【自分さがしvol.1】Pinterestで「すき」をみつける
「何してるときが、楽しいの?」
こう聞かれることが度々あった。
どういうこと?
「何が楽しくて生きてんのかなぁって…」
という豪速球、どストレートな球を投げられることもしばしば。
そうだな。
何か調べものしてて閃いた時!
それがあとから、何かと繋がりがあることを見つけた時!
それから、今は辞めちゃったけど、フラメンコ。
練習キツイけど、そのひたすら練習してる時間も楽しかった。
「……。」
なぜ、無言なのだろう。
どうやら、もっと分かりやすい回答を求めるようだということは感じる。
その時の周囲は、「子どもと料理する時間が幸せ」「子どもの成長をみてて」「孫が可愛くて」。
そうなんだ。
じゃあ、あなた自身は?
……と聞きたくなったけれど、聞いてはいけない気がして、やめておいた。
「好きなこと」「やりたいこと」が分からない
そういう悩みを持つ人は、少なくないと思う。
「好きなことと、できることは違う」
という、意味のわからない矛盾も出てくる。
じゃあ「好きこそ物の上手なれ」って諺は、何なのだと。
Pinterestは、アイデア探しに使用されることが多いのだろうか?
実は、本来何に使うものなのか、よく分かっていない。ただ、キレイな写真が多くて、眺めてるだけで何時間も経ってしまうくらいだった。
ある時、「何が好きなの?」「何してるときが楽しいの?」という、質問に答える気も失せて、終いには、私が楽しいと思ってたことって、「楽しい」で合ってるのか?と疑い始め、心身絶不調のとき、遂に、たったこれだけの質問にひどく傷付くようになっていた。
「自分の声」が聞こえない
私、何が好きだったんだっけ……。
何となくPinterestの写真から、「いいな」と思うものを集めはじめた。
数日間、無心にそんな作業して、ある程度まとまった頃、じっくり見返してみた。
あぁ、そうだった。
私って、こうだったよね。
涙が出た。
人の心、全て言語化できる訳ではない。
そういうものは、絵や写真の方が捉えやすい。
私が、あまり表に出してこなかった、自分の女性性。まぁるくて、やわらかい、広い世界観。
自分が、自分で抑え込んできたもの
見るのが辛かったもの
それは、ある日からずっと、私を縛り付けていた傷付く言葉と一緒に、涙になって出ていった。
何でもないことです。
でも、イメージの力は、はかりしれない。
言葉にすることが難しいとき、写真、絵本、美術や音楽、森林や海、自然に触れると、思いがけず「自分」に出会うことがあるかも知れない。
それはもしかしたら、子どもの姿をして出てくることも、あるかも知れない。
自分の本心は、なかなか見付からない。
それだけ、「世間一般」「常識」、それは家族代々に流れているものや、学校教育、社会人になれば業界や会社、そして時代から、我ならざるものを沢山吸い込んで、私たちは大人にならざるを得ない。
なので、子どもを育てることは親になることではあるけれど、そこに、子どもの頃の自分も見るようなことも、子どもの頃してもらえなかったことをしてあげることもできる。忘れてはいけないのは、別の人間であるということだけれど。
でも、それが難しい場合は、自分の中の「小ちゃな自分」を育ててみたらいいのかと、やってみたところ、今、だいぶ大きくなっています。
(また、修正するかもしれません)
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