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午前中で終わる学校13

~型破りを型破る~

世界中の皆さんへ

僕のつくりたい学校は
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
をすべての授業で大人が意識している学校です。

0の章(あきら)「絆は排他を生む」⑫~足並みを揃えられなかった「みやしー」の生き方より~

【パブリックのいったん分断からのゆるい連携】を提案します。
今回のコロナ対応で同じ地域でも学校ごとに大きな違いが見られました。
情報の共有ができていなかったり
校長どうしの意見のすり合わせができなかったりして
驚くような違いが発生していました。
そのことで、保護者や教職員が?になっていました。
でもでも、みんな、プラスの方向で考えているのなら、という前提ですが
「足並み揃えが難しい」のではなくて「足並み揃えなくてもいい」
「足並み揃ってないのが面白い」「多様なことで刺激し合おう」でよいのでは。
「午前中で終わる学校9」でもやりとりしましたが
公立学校なんだけど、もっともっと独自でいいんじゃないかな。
市、区、近隣校で揃えずに、情報だけはオープンにして
揃ってないことが、初めからプラスの意味で宣言してあれば
お互いの不信感は生まれないでしょう。

さらに言えば、学年や教室もそれぞれが機動力、即応性をもって活動できる
前向きな【分断】、【スモール】な単位で存在するのはとてもいい。

『スモールイズビューティフル』というのは
イギリスの経済学者、エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーが執筆した経済学に関するエッセイ集の名前でもあります。「小さいことは美しい」「身の丈にあった技術の重要性」が主張されています。「グローバル経済の急速な拡大がもたらした、物質的な豊かさの実現とともに、同時に生み出してきた痛みにもしっかりと耳を傾けること、そして、自然環境との分かち合いの調和のもとに、人々の生きがいや幸せであふれる生活・仕事を行えるような経済の在り方を提起」されています。その思想を受け継いで生まれたのがイギリスにある、小さな大学院『シューマッハ・カレッジ』です。
greenz.jp/2018/06/27/localeconomy_2/

このグローバル社会の中で『スモール』を唱えるのは逆行?
でも、このコロナ禍で『スモール』の価値も実感できたはず。
国の『スモール』さ、自治体の『スモール』さで守れるものもあるって分かったはず。
大きな組織の中で、小さな存在が苦しんでいて気付かないことがある・・・
だから『スモール』な組織で、小さな存在を大事にしたい。

そして『スモールの連携』
独自性をもち、個を生かせる『スモール』が
情報をオープンにして応え合う。

実際に旅をする応え合いもいいし
オンラインで応え合うのもいい。

【パブリックの分断】は排除や孤立や争いではなく
一人ひとりが生き生き、わくわくする、前向きな作戦。

僕は学生時代、「学童保育」のアルバイト&ボランティアを4年間していて
そこで、学校では一切しゃべれない女の子Yちゃんと出会いました。
Yちゃんは、学童保育ではおしゃべり好きでしたがやや陰のある子でした。
僕は、その頃から、旅好きなので
学童保育のアルバイトの立場、しかも若僧なのに
学校の懇談会や授業参観に参加していました。
(今考えると、身分不詳の僕を入れてくれた寛大な学校に感謝です。)
『あ~Yちゃんの居所が教室にないんだなあ』って分かって
そして、『Yちゃんのためにもヨコハマの学校をぶっ壊さないといけない』と思うようになって、採用試験を受けたのでした。
大学を卒業し、学童保育を辞めるとき
学童保育でアルバイト仲間だった若い女の子(彼女ではない)から
「先生らしい先生にならないでね」とはなむけの言葉を送られて
やけに響いたのでした。

結果、特に学校の中で

みんなに認めてもらえる「型破り」を型破り
みんなが喜ぶ「異端」を大きく外れた「異端」になり
仲間がたくさんいてちゃんとした組織に属している「一匹オオカミ」ではなく組織になじめず本当にひとりの、他人にとっては不快感の塊のような
「先生らしくない先生」になって
保護者や子どもたちや旅で出会ったひとからは、
だんだん不安になるくらい繰り返し(笑)そう言われるようになったのでした。


4の章(あきら) 評価~謎ルール:相対評価を加味した絶対評価~①

あゆみ(成績票)のABCや54321の話です。

到達目標(観点・内容)を評価「規」準といい
到達目標に対してどの程度到達できたかを判断する指標(目安)を評価「基」準といいます。

例えば、体育で
【評価規準】到達目標「逆上がりが出来るようになる」
【評価基準】経過目標「補助板使用で逆上がりが出来た」← 補助板を使っているからAにはならずBかな、みたいな感じです。

さらに、算数の6年生「分数のかけ算、わり算」の単元の「評価規準」は
《観点》『知識・技能』  
・乗数や除数が整数や分数である分数の乗法及び除法の意味について、小数の乗法及び除法の計算の考え方を基にして、理解している。
・分数の乗法及び除法の計算ができる。
・分数の乗法及び除法について、整数の場合と同じ関係や法則が成り立つことを理解している。
(「『指導と評価の一体化』のための学習評価に関する参考資料」
文部科学省国立教育政策研究所 教育課程センター発行 より)

以上のようになっていて、評価「基」準の方は、上記3点について、理解や計算がどのレベルまでできるかの判定をするのですが、多くの場合は、体育のそれよりは複雑になるので、単純にテストの点数に置き換える場合が多いのではないでしょうか。
※他にも『思考・判断・表現』『主体的に学習に取り組む態度』という《観点》があります。


「絶対評価」とは予め決められた評価基準に基づいて個々の能力や成績を評価すること
例えば、テストなら、95点以上はAとか60点未満はCとか、です。
だから、全員がAもあり得るということ。逆にAがいないもあり得るということ。

「相対評価」とは、集団内のどの位置にいるかによって個々の能力や成績を評価すること。
例えば、Aはクラスの人数の10%、Bは80%、Cは10%とか、です。
だから、必ずA(5)もC(1)もいるということ。

そして指導要領では、学校では「絶対評価」で評価することになっています。

だから、授業者によってAが多くなったり、Cが多くなったりする可能性はもちろんあるわけです。

さて、ここからは、物語。
あるクラスだけ、Aが多かったときや、Cが多かったとき

「Aの人数を揃えましょう。だいたいひとクラス12人くらいにしましょう。」
「あなたのクラスだけAが多いと、評価の信頼度が下がります。」
※信頼度って、保護者からの?保護者が全員の評価を確かめる術はほぼないです。
「95点をAの評価基準にすると、Aが多くなっちゃうから、Aの評価基準を98点に変えましょう。」

これって、「絶対評価」なの?

「評価基準」が評価の直前に決まったり、後から変更になったり。
「評価基準」は保護者、子どもにオープンにできるようになっているの?
教職員一人ひとりがよく理解しているの?
そもそも論で
「評価」「評価規準」「評価基準」について教職員をはじめ、市民は論じているの?
現行の「評価」は世の中のニーズなの?
現行の「評価」は子どもの変化成長に役立っているの?
現行の「評価」は未来に向けて必要なの?

さて、物語の実態やいかに!?

つづく・・・

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