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「一人遊び」のススメ

(先に書いておきますが超長文です。
 おヒマな時にでもどうぞ……)

誰に褒められなくとも
一人でどれだけ遊べるか、、、

写真においても
人生においても
結構大事だと思っています。。。

マイルールを決めて
自分の体力や時間と相談しながら
その範囲内で遊ぶ

楽しむためのルールなんて
そんなにガチガチに考えず
何だって良いんですけどね

『ぶっ壊れた三角コーンを10枚撮るまで帰れま10』くらいの縛りでも良い。
(真夏は辞めときましょう!)

楽しむために
状況やら何やらで
ルールは随時更新

写真を楽しむために
そんなもんに首を締められちゃ
本末転倒、なぁんにもならん。。。

ハッキリ言って
真夏に長時間のスナップは死ぬ。

3枚でも5枚でも良いし、
三角コーンじゃなくても良いし、
一日一枚自分の影を撮る、でも良いし、、、

まぁ、何ならやらなくても良い。
街に出なくても良い。

一瞬だけお庭やベランダに出て
撮れるものを撮る、くらいでもよし。
テーブルフォトの腕を磨くもよし。

写真も撮らなくて良い良い。

ExcelのVBAでお手軽に遊ぶもよし
AIの養分になるべくAIと遊ぶもよし

自分の人生を楽しくするために
使えるものは何だって使う
使えそうなものは何だって試す

「そんなん、何がおもろいの?」
と言う前に、ね。

誰かとのフォトウォークの時にも
みんなと楽しみながら
ちょっとだけ一人静かにこっそり
そのルールで遊んだって良い良い

ルールや縛りがなければ
写真は楽しくない

ちなみに、在京時代の最初の先生は、

「みんなで寄ってたかってひとつのキレイな花を撮って同じような写真になるくらいなら、ひとりその場から離れて足もとのゴミをキレイに撮りましょう!」

という、大らかな方でした。

先生も参加者も撮影時は我が道を行っていて、参加者のお兄さま・お姉さま方は花やキレイなモノを一生懸命に撮ってました笑

宮田は先生の言うことを聞いてみんなが撮らないようなモノばかり見ていた。

んまぁだからといってね、先生の言葉を額面通りに受け取って、足もとのゴミばっか撮っていれば良いって訳ではない笑

絵になるものを探して撮り、、、

絵にならないものでも探して撮って絵にする。

これは両輪でどっちも大事。

大事だからこそ、出来れば、ルールや縛りは自分で作ってほしい。

言われるがままゴミばっか撮ってるんじゃなくてね笑

が、、、

ルール決めから始まるこの一人遊びを
できない人、やらない人ってのも結構いて
なかなかモッタイナイなぁ、と。

「それの何がおもろいの??」
「全然分からん」
「くっだらねぇ」
と、はなっから拒絶したりしてね

んまぁ、、、ね、
人生って、、、
大抵のことが
くっだらねぇことなんす
んで、キツいんす

だからもっともっと
人生を楽しむために
自身を追い込むが吉なんす

誰かに楽しませて貰うんじゃなくて
自分で率先して楽しむ

楽しむための道やレールは
自分で敷く

自分自身もそうなんだけど、
年を取ってから苦労するのは
この辺りではなかろうか??

まぁそれは置いといて、、、

くっだらねぇスナップ写真も
まぁ言ってみれば
一人遊び

肖像権などなどの問題で
誰にも見せられず
日の目を見ずに終わって行く
そんな写真は多々ある。

でも、マイルールとして
「撮る!とにかく撮る!街に出て撮る!」
「他人の人生の一瞬を掠め取る!」
「顔は絶対にボカす!」
「今すぐはムリだけど5年後に公開する!」
と決めて、動く!
まずはとにかく動く!

ちなみにコレは10年以上前の写真

「それが何になるんだ?」
と問われると、

「何になると思います?」
と返してみようかしら、、、?

