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#79|たった一度の人生、もっと自由に。

生きる上で大切なことは色々あるけれど。
何を大切にするかも、人それぞれだけれど。

たった一つ、絶対に変えられないことがある。
それは「今の人生は一度きり」ということ。


泣いても笑っても、
どんな風に生きたとしても、

いま生きているこの人生は一度きり


だからもっと自分を表現することに自由になっていいと思う。



いま、近所のスタバでこれを書いている。
窓際のソファには、外国人のパパと5歳くらいの娘さん。二人とも溌溂とした活発さで身振り大きくおしゃべりしたり、手遊びをしたり。

周りに騒がしいと感じさせる大きさではなく、でも二人にとっては楽しさを満喫できるであろう溢れんばかりのエネルギー量で。

見ている方も、とても心地いい。



娘と歌いながら歩くことがある。
スキップしながら歩くこともある。

これがとにかく、自分の「大人の妙な自意識」から私の心を解放してくれる。心が自由に踊る感じに満たされる。

娘が持つ「生きているだけで楽しい」エネルギーが私にも伝わるのが分かる。



大人はつい「周りからどうみられるか」「この場ではどう振る舞うのが適切か」と考えてしまう。

場の秩序も大切だけれど、周りを気にしすぎるあまり不自由な生き方を選択せざるを得ない状況に自分を追い込むのは、もったいないと思う。

人間はもっと自由でいい。
自己表現も、他人の評価からも。



noteを含むSNSで発信を続けていると、どんな文章を書いても・どんな内容を伝えようとしても「どこかで見たような感覚」に陥る。

「これ、この前誰かも言ってたな…」
「二番煎じだって思われるかな…」
「真似したって思われるかな…」

あるいは、

「もっと役に立つようなこと書いた方がいいかな…」
「もっとPVやスキが付くような内容がいいかな…」
「これじゃ自己満足かな…」


そして書き進められなくなる。




何を気にしてるんだろう。

確かに自分の書いたものを誰かに読んで欲しい、その欲求はある。だから大勢の人の目に触れるプラットフォームを利用して書いているわけで。

読まれるためには、読まれやすい記事コンセプトや発信戦略があるということも知っている。
個人の発信量が桁違いな現代において、「読まれやすい」「エンゲージメントを高めやすい」方法の存在は有益だと思う。


でも。

「表現する」という原点に立ち返れば、何を書こうと・どう表現しようと自由だ

たった一度の人生で表現したいことがある。
その欲求があること自体が素晴らしい。
表現したいことは、誰もが自由に表現していいんだ。

誰かを傷つけない限りにおいて、自由でいい。



先日、noteでエッセイを綴っているライターのたかしおさんが、こんな記事を書かれていた。

たかしおさんはいつも等身大の発信を、素直な言葉で綴っている。大好きなライターの一人だ。

その通り!と膝を打った。

いろいろと考えすぎて発信できなくなっている人、自分が発信したいことが何か迷子になっている人、ほか「発信・表現」をしているすべての人に読んでほしい。


私の今日の記事だって、たかしおさんと同じことを書いている。

「二番煎じだって思われるかな」と思わなかったわけではない。

でも、いいんだ。
表現したいことを、表現するんだ。


たった一度の人生を生き切りたい

それだけだ。



▽ 他人との比較や劣等感から解放されたいときに ▽

▽ 自分をちょっと変えたいときに ▽

▽ noteを続けると人生変わるかも ▽


一緒に楽しみながら高め合える方と沢山繋がりたいと思っています!もしよろしければ感想をコメントしていただけると、とっても嬉しいです。それだけで十分です!コメントには必ずお返事します。