Mizuki

ビーチスポーツ「フレスコボール」に魅了され、2020年、結婚を機に海の近くに移住しまし…

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ビーチスポーツ「フレスコボール」に魅了され、2020年、結婚を機に海の近くに移住しました。プロ野球球団→スポーツメーカー勤務。

マガジン

  • 「RALLY & PEACE」

    FRESCOBALL MAGAZINE 「RALLY & PEACE」 なぜあの人はフレスコボールを始めたのか、どんな想いでフレスコボールをやっているのかーー。 フレスコボール関西Gremio VENTOで活躍するプレーヤーを中心に、想いを聞きました。‪

最近の記事

楽しむ「勇気」 -マイナースポーツの競技と普及 -

一番楽しい賞先月、香川県にて四国初のフレスコボール全国大会 #フレスコボール #アリアケカップ が開催されました。 私たちの結果: ファッション賞 ! フレスコボール協会様大会レポート ラリーだけでなく衣装や演出にも工夫して盛り上げたペアに贈られる、言わば「一番楽しい賞 」です😘 「楽しもう!と決めていたので、一番楽しい賞がいただけてよかったです」とインタビューで話させてもらいました。 今回の大会は、実は「楽しむ勇気」を持って臨んだ大会でした。 劣等感去年から大会

    • 【フレスコボールマガジンRALLY & PEACE】 岸田直也[2]

      教えること2019年ミウラカップ、山下祥選手とのペアで男子年間最高得点で優勝を飾り、ミックス部門・小澤彩香選手とのペアでも見事優勝を飾った岸田。フレスコボール界にどんどん頭角を現しはじめていた。 「大会1ヶ月前から禁酒、1週間前からは7時間以上睡眠を確保。夏場でもしっかり炭水化物とタンパク質を摂ることを意識しています。メンタル面では、なるべく1人にならず仲間と話してリラックス。大会前夜には、ラケットを白色のグリップテープに巻き直します。汚れが目立つ色ですが、白は気持ちが落ち

      • 【フレスコボールマガジンRALLY & PEACE】 岸田直也[1]

        それぞれのフレスコボールに対する想いを語っていただく、フレスコボールマガジン「RALLY & PEACE」。第5弾は、日本代表・岸田直也選手です。デビューから約1年で日本男子部門優勝、約1年半でブラジル選手権ミックス部門準優勝。その強さの根底にあったのは、曲がることのない信念でした。 出会い岸田直也のルーツは、高校1年生からはじめた硬式テニス。高校卒業後も働きながら関西各地の多数のサークルに所属し、社会人テニスプレーヤーとして充実した日々を送っていた。2018年の夏のある日

        • プロ野球アカデミーで最後に担当した選手たちの、最後の夏。

          2014年。私は、とあるプロ野球球団で、「アカデミー」の事務局の仕事をしていました。アカデミーとは、プロ野球OB選手の方がコーチとなり、子ども達に野球を教える野球塾のような場所です。 私がいた球団でも、柔らかいボールを使って野球に親しむような活動/少年野球チームに所属する子どもたちがプラスアルファとして通う野球塾/プロ野球選手も多く輩出している12球団ジュニアトーナメント選抜チーム など、幅広く活動していました。今ではほとんどの球団にアカデミーとジュニアチームがあるくらい

        楽しむ「勇気」 -マイナースポーツの競技と普及 -

        • 【フレスコボールマガジンRALLY & PEACE】 岸田直也[2]

        • 【フレスコボールマガジンRALLY & PEACE】 岸田直也[1]

        • プロ野球アカデミーで最後に担当した選手たちの、最後の夏。

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        • 「RALLY & PEACE」
          10本

        記事

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】 杉村秀樹[2]