「何になるか」
ではなく

「何にするか」
がキモ。

「何をどう血肉にするか」
というか。

そらぁね、ボロッボロのビニール傘を撮ったって、サインポールや片手袋や犬フン看板を撮ったって、、、ねぇ。。。

フツーに考えたら、なぁんにもならんわね笑

自分自身の血肉にすべく役立てられるかどうか、それってやっぱり自分自身の気持ち次第かな、と。

これは「待ち」「受け身」の人に外側からいくら言っても響かない。

あ、そうそう。ネコを撮っていると役に立つことは一杯あるかも知れない。ネコとのコミュニケーションは当然のこと、瞬時に露出や構図を考えたり。どちらも結構ムズカシイ。。。

地域猫を管理している人とコミュニケーションをとることもできる。結構、気難しい人も多くて、どう会話するかなどを考えると色々とプラスになる。

でもね、、、大半のスナップ写真は、
スナップ写真を撮る行動は、
悲しいかなムダに終わってしまう。

「ええっ……
 撮ってもムダに終わるなんて
 じゃあそんなん、やらんでええやん……」

と、いちいち否定していたら
そこで試合終了ですよ??

否定して、否定し続けて、
「誰かがワタシに何かをしてくれるだろ」
「というか、やって」
と、一歩も動かなくて良いほど
人生はそれほど長くないし
他人は動いてくれない。。。

さて、この辺りですでに
とんでもない長さですが、、、

一人遊びの究極のプロフェッショナルとして
ヴィヴィアン・マイヤーという
写真界の異端児について、
長々と書いておこう笑
(前にも書いたかな??)

1926年生まれのヴィヴィアン・マイヤー
2009年、83歳で没

乳母や家政婦をしながらその合間に
主に二眼レフのローライフレックスを手に
ニューヨークやシカゴ、ロサンゼルスで
開発が進む街並みや市井の人たち、
あるいは自分の姿の写り込みなどなどを
ひたすら撮り続けた異才

ただ、、、

フィルムで撮って、
もちろんネガは作ってたんだけど、
ほとんどの写真を紙に焼くことなく、
展覧会など公に誰かに見せることなく、

この世を去った。。。

https://www.vivianmaier.com/

誰に見せる訳でもないから
誰に褒められるでもない。

見せずとも、
褒められずとも、
それでも淡々と続けていた奇才

時を経て、亡くなる数年前に
たまたま大量のネガが「発見」される。

15万枚以上といわれる貴重な写真群が。

オークションでゲットしたそれらの写真を
SNSにアップした当初は
リアクションは薄かったようだが、
彼女が残した圧倒的な量と質により、
ウィルスのように世界中に広がって行った。。。

ちなみに
同時代のシカゴには、ヘンリー・ダーガーもいた。

1万5千ページにも及ぶ一大叙事詩を誰に見せることなく執筆。。。

正式なタイトルは、

非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ―アンジェリニアン戦争の嵐の物語

というらしい(上のページからコピペ、松閣オルタさん、すみません、ありがとうございます……)

ヴィヴィアン・ガールズ」が登場するのは単なる偶然だろうけど、同時代のシカゴに、異端児が二人(もちろん、もっと多くの様々な異端の傑物がいたはず)

こちらはアウトサイダーアートに分類されるが、ヴィヴィアン・マイヤーもなかなかのものだと思う。

そんな
究極の一人遊び

自分のような凡人には
そこまで極端な存在にはなれないが

やはり、一人遊びをやり慣れている方が吉
とは思う。

「誰も何もしてくれない!きーーっ!」
じゃなくて、ね。

一人でコツコツ
みんなと撮り歩いてもコツコツ

コツコツ、コツコツ、撮りためる

もちろん、みんなでフォトウォーク
コレも絶対に大事!

やっぱね、誰かと撮って、誰かに見せないと
モチベーションがもたないっす笑

どっちか両極だけに振るんじゃなくて、ね。

ナニゴトもバランスよく。。。

あ、そうそう

僕はワークショップでは、
ある程度の道筋は示す。

「赤いもん撮れよ」
とか
「丸いもん撮れよ」
ってな感じで、

誰でも撮れる撒き餌を使って、
『地図』に、なぁんとなくの
ポイントだけをチェックしておく。

地図的に言うと、

「ここを通ると面白いかもねぇ」
「このポイントはアレに役立つかもねぇ」
「急がば回れ、の道かもねぇ」

的に、分かったような、分からんような、
ふわっとした道しるべ。

んまぁ、もちろん色んなタイプがいて、

「ははぁん……宮田の野郎……
 ホントはこういうコトなんだろうな……」

と、意図するところを察する人もいれば、

「『地図』渡されたけどさ!
 見方が分からない!
 見方を教えてくれない!
 どんどんチェックポイント増える!
 ウチの周りにチェックポイント無い!
 こんな地図、役に立たねぇ!
 こんな地図しか教えられない
 宮田は役立たず!」

