死者を想うと、あの世でその人の周りに花が降る。
※死に関する、少しセンシティブな内容が含まれます。
はじめに
文字に起こすと、だいぶオカルトちっくな題名になってしまったが。
私はこの言葉に『許し』を貰った。
重めの話だけど、どうしても書きたいから書く。
じいちゃんのこと
私には、大好きなじいちゃんがいる。
じいちゃんは2019年の11月、空に旅立った。
じいちゃんとは18で家を出るまで一緒に暮らした。両親が共働きで、半分はじいちゃんとばあちゃんに育てられたと思っている。学校が終わって最初に「ただいま」を言う相手は、毎日車で送り迎えをしてくれていたじいちゃんだった。
じいちゃんが倒れた日
それは有休をとった日で。ニノの結婚を知らせる母からのLINEで飛び起き、先輩と一緒に最前列で歌舞伎を見て、最高の気分で眠りに就こうとしていた午後10時。父から「じいちゃんが倒れた、明日までもたないかも」と連絡が入る。
ほとんど眠らないまま朝を迎え、始発のバスで病院に向かった。
じいちゃんの手はまだ温かかった。
あの時のなんとも表現し難い感情は、今でも鮮明だ。
それから、じいちゃんはあの世とこの世の境目を漂うように生きた。
声をかけると吐息で微かに答えてくれる日もあれば、全く反応が無く、唯々息をしている日もあった。
毎日、家族の誰かが1日中そばにいた。
じいちゃんのきょうだい達も来て、じいちゃんを囲んで過ごした。
そうして、みんなに会い、心の準備をする時間をくれたじいちゃんは、倒れてから10日目の昼、静かに空に旅立った。
死者を想うと、あの世でその人の周りに花が降る
私は涙脆い。
お葬式が終わってしばらく経っても、1人になるとじいちゃんのことを思い出し、涙が出てくる日々を過ごした。
誰かといる時は、自分なりに普段通りでいられたし、誰に何を言われたわけじゃない。
だけど、じいちゃんの事を思い出して泣く自分が情けなかった。いつまで経っても悲しんでいる自分を、どうしても許してあげられなかった。
そんな時にこの言葉を見つけた。
死者を想うと、あの世でその人の周りに花が降る
受け取り方は人それぞれだけれど、私にとっては優しい言葉だった。きれいな光景が浮かんだ。
あの世のことなんてわからないし、こちらの自己満足だとも思う。
だけど、じいちゃんの事を想う自分を許してもらえた気がした。
悲しい気持ち
単純なことだった。
大切な人が自分の前から居なくなってしまったら悲しい。
悲しむのも必要な時間だと思えた。
蒼井ブルーさんも言っていた。
おいしいごはんを食べて、ゆっくりお風呂に入って、もう無理というくらいに寝る。できれば好きなことに没頭して、できれば誰かとたくさん話して、できれば自分を昨日より愛して。それでも忘れられないことがあるのなら、まだ覚えておいて大丈夫です。ちゃんと忘れられるまで、それで大丈夫です。
どれだけ悲しくたって、時間は過ぎて、明日はやって来る。
それならば、涙が止まらなかったあの日も、冷たい温度も、寂しいと泣いてしまう自分も、全部こぼさず抱えて歩いて行きたい。
いつか忘れる日まで。
どうせ花が降るならば。
誰かが想っているんだなと、じいちゃんが喜んでいてくれればいい。そう願わずにはいられない。
さいごに
重くて悲しい話なのに、最後まで読んでくれたあなたへ。ありがとうございます。
私はずっと誰かにこの悲しい気持ちを聞いて欲しかったのだと思います。
言葉に出せるようになって、少しずつ気持ちの整理ができました。書くことができてよかったです。
最後まで読んでくれたあなた。 ありがとうございました。またいつか🍄