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プロ野球アカデミーで最後に担当した選手たちの、最後の夏。

2014年。

私は、とあるプロ野球球団で、「アカデミー」の事務局の仕事をしていました。アカデミーとは、プロ野球OB選手の方がコーチとなり、子ども達に野球を教える野球塾のような場所です。

私がいた球団でも、柔らかいボールを使って野球に親しむような活動/少年野球チームに所属する子どもたちがプラスアルファとして通う野球塾/プロ野球選手も多く輩出している12球団ジュニアトーナメント選抜チーム  など、幅広く活動していました。今ではほとんどの球団にアカデミーとジュニアチームがあるくらい、「野球振興」はプロ野球界でも非常に大切な位置づけになっています。

2014年は、私が人事異動で球団のいろいろな業務と兼任する前、アカデミーを専任していた最後の年です。

この年の小学6年生は、2020年、高校3年生になりました。

Aくんの話

12球団ジュニアトーナメント。各球団のジュニアチームが、プロと同じユニフォームを着て、プロと同じ球場(一部例外の年あり)で、プロと同じように応援団に応援されて闘う、最高峰の舞台。

西武・森友哉選手(バファローズJr.)、楽天・松井裕樹選手(ベイスターズJr.)など、多くのプロ野球選手を輩出しています。

私がいた球団のアカデミーでも、多くの6年生たちが小学野球の集大成として、18名のジュニアチームの枠を目指し、切磋琢磨していました。

Aくんは、小学2年生からアカデミーに通っていました。コーチ陣に対しても礼儀正しく、みんなと練習前にワイワイ騒いでいても決して羽目ははずさない、真面目な選手。野球もどんどん上達していき、私は素人ながらに、Aくんが5年生頃から漠然と、ジュニアチームに選ばれるかもしれないな、と思っていました。

しかし選抜最終セレクション当日、Aくんは本来の力を発揮しきれないまま1日を終えてしまいます。監督・コーチ陣も、Aくんは今までの実力だと充分ジュニアチームに入れる選手であったものの、短期決戦で実力を出さなければならない大会特性上、どうしても今日1日を客観的に見るとメンバー入りには及ばず苦渋の決断をしたといいます。

「Aは、あの後ひと晩だけ、すごく泣きました。でも、翌朝から、絶対これからも頑張って見返すんだ、って」。

Aくんのお母さんが、泣きはらした目で教えてくれた日に気づいたのは、ジュニアトーナメントは確かに大きな通過点ではあるけれどゴールではないということ。

野球は、小学生で終わりではないし、中学、高校、続ける人はそれ以降も、どんどん続いていきます。Aくんは結局、最後までアカデミーを続けて卒業しました。アカデミーにはジュニアチームに選ばれた友だちもいて、ときには悔しい思いもしたことでしょう。それでも彼らは、お互いをリスペクトし合って卒業していきました。

みんなの涙の上で

ジュニアに選ばれた選手たちは、その年福岡Yahoo!JAPANドーム(現PayPayドーム)で行われたジュニアトーナメントで躍動しました。結果こそ予選リーグ敗退でしたが、練習が始まった9月から年末の大会までの夢のような約3ヶ月をみんなで闘い抜き、大きな絆で結ばれました。

監督やコーチが、何度も口にしていた台詞は、「君たちが今ここに来るまでにいろんな人がいたことを忘れるな」でした。

この18人以外に、セレクションで選ばれなかった6年生は約400名近くいます。そう、彼らはみんなの涙の上で、選ばれた18名。

土日に主力選手が抜けてジュニアの練習に行くことも、所属チームの理解があってこそ。そして保護者の方の計り知れないサポートがあってこそ。

それをしっかりと理解した彼らもまた、小学野球のかけがえのないステップを経て、笑顔で卒業していきました。

2019年、高校野球 県予選

あれから、5年。中学野球を経て、ジュニアチームOBの数名の選手は同じ名門校に進学し、2年生ながらにレギュラーに名前を連ねている選手も多くいました。

Aくんも、別の高校に進学し、2年生ながらに四番を打つこともありました。ジュニアチームの選手達が進んだ高校ほどベスト16やベスト8に出てくる回数は多くないものの、こちらもまた野球に力を入れている高校です。

野球の神様って本当にいるもので、両校は、ともに県大会でベスト16まで勝ち進み、ここで対戦をすることになります。

結果、その試合はジュニアのメンバーが進んだ高校が勝利。その後も勝ち進み、彼らはなんと、甲子園出場を決めました。

Aくんたちの健闘にも涙が出るほど心打たれました。Aくんのお母さんとも、「最後まで喰らい付く姿勢に本当に感動しました。甲子園は、来年に取っておくってことかもしれませんね!」そんなLINEのやりとりをしました。

のちの甲子園には私も駆けつけ、ジュニアチームOBの保護者の皆さまと一緒に彼らを応援しました。5年も経ったのに、変わらず迎え入れてくださる保護者の皆さまと、すっかり大きくなって甲子園の舞台で輝いている選手たちに、とてつもないパワーをもらいました。

私は、どちらが勝っても、誰が勝っても嬉しい立場です。アカデミーやジュニアチームで出会った子どもたちは1000人以上。それぞれの子どもたちに、それぞれの人生があります。

退職してからも野球という繋がりのおかげで、卒業生たちの成長した姿を見て自分も頑張れる。そんな繋がりが、ここに書いた選手達や保護者の方以外にもたくさんありました。

それぞれの夏を終えた彼らが最高学年になる2020年は、どんな夏になるだろう。そんな気持ちでした。

「最後の夏」

そんな、それぞれの「最後の夏」の、中止が決まりました。

きっと、調整に調整を重ねた上での苦渋の判断で、誰も悪くありません。ただ、みんなにとって、やり切れない思いは絶対にあるでしょう。

きっと今、外部の人にどんなことを言われたって、当事者のみんなは悔しくて、なかなか消化できないと思います。

小学野球にとってジュニアトーナメントがそうであったように、甲子園は、確かに大きな通過点であり、人生賭けて闘ってきた選手たちにとってそこは大切な、かけがえのない目標です。

でも、“そういえばアカデミーのおねーさん(今はもうおばさんになりましたが)がなんか言ってたな〜”って程度でいいので、彼らにいつか思い出して欲しい事があります。

今言われても100パーセント納得はできないだろうけど、何人もの大人に言われすぎて聞き飽きたかもしれないけど、「甲子園がゴールではない」ということは忘れないでほしいのです。

私は何事も断言はするタイプではないけど、断言したいことがあります。野球を続ける人も、ここで野球を辞める人も、絶対に今の経験は、今後の人生に活き続けます。ほかの学年の選手たちが経験していない、このやり切れない悔しい想いも、絶対に糧になって活き続けます。

きっと代替の大会案などもこれから固まってくるのではないかと思います。今回の悔しさの分まで、思いっ切り暴れてきてください!!


最後に、この記事の全ての内容は元所属先球団や、登場人物や彼らの進学先高校とは一切関係のない個人の主観です。

退職して4年も経ったただの元職員ですが、わずか数年でも野球に本気で向き合わせてもらった人間として、書きました。

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