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三つ子の魂百までもと言われているけれど。

全身にジャズを浴びた帰り道、大井町商店街にあるレコード店"ハンター"で『サキソフォン・コロッサス / ソニー・ロリンズ』と滝川君がすすめてくれた『イッツ・アバウト・タイム / ジョー・モレロ』、2枚の中古レコードを買ったのは高校一年生の時だった。

【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第22回】

毎日その2枚のレコードを聞き続けているうちにジャズの魔力に取り憑かれた。

以来、大学を卒業するまでの7年間、昼飯代を浮かせてレコードを買い、ジャズ喫茶に寄り道し、来日ジャズメンのコンサートに通ってジャズを聴きまくるようになった。

一昨日書いたように高樹町に住んでいた3年間、叔父さんに毎日ジャズを聴かされて育った時のことは記憶にないけれど、潜在意識に刷り込まれていたこのことが頭をもたげた。

三つ子の魂百までもとはよく言ったものだ。

タイミングのいいことにぼくがロリンズの演奏に驚いてジャズを聴きはじめた四ヶ月後にソニー・ロリンズは初来日した。

場所はサンケイ・ホール。

モヒカン刈りで登場した豪快なソニー・ロリンズの演奏に圧倒された。

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jazz_2_ロリンズ.モヒカン

どれだけ月日が経っても天才の演奏は色褪せないことを二年前のブログにも書いている。


ちなみにこの年1963年に見たジャズのコンサートはこれ。

7月15日(月) キャノンボール六重奏団/サンケイホール

7月28日(日) 真夏の夜のジャズ キャノンボールと日本のジャズメン達/日比谷野外音楽堂

9月22日(日) ソニー・ロリンズ・クワルテット/サンケイホール

10月21日(月) マックス・ローチ・クワルテット/サンケイホール

11月1日(金) マックス・ローチ・クワルテット/サンケーホール

ジャズは20世紀初頭にブルース、ゴスペル、労働歌などがミックスされてアメリカ南部で生まれた音楽だ。

ニューオリンズ、セントルイス、カンサスシティ、シカゴへと、ミシシッピー河を北上して西海岸やニューヨークに飛び火した。

誕生から100年の歴史を刻んだジャズは様々な土地に根づくとともにその土地特有のスタイルを生み出した。

ぼくが心を惹かれたのは1940年頃から1960年末にかけて流行したモダン・ジャズだ。

1985年8月。

ジャズ・ピアニストの山下洋輔さん、劇作家の鴻上尚史さん、カメラマンの北島敬三さん、コーディネーターの生田朗さんと一ヶ月間ジャズの聖地めぐりをした。

ジャズの誕生から発展までの道のりを山下洋輔さんにたどって頂き、ジャズゆかりの町々のジャズ・クラブで道場破りをやろうという試みだ。

その旅の土産としてレコードとレーザーディスクと『アメリカ乱入事始め』という本を出版した時の話は『きっかけ屋アナーキー伝』でお読み下さい。

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ジャズを聴きはじめてすぐにぼくはフリージャズにのめり込んだ。

フリージャズは全編激しい即興演奏で興味のない人にとってはメチャクチャなノイズにしか聞こえない。

メチャクチャというのはとても難しい。

楽器を弾けない人に好き勝手に演奏して下さいと頼んでも5分間続けて演奏することは出来ない。

手癖で同じようなフレーズしか出てこないからだ。

フリージャズの巨匠たちは20分でも30分でも1時間でも自由気ままに演奏できるだけではなくリスナーに涙を流させてしまうことすらある。

奔放なイマジネーションと楽器を自在に操れるテクニックがあってこそのフリージャズだ。

とは言いながら大枚はたいて手に入れたフリージャズのレコードの70%はイマジネーションの乏しいクズだったことも事実だけど。

本物、一流と思える人は少なかったが、時折、胸が打ち震えて涙を誘うほど感動させてくれる音と出会えるので高額な授業料を払い続けることはやめられなかった。

1996年6月20日。

ジャズを教えてくれた叔父貴への恩返しのつもりで、六本木にあるジャズ・クラブのアルフィーに誘った。

その日のアルフィーは、マンハッタンで知りあったジャズ・ボーカリストのピーチク(後藤ふく恵)が出演していた。

大好きな「素敵なあなた」をリクエストして上機嫌でライブを楽しんだ叔父貴は、次の年ぼくをビッグ・バンド・フェスティバルに招待してくれた。

フェスティバルには、日本を代表するビッグ・バンドが次々と登場したが、ビッグ・バンドは苦手だな〜と思いながらぼくは見ていた。

唯一楽しめたのは"角田健一オーケストラ"だったがデューク・エリントンですら「こういう新しいバンドは分からん」という叔父貴には不評だった。

帰り道に叔父貴は恵比寿の駅前のスナックに奥さんを呼び出して、食事をご馳走してくれた。

ぼくにジャズを教えてくれた叔父貴と会ったのはその日が最後だ。

休みの日は朝からお酒を呑んでテレビを見ながら一日中パジャマ姿ですごしていた叔父貴は98年4月28日突然亡くなった。

また叔父貴とジャズを聴きに行こうかなと思っていた矢先のことだった。

この続きはまた明日。

明日は意味より大事なのは響き合うことなんだと世界に発信したあの4人の話です。

明日もお寄り頂ければ嬉しいです。

連載第一回目はこちらです。
第1回 亀は意外と速く泳ぐ町に住むことになった件。




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