          新しい風フレスコボールのプレー2日目にして、いきなり女子日本代表ペアとのラリーを打ってもらうことに成功した杉村。それから約1週間後、ふたりに紹介してもらった「フレスコボール関西 Grêmio Vento」の体験会に大学の友人とともに足を運び、多くの選手とのラリーやミニゲームを楽しんだ。 「いつでも、どこでも、誰とやっても楽しいスポーツだなってこの日実感しました。僕だけじゃなく一緒に行った大学の友だちも楽しんでくれたのが一番嬉しかったです」。 自分が楽しみ、そして他の誰かが

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】 杉村秀樹[2]

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】 杉村秀樹[1]

          それぞれのフレスコボールに対する想いを語っていただく、フレスコボールマガジン「RALLY & PEACE」。第4弾は、フレスコボール以外にもベンチャースポーツの普及に精力的に励む杉村秀樹選手です。杉村選手の行動力・発信力の根底にあった、熱い想いを聞きました。 すぎちゃん@フレスコボール杉村秀樹、大学4年生。SNSを活かし、フレスコボールの情報発信のみならず、多くのスポーツパーソンと交流をしたり、たくさんの学生スポーツ団体に所属したりと、まさに現代のベンチャースポーツの申し子

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】 杉村秀樹[1]

          手作りモルックでおうち時間をHAPPYに!

          モルックとはフィンランド発祥のスポーツです。 「モルック」と呼ばれる木の棒で、「スキットル」と呼ばれる木のピンを倒します。スキットルが1本倒れたらそのスキットルに描かれている数字を、複数本倒れたら倒れたスキットルの本数を、それぞれ足していき合計50点を目指します。 日本モルック協会の公式サイト に詳しいルールの説明が記載されています! 一見地味なのですが、いざやってみるとめちゃくちゃ面白い。 50点を目指して緻密に作戦を練ってスキットルを倒していきます。50点ピッタリ

          手作りモルックでおうち時間をHAPPYに!

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】 當麻早希[2]

          人生で一番応援された日ミウラカップ当日。ミックス部門の當麻・松井ペアは、全40ペアの中で一番最初に出番を迎えた。開会式直後で、全国のプレーヤーのほぼ全員が見守る中での5分間。ナイスキャッチ!ナイスアタック!と、ひとつひとつのプレーに必ず誰かから声がかかった。 「たくさん練習した、ラリー途中でのアタックとディフェンスの切り替えはできませんでした。それでも、乱れてもうダメだと思った球も松井さんが捕ってくれて、必死にラリーを続けました。皆さんの声は全部聞こえました。今が人生で一番

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】 當麻早希[2]

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】 當麻早希[1]

          それぞれのフレスコボールに対する想いを語っていただく、フレスコボールマガジン「RALLY & PEACE」。第3弾は、當麻早希(とうま さき)選手です。「始めたばかりの頃はラリーも会話も続かなかった」と当時を知る仲間に言われる當麻選手が、ここまでフレスコボールを愛するようになった理由とは。 変わりたかった。2019年2月。當麻早希は、繰り返す毎日に流されていた。 大学時代を過ごした東京から地元の奈良にUターン。いつもたくさんの仲間に囲まれていた大学時代と比べ、社会人1年目

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】 當麻早希[1]

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】山下祥・弘田聖[2]

          「サトショーペア」結成。ジャパンオープン約1ヶ月後の逗子ローカル大会の帰り道。GVKメンバーを乗せた岸田選手の車に、山下と弘田がいた。山下は「会って間もないし、年上だったけど、とにかく波長が合った。この人は口から生まれたんじゃないかと思うくらいよく喋る」。弘田は「そのときはまだ”山下さん”って言うてたかな。関西に帰るまで6時間超、ほぼ二人で話していた。オモロイやつやと思った」。 「”創る喜び”を知ったからこそ、新しいペアと挑戦してみたい」。2019シーズンの日本代表を逃し、

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】山下祥・弘田聖[2]

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】山下祥・弘田聖[1]

