【小さな「かけら」の心理学vol.1】心のイメージのちから
例えば、直観、夢、空想、思い出されること…ふとしたきっかけで、様々なことを想像したり、音楽や香りから何かを思い出したりする。スポーツや楽器の演奏の練習の時に、動作や曲をシミュレーションしたり、今ここにその現実はなくても、思い描くことで体験することができる。
ときに、創造的な発見をしたり、閃いたりするときも、何かをイメージとして描くことがある。ベンゼン環を発見したケクレ、DNAの二重螺旋構造の発見をしたワトソンも、夢うつつの中で見たイメージがもとになって、このような発見をしたそうだ。
私がPinterestを使って好きな画像を集めていただけで、何か懐かしい、子どもの頃の素直な感覚を思い出したり、あの時、あの絵本が好きだったな、こんなお人形で遊んだな…という記憶を、「楽しかったな」「好きだったな」という感情、懐かしさとワクワク感を伴って思い出させたのも、ひとつの心の中に残っていた記憶、イメージが、Pinterestの写真から感じたものと響いたのだろうな…と感じる。
ホームズ(Holmes,E.A.)は、感情をコントロールするときのイメージの働きについて研究していた。イメージは、言語よりも直接、感情のコントロールをすることができる、感情増幅器として働いているそうだ。
ネガティブな感情を和らげるには客観的に、ポジティブな感情を高めたかったら自己視点からイメージすると良いらしい。
けれども、人って、ちょっとネガティブな感情に浸りたかったりするときもあるんじゃないかな。あまりにもポジティブにやる気を出そうとしても、何かが置いてきぼりになるような感覚になる。
ポジティブが良し!とされる時もあるけれど、時に、自分が大きくなりすぎたり、傲慢になってしまうことがあって…私は単なるポジティブシンキングは好きではなかった。そのために慎重になりすぎたり、上手いこと表現できななかったりして、「暗い人」と言われることもあったけれど。
「カタルシス」といわれる、溜まってしまったネガティブな感情を吐き出して浄化されるような体験も、それで何かが癒されたと感じることもあるだろう。それだけではなく、「ネガティブ」という、一見暗そうに感じること、そこにある傷や痛み、悲しみ、後悔だって、私はそれがあることこそが、希望を生む原理ではないかと思っている。
だから、乗り越えられた。悲しかったから、傷ついたから、だから、こういうものが少しでも、世の中から減ったらいいな、癒されたらいいなと思うことが、自分の希望だったんだろうなと思う。
小さな記憶、ちょっとした懐かしさ、少しばかり思い出したくないような、胸がきゅっとなるような、そんな記憶が、そっと背中を押してくれることもあるのではないかなと。
[参考] 新・知性と感性の心理 行場次朗・箱田裕司 (福村出版)
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