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午前中で終わる学校12

~型破りを型破る~

世界中の皆さんへ

僕のつくりたい学校は
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
をすべての授業で大人が意識している学校です。

0の章(あきら)「絆は排他を生む」⑪~足並みを揃えられなかった「みやしー」の生き方より~

ちなみに僕は子どもの頃、世の中でも有数の挨拶しなかった子どもだったと思います。「しなかった」じゃなくて「できなかった」かな。挨拶は「幸せの循環」だったのに。

僕が考える『プロフェッショナル』
【プロとは必然と覚悟、そして実験を楽しめる人】

「クラスの子どもたちの挨拶、声かけが素晴らしいですね。」
「まだ4月なのに、子どもたちが、自分たちでこんなに学べるようになっているなんてすごいですね。」

保護者や他の教職員からこんな言葉かけがあったとき、
「保護者の皆さんの育ての成果です。」と答えたり、
「今までの先生方のおかげです。」と答えたり。

もちろん、表向きはその理由でいいけど、(実際、そういう部分もあるけど)
『自分のこのやり方が功を奏している』
『自分が打ったあの手が当たったんだ。』
『あの子とあの子を、この場面で、こうマッチングさせたからだ。』って
子ども(たち)の心の在り様や行動の理由が説明できるのがプロだと思う。
自分の仕事と結果を『必然』でつなげられるひと。
例えば、料理人は、客に「おいしい」と言われたときに、心底その理由が分からないなんてことがあるんだろうか?もし分からなかったら、それはプロの料理人じゃない。

『偶然』や『他力』ではない。
『結果』を、『覚悟』をもって受け止められるひと。
上手くいっても、上手くいかなくても、ひとの責任にせず
自分の『結果』として受け止められる『覚悟』
『覚悟』がないところに『自由』はない。

仕事のすべてが『実験』
「こうしたら、こういう反応があるんだということが分かった」の繰り返し。
子どもに対しても、保護者に対しても、同僚に対しても・・・
『実験』だと思うと、うまくいかなくても、なぜか楽しい。
トーマス・エジソンの言葉を借りれば、
【失敗したことがない。たんに、うまくいかないだろう一万の方法を見つけただけだ】
『実験』を楽しめるひと、それはうまくいかない経験を
昔も今も積み重ねることができるひと
ずっと、うまくいっていると思えていたら、それは、実は何事も成しえていないということ。
プロは批判される側にいた方がいい。批判されなくなったら、何事も成しえていない。
何かが真に変わっていくときには軋轢がある。
うまくいかないことが続いている、その体験の方がひとに届く。学びの種になる。
だから、それは失敗ではない。

プロの『必然』について、僕の雑感。
教員どうしで、クラスの子どもたちについて語り合うとき
「かわいい」「子どもたちが好き」って言葉を使うことがある。

僕はその話には乗っていけない。
僕は、子どもたちのことを「かわいい」「好き」と思ったことはない。
僕は、自分や同僚が関わって、子どもが『変化成長』する姿が「好き」。

「今度のクラス、みんないい子!」っていう言葉も多い。
僕はその話には乗っていけない。
担当するクラスの子ども(たち)が『変化成長』するように仕事するのがプロ。
「もらった」クラスで満足する言葉は、瞬間でも僕は使わない。
「もらった」まま、卒業、進級させてしまったら、プロじゃない。

「もらった」クラスネタについての、僕の雑感。
学級編成(クラス)替えで、自分のお気に入りの子を集めちゃうひとがいる。
そうすると、他のクラスには、比較的大人受けしない子?が集まる。
そこを担任するひとはたいへん。
そして、子どもたちは、どっちのクラスになろうと、
メンバーの多様性が大人の都合で狭められて
学びの質が下がる。
いろいろな「やつ」がいた方がいい。
担任とマッチしていない場合があってもいい。
世界は多様だ。

初任(若い)教員には、いわゆる「大人受けしない子」?は受け持たせない傾向がある。
若くて「先生をやりたい!」って気持ちで入ってきたひとに、
ぶつかっていってもらえばいい。
青春ドラマ(笑)の始まり。
そういう子と紡ぎ合いながら、子どもとの、クラスのドラマを作って、
関係性を未来に繋いだ方がおもしろい。


3の章(あきら)「組織バランス」⑤~担任を守る~

【おまけのお願い~すべては担任が授業の評価と準備のための時間が増えるように】

★カリキュラムは担任に作らせないで!
 現在、カリキュラム(学校で何をいつ教えるのか)は現場で作っています。
 単元はもちろん、毎時間の内容まで細やかにプランする場合もあります。
 担任に作る時間はありません。
どこか、外部で作って、ガイドラインとして示してください。
教育委員会や民間教育機関等で「カリキュラム編成専門委員会」を作るとか。
 そこからもらったカリキュラムは、現場で(適当に)運用します。
そもそも、カリキュラムを見ながら、授業を作っているひとを見たことはありません。
教科書会社が作っている「指導書~教科書の解説本」を見ているひとはいます。
それで十分でしょう。
僕は、カリキュラムも指導書も指導要領も見ませんけどね(笑)

