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枠組みをはずしてみれば自分のオリジナリティーが見えてくる。

フーテンの寅さんが自分の家に住んでいたら誰だって嫌になるけれど、はたで見ている分には大笑い出来る。自分とは無関係なところで規範から外れたことが起こるから笑える。

人情がからんだお茶の間の笑いよりもナンセンスな笑いが好きだ。

意味もない笑い。
ナンセンスというセンスに彩られた笑い。

チャップリンの醸し出すペーソスのある笑いよりもやマルクス・ブラザースのぶっ飛んだ笑い。

虚実皮膜の世界からも笑いはほとばしり出る。

【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第14回】

虚実皮膜と言えば精神病院もの。

精神病院ものや主人公が知的障害者だったり何が本物でなにが偽物なのか分からないという設定の物語に惹かれる。

たとえばピーター・ブルック監督の『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』、北杜夫著『楡家の人びと』、夢野久作著『ドグラマグラ』、フィリップ・ド・ブロカ監督の『まぼろしの市街戦』などなど。


何度もしつこいけれど、ものごとをジャンルで分けても意味がない。

演劇を例にしてみよう。

二人の演劇好きがいる。

一人は劇団☆新感線が好きで一人は文学座が好き。

周囲から見ると二人とも演劇好きという枠組みに入るかもしれないが、この二人が演劇に求めているものは恐らくまったく異なる。

アルゼンチン・タンゴとアストル・ピアソラのタンゴも似て非なるもの。


コンパスの軸は伝統に刺しながら古い世界から一歩踏み出そうとしている人に興味がある。皮肉なことに伝統の世界から一歩踏み出した人が伝統を継承して現代に蘇らすことができる。

たとえば落語。

ぼくは落語マニアではないが、中学の時にテレビで立川談志家元の「源平盛衰記」を見て立板に水という言葉の意味を理解した。

立川談志は1983年に落語協会を脱退して落語立川流を創設し家元となった。寄席に出演できなくなったので自分たちでホールやイベント・スペースを借りて落語を続けた。

その後落語はどうなったか。

談志家元は2011年に亡くなったが現在落語界で立川流の弟子が大活躍していることを見ればどちらが落語に貢献したかがわかるだろう。

衰退した落語を生き返らせたのは伝統を重んじる旧弊な落語の世界に風穴をあけた立川談志家元の功績だ。

同じように庶民から離れてしまった歌舞伎を蘇らせた三代目市川猿之助、沖縄民謡に活力を与えた喜納昌吉、漫才ブームを生んだビートたけし。伝統に風穴をあけて伝統を生き返らせた達人たちだ。

達人が好きだけれど達人とは一切無縁な自分にはどんな才能があるのだろう。

誰もが悩み考える。

自分にはどんな才能があるのか?

自分独自の考え方というものが希薄でオリジナルというものがないけれどオリジナリティーは多少なりとも自分にはある。

オリジナル=起源、原点、独自、最初の。

オリジナリティー=独創性、斬新な、創造性。

それより何よりぼくの一番の才能もしくは取り柄は千載一遇のチャンスに出会えるということだと思う。

才能豊かな人物が世の中に浮上する直前に出会うことがよくある。

中学の時にテレビで立川談志家元の「源平盛衰記」を見てぶっ飛んでファンになった話を前回書いた。

「立川談志遺言大全集2 書いた落語傑作選 二」を読んでいたら「この落語だけはテレビに売らなかった。確か一回しかテレビでは演じてない」と書いている。

50年以上前のその貴重な一回をぼくは食い入るようにしてテレビを見ていたことになる。

1985年2月2日。鴻上尚史率いる第三舞台の「朝日のような夕日をつれて85」紀伊国屋公演初日。

第三舞台は野田秀樹の夢の遊眠社がのこした紀伊国屋劇場初日公演最多観客動員数の記録をやぶった。

この芝居が組み立てられる約三ヶ月前から追いかけていたぼくは37歳の誕生日にその現場に居合わせた。

梅沢富美男綾戸智恵のプロモーションにかけずりまわっていた年に彼らが紅白歌合戦に出たり、とか。

そのあたり経緯はすべて『きっかけ屋アナーキー伝』に記した。


この続きはまた明日。

明日は談志家元の話をもう少しつけ加えておきます。

明日もお寄り頂ければ嬉しいです。


連載第一回目はこちらです。
ここからご笑覧頂ければ嬉しいです。
第1回 亀は意外と速く泳ぐ町に住むことになった件。


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