          それぞれのフレスコボールに対する想いを語っていただく、フレスコボールマガジン「RALLY & PEACE」。第2弾は、山下選手・弘田選手です。関西が誇るユーモアコンビは、実は関西フレスコボールの普及になくてはならない立役者。熱い想いを聞きました。 忘れられない1日2020年2月23日。この日は、山下祥・弘田聖にとって忘れられない1日になった。彼らが所属する、フレスコボール関西Grêmio VENTO(GVK)主催のローカル大会「明石ゲラゲラカップ」当日。 東京、大阪、奈良

          【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】山下祥・弘田聖[1]

          【フレスコボールマガジン RALLY&PEACE】風味千賀子・宮山有紀 [2]

          迎えたブラジル選手権、リオ・デ・ジャネイロ。風味千賀子・宮山有紀ペアはフレスコボール日本代表トップバッターとして2019年ブラジル選手権の舞台に登場した。 国内で着々と結果を残し、確固たる地位を築いてきた。たくさんの練習をした。準備もした。 しかし、国内と大きく違う環境下でのトップバッターのプレッシャーは、想像以上のものだった。アタックの判定方法、落球時のタイムの取り方、効果音、独特の雰囲気…。すべてが違っていた。国内では温かく感じていた周囲の声援も、焦りに変わる。 状

          【フレスコボールマガジン RALLY&PEACE】風味千賀子・宮山有紀 [2]

          【フレスコボールマガジン RALLY&PEACE】風味千賀子・宮山有紀 [1]

          それぞれのフレスコボールに対する想いを語っていただく、フレスコボールマガジン「RALLY & PEACE」。第1弾は、日本代表「かざみやペア」こと風味千賀子選手、宮山有紀選手です。 打つたびに相手が上手くなる感覚。ふたりの出会いは、2018年11月。関東でフレスコボール黎明期からプレーし、国内でも好成績を残していた風味千賀子。この年から彼女は結婚を機に地元関西にUターンしていた。 関西在住の宮山有紀を風味に引き合わせたのは、関東で風味とトップを競い合っていた落合真彩選手・

          【フレスコボールマガジン RALLY&PEACE】風味千賀子・宮山有紀 [1]

          私とフレスコボール[3] Grêmio VENTO

          新しい風。大阪にやってきて、仕事にも慣れ繁忙期を終えた2020年1月。2019年に設立された関西のクラブチーム「フレスコボール関西 Grêmio VENTO」(通称:GVK)の練習に参加するようになりました。 Grêmio=組織 VENTO=風。 名前の通り、そこには新しい風が強く吹いていました。 2020年2月23日に開催されたGVK主催の大会「明石ゲラゲラカップ」では、日本全国からフレスコボーラーが集まっただけでなく、地元・明石市の大蔵海岸の近くに住むご家族もたくさ

          私とフレスコボール[3] Grêmio VENTO

          私とフレスコボール[2] 変わらずそこにあったもの。

          暑い。休憩しよ。からの4年間。前回の記事で、フレスコボールを体験した初日に難しさと暑さで30分で脱落してしまったことを書きました。 そこから2019年までの約4年間は、プレーする、というよりは前の記事にも書いた風味選手(以下、チカコ)を応援しに行くような位置付けで、年に1〜2回顔を出す程度の参加頻度でした。 その間の私は、仕事も、プライベートも本当に色々なことがありました。この間に転職を3回、県をまたいでの引越しを3回しています。もちろんそれぞれの仕事や出来事を切り取ると

          私とフレスコボール[2] 変わらずそこにあったもの。

          私とフレスコボール[1] 30分で脱落した女。

          前回の記事で、趣味としてハマっていると書いた「フレスコボール」。このnoteでも、たくさんのフレスコボール選手の方にお話を聞き、フレスコボールや選手の皆さんの魅力について書いていくつもりです。 そんなフレスコボールとの出会いと想いについてこれから書いていきます。 フレスコボールとは。ブラジル発祥のビーチスポーツで、テニスのような、大きめの卓球のようなラケットで、ボールを打ち合います。テニスと違うのは、ボールを相手の方に落としたら勝ちなのではなく、ペアとラリーを繋げるスポー

          私とフレスコボール[1] 30分で脱落した女。