文字を持たなかった昭和 百七(料理―みそ汁)

 先に煮物に行ってしまった。昭和29(1954)年に農家へ嫁いで以降、ミヨ子(わたしの母)が毎食のように作っていたみそ汁に戻ろう。

 ミヨ子のみそ汁の基本は、煮干しの出汁に自家製の麦みそ〈93〉、具*は家で獲れた野菜、ときどき豆腐や油揚げだ。

 煮干しはけっこう大ぶりのものを使った。娘であるわたしは、ずっとあとになってから料理番組などで「出汁をとる煮干しは頭とはらわたを取って、できれば前の晩から水に漬けて…」と説明されるのを見て「へー。頭とはらわたからも出汁が出るのでは?」と驚いた。また、予め水に浸しておくこもなく、みそ汁を作る段階で水から煮出した。出汁をとったあとの煮干しは、飼い猫の餌になった。

 まれに鰹節を使うこともあったが、鰹節自体が高価なのと削るのに手間がかかるためか、鰹節はわりと特別な機会に使っていた。それも煮干しの魚臭さが邪魔しては困るお吸い物などに限られた。のちに粉末鰹だしやパック入りの削り節が出回るようになってようやく、煮干しの出番は減って行った。 具の野菜類のうち、根菜などの固いものは出汁をとりながら煮込んだが、菜っ葉などは火を止める直前に入れた。

 ときどき入れる豆腐や油揚げは近所の豆腐屋から、あるいはもっと近くの食料品店兼雑貨店で買った。

 みそは硬めの具が煮えた頃に入れた。あらかじめ大きな味噌樽から分けておいた小ぶりの甕から、必要量を「みそ漉し」に取って鍋に入れ、すりこ木で溶いた。「みそ漉し」は料理の先生が使うような網状のものではなく、カップ状の金属に目を打ち把手をつけたようなものだった。朝昼分を一度に作ることが多かったので、「みそ漉し」に入れるみそもけっこうな量だった。

 野菜は季節によって変わるから、ミヨ子のみそ汁には定番の具というほどのものはなかった。逆に、みそ汁に入れて違和感のないものならなんでも使った。家でできた野菜類でみそ汁に入れなかったのは、ニガウリ、キュウリ。それから「後発」組のトマトやピーマンだろうか。

 「百四(料理)」に書いたとおり、朝昼は「おかず」というほどのものをほとんどつけなかったので、みそ汁がおかずを兼ねていたこともあり、ミヨ子のみそ汁はいつも具沢山だった。

 夫の二夫(つぎお)に力をつけてほしいときや、子供たちの登校前の朝食では――経済的にゆとりが出てから、でもある――みそ汁に一人一個の卵を落とすこともあった。大きな鍋の中で、卵がくっつかないように火を通すのはけっこう手間だったが。

 そんなみそ汁を与えられ、自分でも料理を作るようになったわたしは、東京のテレビ局が放映する番組で「みそ汁を飲む」と表現されるのが不思議でしかたなかった。
「みそ汁は食べるものでしょう?」

 やがて思いがけず東京で働くことになり、初めて定食かなにかを食べたとき、お椀の中はほとんどが汁で、具は豆腐と少量のワカメ、せいぜいネギの小口切りが漂っているのを見て「なるほど、東京のみそ汁は『飲む』ものなのだ」とひどく納得したものだ。

〈93〉自家製のみそについてはわたしも手伝っていた。いつか書きたい。
*鹿児島弁「おっけん実」(おつけの実)。


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