見出し画像

「Dr.コトー診療所」撮影秘話、モデルとなったコトー先生

TVドラマ放映から16年、映画化された「Dr.コトー診療所」は素晴らしかった!(ネタバレなし!)

原作は山田貴敏氏の漫画。
2003年、2006年とTVドラマはシリーズに。

私の最も好きな感動ドラマです。
毎話見ては、号泣してました!

実はコトー先生は、実際に鹿児島の離島で39年間、診療を行っていた医師をモデルにしているのです。
少子高齢化、過疎地域の増加、無医村などの問題提起にもなる作品ですね。

⭐結婚してて良かった~!

映画化、と聞いてまず気になったのは!

「コトー先生(吉岡秀隆さん)と彩佳(柴咲コウさん)は結婚したの!?」
「どうなのさ!?」

ってことです。
2003年~2006年のドラマでは、お互いが思いを寄せながらも、なかなかくっつかない2人に、やきもきしてたもんです。

そして予告編を見ると、彩佳のお腹が大きい!
ってことは・・・
「結婚してた~!良かった~!」

漫画でどこまで描かれていたのかは知らないけど、「Dr.コトー」ファンの多くの人がそう思ったのではないでしょうか?

⭐与那国島は、映画観てから行くべし!

映画「Dr.コトー診療所」は、もちろん、ドラマを全く見たことがない人でも楽しめます。

でも、ドラマを見たことがある人や、何度も見ている人は、下記ムービー、映画冒頭6分でアップになる「あきおじ」のわら草履で既に「ハッ!」と感動することでしょう。

そしてコトー先生が乗る自転車の手前に、何故か映るもう1台の自転車。
ってことはもしや・・・
「コトー先生の自転車が電動自転車に変わってる~!」と感動。

映画を一緒に観に行った友人の一人は、ドラマは見たことがないという。
映画館で横の席に座る友人に、
「お、教えたい!あの「あきおじ」のわら草履の価値を!」
とウズウズ。

実は、2003年、2004年、2006年とTVドラマはシリーズ化していましたが、私が初めて見たのは何年後かの再放送でした。

そして、私、撮影の場となった日本最西端の島、与那国島に2回行ったことがあるんです。

1回目はホテル「はいむるぶし」で過ごす旅、2回目は「海底遺跡」でダイビング。

なんと、どちらもドラマ「Dr.コトー診療所」を見る前に!
なんてこった!

実は、撮影のために建てられた「Dr.コトー診療所」はその後、オープンセットとなり、観光スポットの一つとして中にも入れます。

ここからは、私が2014年に与那国島の「Dr.コトー診療所」のオープンセットで撮った写真が続きます。
少々、画質粗め。

でも旅行当時は、「へ~、ドラマの撮影に使われたんだ」と、友人達と聴診器などでお医者さんごっこしてふざけてたくらいで、その価値が分からなかったのですが、ドラマを見た後、もっとじっくり見ておけば良かった~と後悔。

また行くしかない!

今回、映画化の情報が入ってからは、準備運動が必要と判断。
シリーズ全て見返して映画館へGO!

⭐ネタバレなしのざっくりストーリー

(2003年、2006年のドラマ)
19年前、コトー先生こと、五島健助(吉岡秀隆)は、都会の最先端の医療現場から一変、沖縄の離島、志木那島(しきなじま)へたった一人の医師として赴任。
当時、診療所には看護師の彩佳(柴咲コウ)と助手となる市役所職員1名だけ。

最初は警戒して近寄らない島民も、コトー先生に命を救われたり、命の尊さに執着する先生に信頼を寄せ、コトー先生は島で欠かせない存在に。

様々な誤解からコトー先生は、一度は島を追い出されるものの、それが誤解だったことや、先生が島に欠かせない存在だったことに気付く島民達。
船で迎えに行く剛洋くんと漁師である父、剛利(時任三郎)。

港に戻って来た船の船尾には船酔い真っ最中のコトー先生。
コトー先生が帰ってきた!と分かった彩佳がふ頭を走り出すシーンは涙、涙。

幼い頃、船上で腹膜炎手術を受けてコトー先生に救われた剛洋(たけひろ)くんは、医者を目指しみんなの応援を受けて単身東京へ。

(ここからが映画)
看護師、彩佳の乳がんや、彩佳の母親の病気があったり、様々な障害があったものの、コトー先生と彩佳は結婚して妊娠7ヶ月。

数年前から診療所に勤める島出身の看護師・西野那美(生田絵梨花)、新米医師の織田判斗(King & Prince・髙橋海人)も加わり、財政難の中、診療所を切り盛り。

ある日、大型台風による災害で野戦病院と化した診療所。
果たして剛洋は医者になれたのか?
コトー先生を襲う病魔とは!?

