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私は泣き虫だから。

昔からよく泣く。とにかく泣く。嬉しいことも悲しいことも感動しても笑い転げてもとにかく泣く。だからだろうか、「泣く」という行為について、「弱いからめそめそ泣くんだ」なんてことは一度も思ったことはない。涙が武器にならないことも理解していると同時に、女も男も愛嬌一番!と思っているのが私という人間だ。

最近、ふとした拍子に大泣きする事が多い。泣いている時間だけで見たらひとりぼっちで泣いていることが圧倒的に多い。ただそれは悪い涙だけではなく、感動によるものもあると言うことは申し上げておきたい。感動も良い意味もあれば悪い意味もある。何かを観て悲しみを感じるのだって感動の内だよ。

ところで先日、心の汚泥をぶちまけたようなnoteを書いた。誰にも読まれたくなかったから返金機能無しで5000円。さすがにあれを購入する猛者は今のところいない。居なくて良い。だけど心に秘めたままと言うのも、色々問題がありそうな気がしたから、今回は大真面目に私が思う「愚痴」と「泣くこと」について書いていきたいと思う。そこそこ長い。悪しからず。

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私は基本的に愚痴を言わない。愚痴の中でも「弱音」に分類されるものは特に発することは早々ない。それは物凄く単純な理由で、愚痴を言った端から自分がその言葉を認識することで、崩れてしまうと言うことをよく理解しているからだ。自分のことは自分が一番よくわかっている。でも同時に自分を100%理解しているかと言われればきっとそうではないのかもしれない。しかし、こればかりは口に出そうとした瞬間に本気で心が悲鳴を上げるのだ。『やめて、言わないで』と。

その言葉に逆らったが最後、私の感情が決壊する。豪雨と濁流で飲み込まれてそれ以上の発言を私自身に許さない。放っておけばどんどん心が死んでいくような感覚に陥り、一切を拒否してしまう。もうやめて、放っておいて、何も言わないで、私は何も悪くない…。そんな悲鳴が脳内に木霊する。気が狂いそうになることもしばしば。

ひとりでに決壊してしまったときの復旧速度は割と早い。自分が苦しい時は自分自身と冷静に会話する様に、と心掛けている。会話の結果として「これはどうにもならないね」と思ったらそこで『諦める』と言う選択肢を取ったり、「次がありそうね」と目標が定まれば『よしやるか』と泣いていたのが嘘だったかのように立ち上がる。多分、自分と相談する、と言う能力は人一倍あるのではないだろうか。

しかしここに他人の声が混じると、思考回路に著しい混乱が生じる。自分の感情が濁流に飲まれたまま帰ってこられなくなるのだ。多分あれはパニック状態と同じなのだろう…と、今ならば冷静に分析できる。私に泣かれた皆々様に置かれましては濁流の淵まで助けに来て下さったのに申し訳ない。そのまましばらく流されてるのを眺めていてほしい。下流の流れが緩やかになった辺りで勝手に上がってくるから。びっしょびしょだけど。

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私は「人と一緒に居るときは笑っていたい」と思っている人間だ。それは上っ面がどうこう、と言うのも多少あるかもしれないが、笑っていられると言うのは楽しい話、面白い話、経験を共有しているということだ。それってとても良いことだと思っている。少なくとも、笑い泣きくらいでしか涙が出てくることも無いだろう。とは言えこれを他人に強要したら、それは愚痴とかを全て封じ込んでしまうものでもあると思っている。強要はお互い良くないよね。どっちかがしんどくなるだけだから。

自分が嫌なことを他人に強要してはいけません…の言葉の通り、普段からあまり「愚痴くらいならきくよ」と言うことを落ち込んだりしている人に向けて言ったことがない。どちらかと言うと「話はいくらでも聴くよ」って言い方する。私にとって「愚痴を聞く」と言うのは「助け」ではないので、それが誰かを救う手段だとは一切思っていないのだ。言われた人は相当レアかもしれない。でもそんな事は関係なく、みんな私に愚痴を言う。話しやすい空気でも持ってるんだろうか…?と度々思うが未だに答えは出てこない。

愚痴を言われる事が嫌だとは一度も思ったことは無い。悪いことだと思ったことも全くない。話してすっきりすんなら幾らでも喋りなさいな、泣いて気が済むならいくらでも泣きなよ。申し訳ないって顔しないで。「いやー泣いちゃったぜごめんよwww」って笑ってくれるまで一緒に居るからさ…なんてことを思いながら話を聴いているので、話し終わった後に「自分ばっか喋ってごめん」とか言わないでほしいな、とつくづく思う。まぁ罪悪感があるだろうことは分かるんだが、喋って気が晴れないってことは聴いている側の私にも何かしら問題があるのだろうとも感じているので。謝られる要素はどこにもない。

昔から、黙って泣いている人の隣に居るときは私は何も言わない。それは前述の通り、ただただ自分の感情と向き合う方がずっと楽だと言うことを何より分かっているからだ。呼吸をゆっくり、気持ちだけ寄り添う。泣きたいだけ泣きなさい、と心の中だけで語りかける。何も言わないのは掛ける言葉が無いからじゃなくて、言葉を掛けられることが辛いときもあると言うことを知ってるから。そうじゃないって人もいるかもしれない。でも私はそれはわからないから、私なりの方法でしか傍にいられない。

人間って不思議なんだけど、「泣かないで」って言われると泣いてしまい、「泣いて良いよ」って言われると涙が止まるのだ。「泣く」と言う行為が如何に「悪いこと」とされているかがここにあるだろう。小さい頃から泣くな、泣くなと言われ続けている。泣けば困らせる。でも「泣いて良いよ」と言う言葉は「泣くと言う罪悪感の抹消」が出来る言葉なのだ。それだけで、心がすうっと落ち着いて、ここでは私が泣いたって困る人は居ないんだ、と安心感を得られる。私はそれをすごく大事なことだと思っている。逆に言えば、それだけ「泣く」と言うことを悪いこと・良くないことと捉えている人が多いと言うことでもある。

私が笑って「おーおー泣け泣け、気の済むまで泣きなさいや」って言ったら、私なりに精一杯、あなたを元気付けたいのだと思ってください。私は泣き虫だもん。あなたよりきっと、よく泣くわ。だから、気にしなくて良いよ。我慢しなさんな。元気になるまで、隣で笑っててあげるから。

はい、今日もよく頑張りました。

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