#76|子どもが思考せず適当に返事をするようになったら見直したいコミュニケーションコストの話。
「コミュニケーションコスト」という言葉を見かけるようになりました。意思伝達にかかる時間や労力をコストになぞらえた言葉のようです。
コミュニケーションまでコストとされる時代かと、どこまでも複雑になる人間関係から逃げたくなりつつ、確かに「コミュニケーションコストの高い人・低い人」っているなあと周りを見回してみたりして。
ところが、私自身が「コミュニケーションコスト」が高い人間になっていた。4歳の娘が教えてくれた…という話です。
気付いたきっかけは娘の返答の変化
保育園に迎えに行った帰りは、今日の出来事を聞きたいのが親心。
おしゃべり娘は「あのね、きょうね…」とお話してくれるのが常ですが、たまに口数が少ないことがあります。深い意味はなくて、ただ目の前のことに気を取られているだけなのですが。
ある日、「今日、どうだった?」と話を振りました。
娘は「うーん、わかんない」との返事。
『わかんない』はずないでしょう、と思い続けます。
「今日、何して遊んだの?」
「××ちゃんと、お砂場で遊んだ!そしたらね…」
なんだ、ちゃんとわかってるじゃん。
*
またある日、お風呂でのこと。
私が何気なく「今日、給食なんだった?」と聞くと、また「わかんない」との返事。
うーん…
「今日の給食、ごはんだった?パンだった?」
「ごはんだった!」
「お代わりしたの?」
「したよ!お野菜とおみそしる!」
なんだ、分かってるじゃん。
別に私、そこまで具体的に知りたかったわけじゃないけど。
*
いずれの場合も、私は
✔ 保育園で何して遊んだか
✔ 給食のメニューやお代わりの回数
これらを具体的に知りたかったわけではありません。
ただ保育園で娘がどんな風に過ごしているのか、楽しんでいるのか、寂しい思いをしたりしていないか、お腹いっぱい食べたか、今日も充実していたのか…、そんな類のことを『ざっくり』知りたかっただけです。
ただそれが娘に尋ねるときは「今日、どうだった?」「給食なんだった?」と世間話の皮かぶっているだけで。
子どもはまだ「大人の前提」を持っていない
大人相手なら通じます。
適当な話題・ざっくりとした質問でも、お互いに空気を読んで当り障りのない応答をしながらやり過ごす。
「どうだった?」という質問が、取り立ててなにか具体的な回答を求めているわけではなく、まあそれなりに対応しておけば、コミュニケーションは十分成り立つ、と人生経験の中から暗黙知として知っているので。
ところが娘はまだ4歳。
当たり障りのないコミュニケーション術、なんて知る由もありません。
母親の「今日、どうだった?」というあまりに漠然とした質問の意図を推測し、自分の長い一日の中から答えとして最適な解を見つけ、言葉に綴り、返答する。
これは4歳には労力が必要です。
給食も同様。
食べたものを思い出せたとしても、メニューの名前をすべて知っているわけでもなく、でもきっと名前はあるはずだけど、何ていえばいいのか…
あるいは今日食べたアレは、鶏肉だったのかな?魚だったのかな?そこもあいまいなこともあるでしょう。4歳ですから。
母親としては「単に保育園の一日を知りたいだけの、さほど深い意味のない質問」も、娘にとっては答えを出すまでに脳内のあちこちを巡り、情報を探す必要がある大変なミッションだったのかもしれません。
そりゃあ、面倒です。
「わかんない」と答えたくもなります。
親の質問に意図を持たせることも必要
「どうだった?」のようにオープンクエスチョンと呼ばれる、回答を限定しない質問から始まる無限のコミュニケーションも存在します。それも楽しいものです。
娘とも「どうだった?」から会話が広がることも沢山あります。
いずれにせよ、語彙力も文章理解も、人間関係もコミュニケーションも学び身に着けている真っ最中の娘・4歳。
「わかんない」という返答は、決して本当にわからないわけではない。彼女からの「ママ、その質問は私にとっては思考に負担がかかってるよ」というメッセージだと気づきました。
コミュニケーションコストが高いと言われたときは、娘のフィードバックを素直に受け止め、より具体的に、そして娘に「あなたが大好きだよ。だからいろいろ知りたいんだよ」というメッセージが伝わるような聞き方をしていこう、そう思った母親業4年生でした。
今日はこの辺で。
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