⭐16年ぶりの同窓会となる出演者

映画では、ドラマ当時の出演者そのまま!
まさに16年ぶりの同窓会!

吉岡秀隆さん、時任三郎さん、小林 薫さん、泉谷しげるさん、筧 利夫さんなどがダンディに年齢を重ねておられるのもステキ!
村長役の坂本長利さんは、93歳で現役!

皆さん、まるで昨日まで撮影していたかのようにすっとクランクインされたそうです。

子役だった剛洋(たけひろ)くんも大人に。

そして柴咲コウちゃんは変わらない!
可愛い!
美しい!

実は、子役、剛洋を演じていた富岡涼さんは、もう俳優業はやっておられなかったそう。
でも、中江監督、出演者は一様に、「剛洋(たけひろ)は他の人じゃダメだよね~」と、出演をオファー。
なんと、会社に休暇届けを出して撮影に臨まれたそうです。
良かった~!
私も彼じゃないとやだー!

主演の吉岡秀隆さんの代表作といえば、ドラマ「北の国から」。

20年間、純くん役を務めた「北の国から」が終わったタイミングで、「Dr.コトー診療所」の連続ドラマが始まったとか。

映画の公式HPの吉岡さんのプロフィール欄には、こう書いてありました。

「Dr.コトー診療所」は、それまで20年間純役を務めた「北の国から」が終わったタイミングで、連続ドラマがはじまりました。中江監督が純のイメージを変えて、役者として新たな命を吹き込んでくれた作品なので、僕にとってはとても大事な作品であり、役でもあります

⭐ヘリコプターに飛ばされて!などの撮影秘話

先日、「Dr.コトー診療所」の主演者達が語る「16年ぶりの同窓会」というインタビューを見た際に、ドラマ・映画の様々な撮影秘話の話がありました。

🔶ヘリコプターの風で吹っ飛ぶ!

映画冒頭でスクリーンに映る2台の自転車。
コトー先生が往診のために乗る自転車は、電動自転車になったんです!

2003年当時のドラマでは、普通の自転車。
海岸の岩壁沿いの道を走るコトー先生を撮るのはヘリコプターからの空撮。

そう!
ドローンなんて代物はないわけで、吉岡さんは、ヘリコプターの風で何度も吹き飛ばされたんだとか!

50歳を過ぎた吉岡さんは、電動になって安心されたそうです。

立神岩

🔶スタッフの努力

診療所の窓から見える美しい砂浜。
実は撮影の前には、スタッフ総出でビーチを掃除したそうです。

また、以前のコトー先生の往診の道がなくなっていたため、新たに道を作ったりしたんだとか。

小ぶりで可愛い与那国馬

🔶長過ぎる撮影時間

中江監督はなかなかOKを出さず、撮影時間がめちゃくちゃ長いことで有名。

ドラマ撮影の頃、時任さんや泉谷さんは、どうせ当分終わらないだろうと、待ち時間の合間に海に泳ぎに行ったりしていたそうです。

時には、与那国島まで行ったものの、待ち時間だけ、撮影なしで東京にトンボ帰り、なんてこともあったといいます。

長い長い撮影の後は、毎回、泉谷さんのおごりで居酒屋に行き、監督の悪口を言ったりして?出演者同士、とても仲良かったそう。

🔶海で頑張ったのに結局スタジオか~い!

2003年の第1話では、剛洋が腹膜炎を起こし、本島に着くまでは待てないと、コトー先生が夜の船上で手術をするシーンがあります。

その日、波が高く、船は大揺れ。
俳優陣が乗る船からは高波で時々撮影隊の船が見えなくなったり、不安になる瞬間もあったそうで、撮影は押しまくり。
結局、後日、スタジオで撮影したんだとか。

🔶お願い!殺さないで!

原作の漫画では、16巻の最後に彩佳が乳がんになったことを書いた際には、読者から「彩佳さんを殺さないで!」というメッセージが沢山届いたそうです。

そうだったのか。
彩佳さん、元気になって良かった!

