キキは「海の見える街よ!」と言ったけれど
2月のある日、唐突に思い立った。
あ、もういいや、引っ越そう、と。
わたしは生まれてから24年間横浜の片田舎に住んでいる。横浜出身です、というと「おしゃれじゃん!」と言ってもらうこともあるけれど、キャベツ畑に囲まれたここは残念ながら文字通りの「片田舎」だ。
とはいえ20分ほど電車で揺られれば(東京ほどではないものの)ある程度栄えた横浜駅に出ることができるし、作業するための落ち着いたカフェや小さいけれど通い慣れた図書館もある。全てを知り尽くし、思い出の染み付いたこの土地は愛すべきわたしの庭だった。
そのはずだったのだけれども。
急に何かが駄目になってしまった。
無性に都会に出たいと思った。
わたしの通っていた大学は新宿区にあったため、大学4年間は必然的に毎日東京へ出ていた。けれど、大学を卒業し就職して1年ちょっと、全てが地元で完結するようになってしまったのだ。
わたしはこの街が大好きだった。だけど毎日同じような無難なオフィスカジュアルで、同じ時間に満員電車に揺られ、同じ事務作業をして帰って眠る。単調な毎日が地元で繰り返される絶望のようなものに疲れてしまったのかもしれない。
この閉塞感はこの街に住んでいるせいでもたらされているわけではない、ということはなんとなくわかっている。それでも心のどこかで東京には何かがあると思っているのだ。それはきっと、楽しかった大学時代への憧憬だとか、世の中に溢れている上京物語に起因するのだろう。
でもいい。それでいい。なんでもいいからこの街を出てみよう。
1人暮らしを決めると、ずっと忘れていたときめきのようなものが心に生まれるのがわかった。ああこれは『魔女の宅急便』の冒頭10分、『NANA』2〜3巻のあのわくわく感だな、と思った。
だが、いざ引っ越しを考えてみると、住むべき街が決まらない。
上京したい、という薄ぼんやりとした理由で引っ越しを決めたはいいものの、東京は広い(そしてお気づきの通り、実は上京ってほどでもない)。
大学時代、ずっと西早稲田か早稲田に住みたかった。今なら叶えることができる。居心地のいいカフェがあり、母校の図書館も使える。早稲田松竹もある。
しかしそれはサークルや授業で出会う友達や後輩がキャンパスにいて、ゼミがあって、だからこそ住みたかったのだろうな、とも思う。今あの場所に住んだら、誰もいない思い出の場所に愕然としてしまうかもしれない。
池袋も好きだ。ジュンク堂書店や新文芸坐のある街。大好きな乱歩先生の邸宅もある。ちょっとじめっとした空気のある街で、だからこそ落ち着く。
でもちょっと思い出がありすぎてつらい。あと職場まで遠い。
それなら、
東京に出てきた感が得られそうな渋谷?
なんだかお洒落そうな中目黒?
それとも下町で温かみのある浅草や阿佐ヶ谷?
うーん。
旅立ちの日、キキは友達に「どんな街にするの?」と問われ、即答で「海の見えるとこを探すつもり」と答えた。しかしわたしには決めきれない。わたしにとっての海、譲れないものってなんなのだろう。
環境が人を作る、という。
つまるところ「住む街を決める」ということは、どういう生活を送りたいのか、ひいては人生を送りたいのか、を決めるという行為だと思うのだ。
住むにあたり、書店がある、近所に喫茶店がある、通勤圏内にこんな駅がある、と条件をあげていくと、それはそのままこれから送ることになる生活そのものを構成する要素となる。そしてその生活がきっと、自分を形作るのだ。
わたしはどうやって生きたいのだろう。
どういう人間になりたいのだろう。
考えながら、ぐるぐる街をめぐってみる。
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