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「会社勤め」から、定年後「個人事業主」へのチェンジ(その1)

私の会社勤めの経歴を紹介します。

昭和57年4月 新卒でメーカーに入社
38年間勤務
令和2年 3月 60歳になり定年退職 
以上です。

これが私の会社勤めの経歴(社歴)の全てです。

社会人になってから定年まで、転職、独立、副業もしませんでした。
転籍、出向等もありませんでした。

昭和~平成の時代に当たり前のようにあった終身雇用という制度に守られながら定年まで勤め上げた。そんな感じかもしれません。

因みに、入社時から退職時まで勤務先会社名は変わりませんでした。
私自身会社を変わらなかったのですが、会社も吸収合併、社名変更、倒産等なく、業界の中で生き延びてきた企業でした。

そんなことが重なり、まさに一社でしか働いたことの無い経歴の持ち主です。

ただ、今の時代60歳で会社卒業ではありません。多くの会社には『雇用延長制度』があります。私が勤めていた会社にもあり、最長65歳まで勤めることができました。

私はこれを選ばず、60歳から個人事業主として活動することにしました。

今回のnoteでは、その辺りの経緯を記してみたいと思います。

再雇用について

転職、独立、副業もしなかったのは、思いがあったにも関わらず行動に移さなかった/移せなかったというのではなく、思いもつかなかったというのが正直なところです。
勤務先は世間的にそう悪い会社でなかったこともありますが、終身雇用が当たり前で、定年まで同じ会社で働くというのが一般的と思われていた時代、転職や独立という発想には全く至りませんでした。
副業もそうです。そもそも会社が認めてなく、周りでそのような働き方をしている者もなく、考えも及びませんでした。

そんな訳で、一社で、ずーーーーーっと会社員生活を送ってきたのですが、定年3年前ぐらい(57歳ぐらい)の時、定年後の現実が近づいてきているのを感じ始めました。

当時勤めていた会社では9割以上の者が定年後再雇用で残ってまして、それが普通という雰囲気でした。私の周りの職場の先輩方も、ほぼ全員そうでした。

定年3年前に、「あ、自分も定年後は再雇用で働くんだ」と自然に思った時に、「え、それでいいの?」という疑問が沸々と湧いてきたのです。

「再雇用、いやだ」

定年まで3年を切り、いよいよ自分事として降り掛かってくるのを感じ、定年後を具体的にイメージするようになってくると、「それでいいの?」が、「それは、いやだ」に傾いてきました。

再雇用になると現役時代と比べ状況が変わることは、よく言われています。
給料が下がる。
年下の上司に使われる。
経験値とスキルはそれなりに高く重宝されることもあるけれど、権限が無く、職場内での立ち位置が微妙。 など

現役でないので、立場と状況を踏まえながら気持ちを切り替えて順応することが必要でしょう。自分はそれが出来ると思ってました。

再雇用になってからも会社員であれば不平不満はそれなりにあるでしょう。ただ、周りを大きく困らせるほどでなく、飲みながら愚痴でも言ってしまえば、次の日からまた普通に仕事に向かえる。そんな程度であれば会社員として十分許容範囲です。
再雇用になっても、許容範囲内で順応していける自信は自分にはありました。

因みに、私が再雇用となった場合、配属先は定年直前の職場と(たぶん)同じで、仕事内容もほぼ同じであることが予想されました。
そのことで、「仕事内容が変わらないにのに、給料が半分以下になるのはおかしい」と言い出すつもりもありませんでした。

再雇用で勤務している身近な先輩方を見ていて、あまり楽しそうにしていないことが気になりました。現役時代に輝いていた先輩もです。

それから、先が見えていることも引っ掛かりました。先が見えているとはこの場合、給料や役職のことではなく、”面白い仕事”がいつまで出来るかどうか、ということです。

私が思った”面白い仕事”とは、自分が考え、仕掛け、実行し、ビジネスとして何か成果を出すこと。更には会社のため、顧客のため、社会のために何か役に立つこと。です。

再雇用の立場は、決められた枠の中で与えられた業務を粛々とこなすというイメージを持ってました。そのような仕事のやり方では、”面白い仕事”は難しいなと思ってしまいました。