とかなんとかを、、、いう人もいるとかいないとか。

でもね、宮田がやって欲しいのはね、
そこじゃないんです。

んまぁ宮田が提示したサンプルと
同じようなものを見つけるのもまた
スナップの面白さではあるんだが、、、

PCやスマホの前で
カメラを後生大事に握りしめて
ウダウダ・グダグダ言ってないで、、、

一人」で「」を歩いてみて欲しい。

歩き方のルール
何を探すかのルール、などなど
自分自身でアレやコレや決めて
ジックリと街を観察しながら
歩いてみて欲しい。

田舎の道だって良いと思う。

「宮田が撮れって言ったものは
 絶対に撮らない!」
でも全然良いと思う!笑

ピンっと来る被写体はありませんか?

目の前を走り去っていきませんか?

それを見逃していませんか??

アナタの写真は
アナタにしか撮れないのです。。。

「この道を歩くと良いですよー!アナタの感性にビビッとくるモノはアレとコレとソレですよー!カメラの露出設定はこの天気でこの明るさだとISO感度がこうで、シャッタースピードがこうで、絞りはこんな感じで、ホワイトバランスはこんな感じ、、、はい、そんな感じですよー!失敗を抑えたいのであればRAW+JPGで撮っておきましょうねー!JPGのサイズと品質は最高にしておきましょうねー!ハイ、カメラを構えましょうねー!はいはい、今がシャッターチャn、、、はい、ちょっと待ってねー、、、はい、シャッターチャンス!どうぞーーー!」

って教えられたり指示がなければ撮れませんか??

そんなことないですよね!

探せますよね?

撮れますよね??

ただただ、一人遊びルールを決めて
自分のアタマにビビっと来たモノを
撮れば良いだけなんです。

だって、ねぇ、、、

そんなお膳立てをされて撮った写真なんて、「誰の写真なんでしょう??」ってことになるじゃないですか笑

宮田がお題を出すのは、「日々、それを撮れ」「まずは撮り慣れろ」という意味はもちろんあるんだけど、そこに留まるのではなく、、、

それ以上に自分自身がビビッとくるモノを街の中から自分のアタマで探して欲しい、という想いを込めている。

なので、フリーのお題のフォルダも準備している。『何でも良いよ、自由に撮って良いよ』フォルダを。

が、「課題」をこなすことに必死になり、どうしてもそっちに注力してしまう。

やってほしい「本質」や「答え」はそこになくて、、、

自力でビビっと来るものを自分の足で探して撮って、みんなに見せることに意義があると思っていて、、、

でも、

「まぁこの辺を撮っておけば『写真』になるだろう」「周りも先生も納得するだろう」的に、いつの間にかストライクゾーンに置きに行ってしまう。

スナップ写真はそんなもんじゃなくて、「あ、これだ!」「この瞬間だ!」「みんなをビックリさせたい!」「笑わせたい!」とビビっと来て撮ることに意義がある。

「あいつ、ワタシに全然ビビっと来ることを言わないし、ビビっと来るお題も提案しない……ダメ講師について行ってもなぁ……」

まぁ撒き餌を使って上手く導けないってことはダメ講師だと思うので不徳のいたすところ。

が、ただただ受け身の待ちの態勢でいるようでは、感性を磨くためのインプットもしないようでは、優れた写真には繋がらないと思います。

おそらくその辺りが、写真が伸びる人・イマイチ伸びない人の分かれ道のひとつだったりするのかも知れない。。。

田舎だろうが道を歩けば、「撮っておくれ」と光を放って手招きしているモノ、結構いてくれるんですけどねぇ。

なかなか、ねぇ、伝わらない人には伝わりませんわねぇ。。。

はい、伝えられないワタクシ、まだまだ修行不足!

そんな宮田の戯言にだまされず、
自分自身にフィットする
写真ライフの楽しみ方を是非にぜひに!

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