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午前中で終わる学校15

~型破りを型破る~

世界中の皆さんへ

僕のつくりたい学校は
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
をすべての授業で大人が意識している学校です。

0の章(あきら)「絆は排他を生む」⑭~足並みを揃えられなかった「みやしー」の生き方より~

【カフェスクール構想】~『学多く人生短し』を実感する場~
・コーヒーが飲める
・地元で採れた果物や野菜のジュースも飲める
・時間帯によっては酒も飲める
・旨いものだって、ちょっとはある
・上記は格安にしたい 下記は無料
・遠方割引がある
・「付け」あり
・「ソロ」「ペア」「小グループ」「大グループ」別のルームがある
・「ソロ」ルームにはミニ図書館がある
・「大グループ」ルームには演奏や演劇ステージがある
・Wifiは飛んでる
・「学校作り」「授業作り」「授業検証」などのミニ講座が無料で開かれている
・老若男女問わず学びの場~無料塾~になっている
・「みやしー」がお客さんをつなぐ
・お客さんどうしも勝手につながる
・つながった人でなんかやってみるってことになったら「みやしー」が応援する
・必要があれば、外に出て「遠足」「社会科見学」「宿泊体験」「旅」に出かける
・「みやしー」教え子のための歴代の写真&学級通信等の記念物を見られるコーナーがある
・世界中の教員や保護者や生徒児童から送られた「授業ネタ」庫がある
・「みやしー」の教え子やその保護者で、「志がある人」と「志がない人」がスタッフになる
・「生きること」が楽しい人も楽しくない人も、時間によって変わる人もスタッフになれる
・「みやしー」のかみさんと娘たちがスタッフかもしれない
・うまくいけば「ハワイ~オアフ」に存在するかもしれないけど、山梨県清里かもしれない


5の章(あきら)「担任裁量」~学級王国復活、競い合い、支え合い、応え合い、多様性と世界を学ぶBAND授業~

【学級王国復活】
・「学級王国」って、マイナスイメージとして取り上げられるけど、あながち悪くない。そこに何か「すごさ」「あこがれ」「おもしろさ」「独自性」があるから。そして、だいたい、クラスがうまくいっている時にその言葉が使われるから、背景としては「嫉妬」もあると思う。担任にもっともっと「裁量権」を持たせて、たくさんチャレンジできる環境にしてあげた方がいい。「午前中で終わる学校」13でも話題にしたけど、『スモールイズビューティフル』の考え方で、「学級王国」どうしが、刺激し合い、調和し合い、応え合う関係性が作れたら、学びの場としての質が高くなると思う。「横並び」で「全体として向上」を前提にすると、どうしても「低きに合わせる」流れになりがち。「全体として向上」はもちろんねらうべきことなんだけど、そのために競い合い、支え合う「学級王国」の連帯が、「ありのままの」担任一人ひとりを生かしていていいな。保護者や子どもの中でも「隣のクラスと違う」ことが気になる人はいるけど、「多様な世界」の学びとして「違う」ことを前提にすることで宣言したらいい。「うちの学校の先生方はそれぞれの方法で学びを作っていきます。その多様性を楽しんでください。その応え合いやハーモニーを楽しんでください。そこで育った子どもたちは多様であることに寛容な人として、未来を拓いて生きていくでしょう。」みたいな宣言。そもそも世界は「違い」だらけ。そしてその「違い」が争いや悲劇のもとになってしまっている・・・「違い」に強くなる、「違い」を楽しめる子どもたち、大人たちになりますように。
「午前中で終わる学校13」
https://note.com/miyashii/n/n42060114e17e
以前、沖縄アミークスインターナショナル小学校・中学校を旅した時に、校長先生に「うちの学校では、担任によって教え方も教室のレイアウトもそれぞれ違っているんです。保護者も子どもも納得して登校しています。」とおっしゃていました。実見して、確かにそうでした。
https://www.amicus.ed.jp/

・2年連続のクラスの持ち上がりができなくなって久しいですが、これも「学級崩壊しちゃうから」というマイナス面が理由のひとつです。2年連続のドラマもたくさんあるのに・・子どもたちの2年間の変化成長はすごい。それを目の当たりにしたらいい。「全体として向上」するために「突出」する教員~2年間を作れる教員が「道しるべ」になる。
・教員の仕事は「税金」で成り立っています。だから全体に返す。世界全体に返す。そこで、子どもたちも大人たちも生きていく。だから、世界全体に返す。「スモール」だけど「世界」はいつも視野に、心に入っている。
・小学校でも中学校のような「教科専任制」が流行りです。多くは学年内で教科分担をしています。僕は反対。逆にほぼすべての教科を学級担任が担当すればいい。「教科」はツールでしかないので、「専門的」にならなくても「学び方」を様々なツールで学べばいい。朝から帰りまで「全人格」を育てるために子どもをじっくり見る時間があるのがいい。現状では、ひとつのクラスを数人の教員が教科担当を分担しているけど、「教育」や「子ども」「授業」について応え合う時間が確保されているわけではない。「チーム」を大事にするなら、ミーティングの時間も組織として設定すればいいけど、結局勤務時間外になったり、ゴールの見えない雑談になったりしていて、多くのスタッフが寄り添えるシステムになっていない。だから「午前中で終わる学校」にしてミーティングを設定することができるなら、「教科専任制」も一部ありかも。自分が担当していない教科の授業準備の時間が不要になるから、担任は楽になる側面もある。でも、このために、小学校なのに「私、理科を担当したことがないんです。」なんていう教員が生まれちゃう。

次回は
【少人数、能力別って、本当に必要?】
【応え合い 学び合い 競い合い 支え合いの授業】
【BAND授業で多様性と世界平和】
【ワールドシステムで「与えてはみ出しを楽しむ」】
【授業自作、テスト自作】

夏休みに入るかも!?

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