★会計業務を担任にさせないで!
 大学の教員養成課程で、会計業務についての学びはしていません。
 時間も使うし、気も使います。
 国の予算に比べたら、微々たるお金なのに。
 国は桁が違うお金を正しく使っているの?
 怪しい怪しい・・・
 今は、体験学習系統なら、旅行代理店がすべて会計事務をしてくれるようになってきました。写真販売系統は写真屋さんが、ネット販売で対応してくれるようになりました。学年会計(教材等を購入する費用の運用)も業者にしてもらえばいい。学年会計そのものを無くす、つまり、保護者からお金をいただかない、のがベスト。そのことについては、5の章で。

★授業時数を減らして!教える内容も減らして!
 「午前中で終わる学校」を完全実施するためには、指導要領をかえなくちゃいけません。
 授業時数も教える内容も減らすことは必須です。
 「学び方を学ぶ」ことを中心にすれば、子どもたちは自分の力で生きていけます。
 「応え合い」ながら「学び合う」ことが学校のすべて。
 知識やスキルは、今や学習アプリで学べば、ほとんど身に付けられます。
午前中に学校を終わらせれば、民間や地域で知識やスキルを伝授することができます。
「午前中で終わる学校3~5」で示したことと繋がります。 
文科省は、世界のどの国が「授業時数多&教える内容多」で成功しているのか、示すべきです。そんな国があればね(笑)

★担任、特に初任を研修で振り回さないで!
 官製の、または先輩からの校内外の研修は最低限にするといいです。
 自ら学ぶ教員にする。
「午前中で終わる学校」なら、午後を自分で選んだ旅、研修、越境に使えます。
「午前中で終わる学校5」等で示したことと繋がります。
先輩?は口出し過ぎだと思います。どうしてこうも、「継続観察」ができないのかな、
待てないのかな、と。
「こうしなさい」「こうするといいよ」などではなく
「どうしたいの」「どうしたらいいと思う?」みたいな問いかけをして
教員養成をして欲しい。
または、お互いの授業や仕事の在り様を見ればいい。見て、自ら学べばいい。
わくわくしない、どこかで見たような、同じような教員が作られていく。
ちなみに、こうした質の高い養成環境(教員の裁量権の大きさ)や高い給与待遇でなければ、科学的に考えて「おもろい」人材は集まってきません。
研修の削減については、6の章でまた。

★指導主事や校長はリーダー学を学んで!担任を動きやすくして!
 この視点については、世の中でたくさんの提示がされて、皆さんもそれぞれ思うところが
 あるかと思いますので、残念な校長の「新しい」見つけ方だけ。
①「いい人」評価を他の職員の前でやっちゃだめ。
異動やら採用やらがあったときに
「今度来る先生はとってもいい人なんです。」と言う校長は
僕はリーダーとしてはアウトだと思います。
教室で、子どもたちに向かって
「●●さんはいい子だね」という称賛を僕はしません。
「いい子」は、人としての好き嫌いに絡んでくると僕は受け止めているので。
称賛するなら、具体的な行動を称賛します。
校長が人前で「いい人」評価をすることで、とても嫌な思いをする人もいるんです。
「いい人」評価もパワハラだということです。
②「部下の悪口」を他の部下に言っちゃだめ!
 校長が
「あの人は全然仕事できないから困る」
「あの人はこんなタイミングで休むから困る」
と、僕に言ったとします。
僕は
「あ~この校長は、部下の悪口言う程度の人なんだ~」
「あ~この校長は、部下の悪口を僕に伝えて、僕を仲間として取り込もうとしているわけ?」
「あ~この校長は、部下の悪口を僕に伝えて、僕の悪口も裏で言ってるよ、と僕をけん制しているわけ?」
「あ~この校長は、僕が裏で『悪口校長』情報を流さないと信じているわけ?信頼度下がりますよ。」

そもそも担任として、ある子どものことを「あいつは、とんでもないやつだ」と他の子に言うんでしょうか。仲間の悪口を聞いた子どもたちは、その担任を信頼しますかね。

リーダーがメンバーを称賛したり、たしなめたりするのに、効果的かつ無難なのは、一対一対応です。全体の前で称賛したり、たしなめたりするのは、細やかな配慮と明確な意図が必要です。それは、職員室だろうと、教室だろうと同じです。

次回は4の章(あきら) 評価~謎ルール:相対評価を加味した絶対評価~について。シンプルに。

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