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カードの価値

最近Youtubeで、昔遊んでいたカードゲームの動画を見かけた。
内容としては、発売した新しいカードパックをたくさん購入した彼/彼女らが、それを開封してリアクションするもの。

その動画を見て最初に感じたのは懐かしさだった。私がそのカードゲームで遊んでいたのは数えてみるとなんと20年近く昔!である。不意に年月の経過を突き付けられて、ため息が出てしまった。20年...。

それでも、当時楽しんだカードゲームが今でも子供たち(投稿者は私と同年代だったが)に愛されていることが嬉しかった。一方、少しの違和感もあった。

動画では、カードは金額で評価されていた。つまり、売却価格が高いものが当たりである。冒頭に高額カードの紹介があり、それを目指して開封していく。
カードコレクターであれば金額での評価は妥当なのかも知れないが、子供たちも同じ気持ちでカードを買っているのだろうか?

私がカードで遊んでいた頃は、手軽にインターネットができる環境はなかった。だから、そのパックから何が出てくるのか分からない。表紙のイラストがかっこよかったり、購入した友達からの情報を元に、僅かなお金を握りしめてコンビニへ駆け込んだものだ。

そんな私の行動は、現代の子ども達にはひどく非効率なものに映るかもしれない。しかし当時の私の目当ては、光っていてイラストがかっこいいカード(特にドラゴン系)だった。金銭価値も強弱も関係がなかった。

対戦するときにはお気に入りのカードで何とか勝てるように知恵を絞ったし、未知のカードと出会った時には興奮した。あらゆる情報が簡単に入手できる現代においては、そのカードパックの中身は勿論、金銭価格も強弱も分かってしまう。それは効率的なことなんだろうけど、当時の私には不要だった。

私がカードゲームを今でも懐かしく、好ましく思っているのは、そうやって楽しんだ思い出があるからだと思う。これを売ったらいくらになるのかなんて、考えたことがなかった。自分にとっての価値しか求めていなかった。それに、中身が分からないからこそ、無限の可能性を感じられた。そんな中で出会ったかっこいいカードこそ、間違いなく当たりカードだった。

幼い頃が輝かしく思えるのは、純粋だったからだ。知らない事ばかりで、真っ直ぐで、狭い世界にいたからこそ自由であった。損得や打算なく、感性にのみ従って行動できていた。二度と戻れない奇跡の時期だ。この日々こそが代え難い価値だ。

動画を見て、自分にとっての当たりカードがハズレとして扱われたら悲しいだろうな、と思った。

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