🔶老眼にムチを打つ!

50歳を超えた吉岡さん。
手術シーンでは、老眼が出て手元が見えにくい中、手術用の糸結びを思い出し、必死だったそうです。

⭐銀の龍の背に乗って

「Dr.コトー診療所」のテーマソングは、中島みゆきさんの「銀の龍の背に乗って」。
これを聞くだけで泣けてくる~。

コトー先生が崖の上に座って美しい海を見ているシーンは、ドラマ冒頭やエンドロールでも流れます。

実はこの場所、与那国島では、「龍が上って来る場所」と呼ばれているそう。
龍が最初に爪をかける場所だから爪の形に凹んでいると。

でも、実はそのことを、この映画撮影までの19年間、出演者も監督も誰も知らなかったというのです。
なのに「銀の龍の背に乗って」。
すご過ぎ~!

ここ!
↓↓↓↓↓

予告編から引用

⭐コトー先生のモデルになった離島医

コトー先生のモデルは、瀬戸上(せとうえ)健二郎医師。

最初は、行政と「半年間だけ」という約束で鹿児島県、甑島(こしきしま)列島の最南端「下甑島(しもこしきしま)」に着任した後、なんと39年間もの長き間、「下甑手打診療所」で離島医を務められたのです。

面白くて楽しくて抜け出せなくなった、という状況だったそう。

ドラマ「Dr.コトー診療所」では、コトー先生が本島と志木那島を行き来する船で、毎回、船酔い、ゲロゲロ。

剛洋くんが教えてくれた、指をクロスさせる船酔い止めのおまじないをしながら、何時間も耐えて移動するシーンが何度も出てきます。

瀬戸上先生が赴任した1978年当時は、鹿児島本土から甑島の長浜港までは船で6時間ほどかかっていたそう。
現在では、高速船で1時間半前後。

上記サイトには、瀬戸上医師も、島民が届けてくれるわら草履を来て往診をされていた、とありました。

そうか!
あのわら草履も本物のコトー先生から来てたんだー!

外科医である瀬戸上先生。
実際には船の上で盲腸の手術をした、ということはなかったけれど、島のおばあさんが腹部大動脈瘤を起こして人工血管に置き換える手術は、医療機器が限られた島で、先生が本当に行ったそうです。

本来、大学病院でなら5、6人体制でやる手術。
それを先生と島の看護師さんの2人でこなしたんだとか!

2017年3月、瀬戸上先生は次の先生に引き継ぎ、鹿児島県内に戻られたそうです。

⭐ロボティクスで解決!?

2014年の統計しか見つけられませんでしたが、日本の無医地区は、633地域。

無医地区の定義
■中心的な場所からだいたい半径4km圏内に50人以上が居住している地区
■かつ、容易に医療機関を利用できない地区

少子高齢化が進み、地方には平均年齢が高い過疎の地域が年々増加。
既に「医師不足」と言われて久しく、今後、一体どうなるのでしょう?

離島など、無医地区になりうるような地域に何故医師が赴任したがらないのか、定着しないのか?

要因としてはこんなことがあげられています。

✅最新の医療から離れてしまう
✅専門だけでなく、あらゆる科、病気への対応が求められる
✅交代人員がおらず、365日24時間、呼び出されたら対応が必要
✅人口が少なく、採算の取れない地域には十分な予算が配分されづらい

最近、吉沢亮さん主演のドラマ「PICU 小児集中治療室」でも、広い北海道内の各地域で高度な医療を受けれるようにするためのドクタージェットの必要性をテーマにしていたようですね。

今後増えるであろう、地方における外科医不足、無医村問題などを解決するには、

🔶オンライン診療
🔶遠隔聴診
🔶手術支援ロボットを用いた遠隔手術
🔶ドクターヘリ、ドクタージェット

など、通信技術やロボット性能の向上が必要不可欠。

たまにロボットの最新技術の映像などを見ると、
「もうこんなに!?」
と驚くことがあります。

コトー先生がロボットになる日が来るのでしょうか。。。

映画「Dr.コトー診療所」、オススメです!

⭐⭐戸川みゆきのインスタグラム⭐⭐

国内旅行アカウント
グルメアカウント
海外旅行アカウント
ライフスタイルアカウント
ダイビングアカウント



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?