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06月01日は「写真の日」【今日は何の日】

本日06月01日は「写真の日」。過去の「写真の日」のnoteでもリンクしつつ現在の思いを追記するくらいでお茶を濁そうと思ったが、、、

04月10日の「フォトの日」とか
08月19日の「世界写真の日」は書いているんだけど、

06月01日の「写真の日」には特に書いていなかった。

ちなみに「フォトの日」は、04(フォ)10(ト)の語呂合わせから、フォトの日推進委員会(株式会社ビックカメラ・株式会社キタムラ・株式会社コイデカメラ・株式会社プラザクリエイト・株式会社ヨドバシカメラ)が制定したもの。

写真を撮るだけではなく、写真を贈ったり飾ったりする文化が広まりますように、そして写真の力や素晴らしさがより多くの人に伝わりますように……という目的、らしい。

んで、「世界写真の日」ってのもあって、それの由来は、フランスの画家で写真家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが発明した銀板写真法である「ダゲレオタイプ」。

この写真法の発明に基づく特許をフランス政府が買い上げて、誰でも無償で自由に使用できる政府通達を発令した1839年08月19日に由来する、らしい。

で、ようやく本題。

06月01日の本日は「写真の日」

日本写真協会が「写真の日制定委員会」において1951(昭和26)年に制定。1841(天保12)年のこの日、日本初の写真が撮影された。写真機はオランダから献上されたもの、被写体は薩摩藩主の島津斉彬。

(Wikipediaにそのダゲレオタイプの写真も載っています)

斉彬は撮影技術自体にも興味をもち、城の写真を自ら撮影したとも言われている。写真界の超々々大先輩の斉彬パイセン。

ちなみに1841年にはピエール=オーギュスト・ルノワールや伊藤博文が生まれている。だから何って訳でもないけど、写真の歴史もなかなか凄いなって。

そんな写真の日に、、、特に撮影に行く予定もなく、また明け方までダラダラ仕事してしまって朝焼けを観てしまった。。。笑

そういえば、自分撮影史上最古の写真ってナンダロウ?と考えた時に思い出すのは、小学生の時に家のコンパクトフィルムカメラで撮ったモノ。

実は現像しないまま、そのまま置いている。

現像しないままというか、特にするタイミングもなくて、ああ学校でやれば良かったんだな、と今になって思うんだが、まぁそれは置いといて。

で、これが本当に自分のモノかどうかが分からない。

このフィルムが生まれたコトの経緯としては学校のクラブ活動。おぼろげな記憶だが半年毎だったか3か月毎だかで違うクラブを選んで変えて行くものだった。

運動部の次は文化部みたいなルールもあったような気がする。

何年生だったか忘れたけど、バスケクラブで過ごした次、入りたいクラブも特になくて友達数人と写真クラブへ。

本当に申し訳ないが先生の名前も顔も覚えていない……宮田雄平史を作るのであれば写真に最初の最初に触れた瞬間なのに……

んでまぁそん時の課題は、フィルム1本撮って先生に提出し現像してもらうというもの。

ん~~~。ホントは自分の手で現像して写真を焼くところまで行かないと意味がないんじゃないか?とも思うんだが、、、

まぁ部活ではなくクラブの短い期間だし、暗室自体が全然狭い。引き伸ばし機が2台あったっけ?1台だったかもって、流しもめちゃ狭。

そのうえ人数が結構多かったので、しゃーなしですな。

で、週の座学や課題をしながらなので先生の現像が全然追い付かず。フィルムも撮ったは良いが提出しないまま手もとに残った。数人いる友人のうちのひとりも出せずじまい。

たまたま同じフィルムだったので、何故か「んじゃあ交換しとくか」みたいな流れに。なにこの青春。

「でもやっぱ辞めとくかぁ、自分の撮った写真観たいよね」みたいなことになり、、、

「いやでも、こうするとちょっと面白くね?どっちのフィルムがどっちに行くか」

と、後ろ手にして2本のフィルムをくるくる、がちゃがちゃ、ごちゃ混ぜにして机の上にどーーーん!

「どっちにする?」
「ん~~~~、じゃあコッチ」
「じゃあ俺はコッチ!」
「現像したら見せ合おうぜ!」

ってなったが、どちらも特に現像せず、見せ合うこともなく、彼は引っ越して行った。

だから自分が撮ったモノか、友人が撮ったモノなのか、いやいや全然違って父親が撮った家族旅行写真なのか、、、思い出や妄想が膨らみつつ現像してみないと分からないシュレーディンガーのフィルムが目の前に。

せっかくの「写真の日」なのでそのフィルムを写真に撮って残しておきます。

しかしまぁ度重なる引っ越しでも負けずについてくるこの根性よ。このまま現像せずに僕が焼かれる棺に一緒に入れて貰おうと思います。


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