給料低い、年下上司、立ち位置微妙は自分の中でどうにか許容できたとしても、”面白い仕事”が出来るかどうかは自分として外せない、となりました。仮に出来たとしても65歳で強制終了は無いな、となりました。

定年3年前の時点は営業職でした。静岡の自宅から新幹線通勤。首都圏を中心として全国の顧客が対象でした。大変には大変でしたが、顧客との接点活動や業界の中での活動はそれなりにやりがいありました。ただ、日々追われてまして、必ずしも”面白い仕事”ばかりではないことと、歳を取ってからも同じようなやり方はキツイなとも思ってました。

そんなモヤモヤを抱えながら、定年まで3年を切ったあたりから模索が始まりました。

”面白い仕事”を求めて、模索の始まり

書店に行くと、定年にまつわる本がたくさん出ていることに気付きました。以前からあったのでしょうが、それまでは関心が低く目に留まることさえありませんでした。

『人生100年時代』が言われ始めたのもちょうどこの頃です。

いわゆる「定年本」を読み漁りました。共感を呼ぶ本、参考になる本がいろいろありました。
ただ、それらを読んでも自分としてどうするかの答えが載っている訳でもありません。(当然)
そんな中、「行動をしよう」「行動を変えてみよう」ということが書かれていた本が何冊かあり、動いてみることにしました。

ハローワークに行ってみました。
転職Webサイトに登録し活動してみました。
転職仲介、退職斡旋会社に話を聞きに行きました。
独立開業フランチャイズについて調べてみました。
フランチャイズ本部主催の開業セミナーというのに行ってみました。
創業応援塾(商工会議所主催)というのを受講してみました。

動いてみるといろいろなことが判ってきました。

60歳に近づくと、(介護職など一部の職種を除き)求人はほぼ無い。
希望給与を、再雇用で会社に残る場合の水準以下にしてもまず無い。
独立開業には、資金、事業ノウハウ、経営スキルなどが必要。
開業資金を出せばフランチャイズ加盟店になれるかもしれない。
退職金をつぎ込んで失敗する人もいるらしい。

そんな模索を1年ほどやっているうちに更にいろいろと判ってきました。

転職によって、自分が思う”面白い仕事”が出来る可能性は、大企業には絶対に無い。(というよりそもそもこの歳で大企業に転職出来る訳がない。特殊な専門性と稀有な経歴の持ち主でスカウトされるという例外を除き⇒自分には有り得ない)。

中小企業では経営者に気に入られれば転職の可能性は無くはない。”面白い仕事”が出来るチャンスもあるかもしれない。そのような経営者に出会えればの話。

自分で仕事をやるというのはありそう。


そんなことがだんだんと判ってきました。

ただ、自分で仕事をやるにしても、どんな仕事で、その為にどんなことが必要で、リスクは何かは見当も付かず、試行錯誤しながら更に模索を続けました。

自分が思う”面白い仕事”は果たして出来るものなのか。
会社員以外何もやってこなかった60近いおやじにはそもそも無理な夢物語なのではないか・・・・・

という懸念を持ちつつ、でもまだ定年までに2年もあるという楽観的な気持ちを持ちながら模索を続けました。

働き方について

仕事の中身だけでなく働き方についても考えるようになりました。

そして気付いたのは、
「雇われる働き方」でなく「雇われない働き方」
自分はこれを望んでいたんだ、ということでした。

この歳をして”面白い仕事”をやるには、「雇われない働き方」でしかできない。
それは「給料に飼われる働き方」でなく「自由な働き方」でもあるんだ。
人生まだまだある。

ということに、60歳を目の前にして思うようになりました。
社会人になってずーーーーーっと会社員で、その会社員としての終点(定年)がもう少しでやってくるというタイミングでの気付きです。

で、その為には何をどうする? 
どんな仕事をどうやってやる?
そんなこと自分に出来る?
家族は?

模索はまだまだ続きます。

ここまで読んで下さってありがとうございます。

この続きは、
「会社勤め」から定年後「個人事業主」へのチェンジ(その2)
にてお届けします!!


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