音楽からリアリティがどんどん失われていくのは・・・。
音楽はライブに限ると口にする音楽ファンが多い。
その気持も分からないでもないけれどしっかり調整されたオーディオ装置で再生した音の生々しさはライブでは味わえない凄みがある。
コンサートホールで最上のリスニング・ポイントを確保するのは難しいけれどレコードやCDでは常にベスト・ポジションで音楽を浴びることが出来る。
ある程度のグレード以上の再生装置でしっかり調整されているということが前提にはなるけれど。
【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第55回】
1925年に発売されて5年間で約67,000台が生産された機械式蓄音機の最高峰クレデンザ(CREDENZA)で盤質の状態のいいSPで再生する音楽には息をのむようなリアリティがある。
蓄音機が機械式(ゼンマイ)から電動式になりモノラル・レコードになりステレオ・レコードになりCDになりストリーミングになりと再生装置に電気や電子がとりいれられることによって再生される音楽のエネルギーが失われていった。
音楽再生とは降霊術だと豪語した知人がいる。
「素晴らしい再生装置で音楽を聴くと目の前に歌手や演奏家が現れるのさ」と言う。
これは嘘ではない。
初めてクレデンザでマリア・カラスやビリー・ホリデイを聴いた時目の前に彼女たちの息遣いが聞こえたしかに目の前で歌ってくれた。
音は世に連れ世は音に連れるけれどレコード(音楽)鑑賞でも同じことが言える。
好きな音楽が変われば再生装置も変わるということだ。
ジャズやロックなど音圧を重視する音楽から自然で豊かなアコースティックな響きとともに演奏されるニューエイジ・ミュジックに興味がうつると同時に音圧再生から音場再生の道を歩むことになった。
きっかけを作ってくれたのがBOSE-901。
おしゃれなカフェで使われるようにって一気にBOSEがブレイクする以前のことだ。
BOSEの歴史はとてもユニークだ。
しかしながらBOSEスピーカーは高音や低音がどこまで再生出来るかとか音圧に興味が向いている多くのオーディオ・マニアには人気がない。
とてもナチュラルで豊かな空間を感じさせてくれる上に会話の邪魔をしないBOSE-901ほど音楽を魅力的に聴かせてくれるスピーカーはないと思う。
既にロックもジャズもほとんど聴かなくなってアコースティックで静かな音楽を聴くことが増えたのでBOSE-901が欲しかったけれど高価でマンションの部屋が狭かったこともあり断念してイギリス製20センチ・ウーファー2ウエイのこぶりなKEF103を購入した。
その後憧れのポール・ウィンターと『プレイズ・バッハ』というDVD-Audioのディスクを制作できたことは忘れがたい。
この続きはまた明日。
明日は憧れのポール・ウィンターさんのアルバムを制作したことです。
明日もお寄り頂ければ嬉しいです。
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