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時代の流れに翻弄されたことによって思いもかけない展開がひらけることもある。

1970年4月に就職した最初のレコード会社では洋楽ディレクターを5年、国内制作ディレクターを2年勤めました。

洋楽のジャズ担当を希望していたのですがロック担当を命じられてガックリ気落ちしましたが同期の仲間たちの多くが望んでいたポジションなので羨ましがられました。

【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第76回】

前年夏に野外ロック史上最大の40万人を集めたウッドストック・フェスティバルが開催されたこともありベトナム戦争を背景にしてロック・ミュージックが強烈なエネルギーで世界中の若者を熱狂させていた時代です。

ロックがつまらないワケがありません。

ロックはガキが楽しむ音楽でしょと斜に構えていたジャズ好きがだらしないことに3枚のアルバムにノックアウトされて宗旨変えしてしまったのです。

このあたりのことを電子書籍『きっかけ屋アナーキー伝』から。

 入社して3カ月ほどたったある日、先輩の堤光生さんから言い渡された。
 「俺は今度新しく契約したベル・レコードを担当することになった。君に俺の後を引きついでアメリカのロック担当のディレクターになってもらう」
 同期の仲間がほとんどそうであったようにロック好きなら大喜びする話だ。ところが学生時代から新宿なら「PONY」か「びざ~る」、渋谷に寄ったら「オスカー」か「デュエット」、時には怖いマスターのいる有楽町の「ママ」。ほとんど毎日ジャズ喫茶でジャズ、それもフリー・ジャズを浴び、ロックはガキの音楽だと偏見を持っていたぼくは生意気にも堤さんにこう口答えした。
 「ダメですよ。ぼくはロックを全然聞いたことがないから無理です」
 「馬鹿、クラブ活動じゃないんだ、ここは会社だ、業務命令だぞ。というのは冗談。とにかく最近のロックは面白いから色々聞いてみろよ」
 骨の髄までロックン・ロール好きの先輩に諭されてしぶしぶロックを聞き始めたぼくは3枚のアルバムにノック・アウトを食らった。
 シカゴのデビュー・アルバム『シカゴの軌跡』、BS&Tの2枚目『血と汗と涙』、更なるカウンター・パンチがクリームの『カラフル・クリーム』。
 ぼくがフリー・ジャズにうつつを抜かしている間にロックは強靱なエネルギーを発散し始めていた。当時もっとも信頼していたジャズ評論家相倉久人さんの「ジャズは死んだ」という言葉をこの時実感した。
 ニュー・ロックやアート・ロックと名付けられたロック・ミュージックはすさまじい勢いで世界中に飛び火していた。入社する前年の69年に開催され、3日間で40万人を集めたと言われている史上初の野外ロック・フェス、ウッドストック・フェスティバルのドキュメンタリー映画が世界中で大ヒットし、ロックは巨大なビジネスに急成長していた。
 昨日までアルバート・アイラー大好き! エリック・ドルフィー命!! アート・アンサンブル・オブ・シカゴ最高!! だったぼくは一転して朝から晩までロックを聞き漁った。
 ロック担当ディレクターがブースにこもってレコードを聞いていても仕事熱心だと思われることこそあれ遊んでいると後ろ指をさされることはない。
 各国からとどいた最新のサンプル盤をだれよりもはやく大音量で聞けて給料が貰える。クラブ活動より楽しいことは言うまでもない。
 ぼくが担当したのはシカゴ、B,S&T、サンタナ、ジャニス・ジョプリン、ポール・サイモン、アル・クーパー、マハヴィシュヌ・オーケストラ、タジ・マハール、イギー・ポップ、ブルー・オイスター・カルトなど、主にアメリカ東海岸のアーティストたちだ。
 CBSソニー・レコード在籍時代、洋楽では『シカゴ・ライブ・イン・ジャパン』や『ロータスの伝説 サンタナ・ライブ・イン・ジャパン』をプロデュース出来たことや邦楽では『センチメンタル・シティ・ロマンス』や『ゴールデン・ピクニックス/四人囃子』を制作出来たことが思い出深い。

ロック・ミュージックや70年代の風俗、レコード会社、音楽業界、深夜放送などに興味のある方には電子書籍『きっかけ屋アナーキー伝』はオススメです。
1970年代と当時の若者たちや音楽だどれだけエネルギッシュだったかを知って頂きたいです。

100,000字で紡いだぼくの仕事史です。
Kindle Unlimitedでもお読み頂けます👇

こちらで冒頭部分をちらっと立ち見していただけます。

その後キティ・レコードに転職して学生時代から憧れていた山下洋輔さんのアルバム『センチメンタル/山下洋輔』他2枚、フリー・ジャズ界の最高峰ミルフォード・グレイブスの『メディテーション・アマング・アス/ミルフォード・グレイブス』や究極の即興演奏家デレク・ベイリーの『デュオ&トリオ・インプロヴィゼーション/デレク・ベイリー』などジャズの制作に携わることが実現しました。

山下洋輔さんがキッカケとなってモーツァルトにのめり込むようになる思ってもみない展開があるから人生は不思議です。

最後までお読みいただき有難うございました。

次回はようやくモーツァルトの話となります。

お寄り頂ければ嬉しいです。

今回は最後に生意気なジャズ好きをノックアウトしたB,S&Tとシカゴの演奏をお聴き下さい。


上記シカゴのライブ映像は1972年6月に初来日して『シカゴ・ライブ・イン・ジャパン』を録音した時のものです。
ドキュメンタリー部分の映像は後に日本のロックPVの第一人者となった井出情児さんで、この映像は情児さんが初めて撮影したPVです。


2002年から書き始めたブログ「万歩計日和」です。


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