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大学入試の面接官の人をバカにした目つきが忘れられない・・・。

音楽に目覚めたのは63年5月。

高校のクラスメートの家でソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』を聞かされてジャズに開眼した。

ジャズ・ファンの多くがこのアルバムをきっかけにジャズに開眼している。

譜面を使わないで演奏する「即興演奏」にカルチャー・ショックをうけたぼくは、帰りがけに大井町の中古レコード屋「ハンター」でこのLPを買って帰った。

【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第4回】



本との出会いも音楽と同じ1963年。

夏休みの国語の宿題は読書感想だった。

三冊の課題作からぼくが選んだのは夏目漱石の『こゝろ』。

残る2冊は川端康成の『伊豆の踊り子』とドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。

最初に一番短い『伊豆の踊子』を読んだがツマラナイ。

感想文が書けない。

カラマーゾフの兄弟』はボリュームに圧倒されて読む気になれず残ったのが『こゝろ』だった。

『こゝろ』は刺激的で面白く、読書にみごとにハマった。

『こゝろ』に感動して涙した翌日、一年間に映画を100本観る、ジャズのLPを100枚聴く、100冊の本を読むことを目標にした。

東京の南端にある自宅から埼玉県志木までの往復4時間の高校通学の電車内は絶好の読書タイムだった。

当時は情報誌などなかったので新聞広告や映画雑誌で調べ、渋谷、新宿、蒲田、池袋、銀座などの名画座めぐりが日課となり、同時にレコード屋古本屋にも寄る。

これを大学卒業まで7年間続けた。

その7年間に観た700本の映画、聴いた700枚のジャズ、読んだ700冊の本がぼくの感性とセンスを育て礎となって今もぼくの人生を支えてくれているように思う。

映画、音楽、本から学んだことはたくさんある。

ぼくの趣味は偏狭かもしれないけど、このnoteを読むことで自分とはまた違う視点で映画や本や音楽を楽しんでもらえれば嬉しい。

そうやって文化は語り継がれていくものじゃないかな。

本やレコードは容易に年間目標を達成できたけれど、時間と場所が限定される映画は厳しかった。

大学生になってからは、目標まであと数本という年末になると土曜日深夜文芸座地下のオールナイト東映ヤクザ映画5本立てを観に行きノルマを達成した。

世界文学全集や日本文学全集などの古典文学を読んでいたぼくをエンタテイメントの世界に引きずり込んだのは北杜夫の『楡家の人びと』(1964)、筒井康隆の『ベトナム観光公社』(1967)野坂昭如の『アメリカひじき』(1967)の三冊だった。

以降、純文学に背を向けて一気にエンタテイメント小説にのめり込むことになる。

大学受験入試の面接の時にこんなことがあった。

「君の内申書には読書と映画と音楽が趣味と書いてありますが、最近どんな本を読みましたか?」と試験官に聞かれた。

「トルストイの『アンナ・カレーニナ』がつまらないので途中でやめました。感動したのは立川談志の『現代落語論』(1965)です」と答えた。

「あ、そう。君は読書が好きというよりも活字が好きなんだね」と言ったときの試験官の目つきに人を小馬鹿にした色が浮かんでいたことは見逃さなかったぞ。

中学の時に立川談志の「源平盛衰記」をテレビで見て釘付けになった。

立て板に水という言葉の意味を実感した。


談志家元の高座は数回しか観ていない。

とても印象的だった日のブログです。

この日、偶然家元の家を見つけてしまった。


新橋の新橋飯店の廊下で家元とすれ違ったことがある。

とても小柄で暗い雰囲気。

あの時「高校時代に家元の『現代落語論』を読んでファンになりました」と口に出したら家元はなんと答えてくれただろう。

談志家元の『現代落語論』(1965)と中原弓彦(現・小林信彦)の『笑殺の美学』(後に『世界の喜劇人』と改題)を青春時代のお笑いのバイブルとした人は多いはずだ。

ぼくが読み始めた頃、北杜夫は既に何冊も本を出版していたが、野坂昭如と筒井康隆はほぼデビューと同時に好きになったので、その後10年ほどの間に出版された新作はすべて読んだ。

好きな作家はたくさんいたけれど大学時代に聖書のようにぼくがあがめていた『悪魔の辞典』の著者で19世紀アメリカのジャーナリスト&作家のアンブローズ・ビアスの短編『アウル・クリーク橋の出来事』のことを書いておこう。

この続きはまた明日。

大好きだったビアスの短編をまさかあの監督が映画にするとは・・・。

明日もお寄り頂ければ嬉しいです。



連載第一回目はこちらです。
ここからご笑覧頂ければ嬉しいです。
第1回 亀は意外と速く泳ぐ町に住むことになった件。


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