人たちが思うよりもずっと深く無意識の領域に影響を与えている。
だから、彼らはどこまでも破滅的な道を無意識的に選ぶ。本当は誰にだって幸せになる権利はある。でも、彼らは自分の中にあるこの自分のパートナーと心を一つにできなかったことに対してどうにもならないくらいの罪の意識を持っているために、どうしても自由になる事が出来ない。この時点で彼らの行動や思考、意志を規定しているものは自分の中に強烈に抑え込んだ無意識という事になる。
罪の意識というのは、いつでも人を縛り付ける。
こうでなければいけない、ああでなければいけないとあまりにも、完璧すぎると、このドラマのキャラクターたちの様に、段々と息が出来なくなる。苦しくていられなくなる。
彼らが何故、幸せな道を選ぶことが出来ずに、常に破綻の道を選ぶのか?それは何度も書くけれど、やはり他者に対する罪の意識が関係しているものと私は思う。
ひかれあう二人が一緒にならない理由。それは二人ともその背中に大きな罪という十字架を背負って生きているから。自分はとてつもなく大きな罪を犯した。だから、幸せになんてなってはいけない。こうした心に背負った十字架が、彼らをどこまでも苦しめる。
罪というのは、いつの時もそうだけれど、本当に人の心を拘束し、自由を与えない。このドラマもそうだけれど、まじめな人間ほど、この罪の意識を深く、そして重く背負いすぎる。そして彼らは精神的に深い部分まで落ち込んでいってしまう。
私は不倫を推奨するわけではないけれど、こうした罪という十字架を背負い、何もかも自分の生活のその全てに制限をつけて生きている人のサポートに、自分の仕事をもって少しでも寄与したいと思っている。
心の健康、それが何よりも大切。自分の心に嘘をつき続けることほど苦しいことはない。
何故、自分の心に嘘をつくのか?どうして本当の思いがあるのに、それを体現しようとしないのか?その背後にはいつも何らかの罪の意識が隠れている。そしてその自分の背負った罪の意識が、自分の何もかもを食い尽くしていくのだと思う。
私のクライアントも、自身にずっと罪の意識をもって生きている人が多くいます。でも、その罪の意識から解放されない限り、私たちが真にその心に自由を得ることは出来ないのだと常々感じています。
このドラマをから私が得た学びははさにこれです。
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