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きのこの森。(1)

冬も終わりに近づいたある日、ヒロくんはおたふくかぜにかかってしまいました。丸かった顔は、ほっぺがふくれて四角にみえます。高熱で顔はまっ赤です。

「いたいよー、いたいよー」
つばをのみこむたびに、のどの辺りがズキンズキンといたみます。
「かわいそうに」
お母さんが、おでこに冷えピタを貼ってくれました。
「ヒロくんのお顔、今は三角おにぎりか、きのこみたいに見えるわね」
そう言いながら、お母さんは必死に笑いをこらえています。ヒロくんのサラサラの髪は、いつもお母さんがおうちでカットしています。おかっぱ頭よりも少し短くて、きのこのような形をしているのです。

三日もたつと、ようやく熱も下がってきました。ヒロくんはあれほど苦しかったこと、いたかったことも忘れてしまいました。今はもうすっかり元気です。ご飯を食べる時だけはのどがいたまないように用心して、やわらかくゆでたおうどんをゆっくりとすすります。

「早く保育園に行きたいよ」
「うーん、でもね、お友だちにうつるといけないから。ヒロくんのほっぺが元にもどって、ご飯もちゃんと食べられるようになってからしか行けないの。あと三日はおうちですごさないと」

アパートのせまい部屋の中では、元気を持てあましてしまいます。ヒロくんは、
「いやだ、行きたい、行きたいよー」
とだだをこねます。お母さんは困ってしまいました。
「ヒロくん、折り紙でもしてみようか」
「なんだい、折り紙なんて。女の子の遊びじゃないか」
保育園では雨の日に、女の子たちが先生のまわりに集まって千羽鶴やふうせんを作っているのです。

「お母さんが、きのこの作り方をおしえてあげるわ」
ぷんぷん腹を立てていたヒロくんですが、お母さんにおそわって、折って、折って、曲げて、また折って、くるりと反対に返して、曲げて…。赤いきのこができると「うわあ、できた」と歓声をあげました。
「お母さん、みて、みて」
「上手にできたわねえ」
うれしくなったヒロくんは、その日のうちにきのこを五こも作ってしまいました。

「もっともっと作りたいな」
次の日、ヒロくんはお母さんにお願いして、色のたくさんはいった折り紙を商店街で買ってきてもらいました。早速きのこ作りにとりかかります。
「そうだ、きのこたちに顔をかこう。それから模様もつけてみよう」
赤いきのこには大きな目をかきこみました。黄色いきのこには波形の模様をつけました。顔や模様をつけると、同じかたちをしたきのこが、ひとつひとつ、別々のきのこになっていきます。まるで保育園の友だちみたいです。

「緑のきのこには黒い水玉をかこう」
作れば作るほど、アイデアも広がっていきます。ヒロくんはそれから三日間、もくもくと折り紙をつづけました。
「そんなに熱心にやるとつかれちゃうわよ」
お母さんがとめる声も聞こえないようです。

とうとう百このきのこができました。百こだ、百こだ、ヒロくんは小踊りして喜びました。たったひとりで、こんなに沢山何かを作ったのは初めてです。机の引き出しに入れると、あふれそうです。
「お母さん、きのこを入れる箱ない?」
「段ボールならあるわよ」
こうして、折り紙でできたきのこは段ボールに入れられました。

今日からやっと保育園に行くことができます。ヒロくんはリュックの中に折り紙を入れて出発しました。休み時間がきました。
「ヒロくん、ボール遊びしよう」
「ボク、やらない」
「ヒロくん、ブランコしようよ」
「ボク、やらない」
ヒロくんは、きのこを作ることで頭がいっぱいです。お友だちが遊んでいる間も、きのこを作ります。

お昼寝の時間がきても、興奮しすぎてねむれません。
「先生、ねむれない」
「しずかに遊んでいられるなら、起きててもいいわよ」
「ボク、折り紙してる」
みんながスー、スーと寝息をたてている間も、ヒロくんは教室のすみっこで、いすに座り、小さな指を動かして、きのこを作りつづけました。
「よおし、これで今日は十五こもできた」

ミヨちゃんが昼寝から起きてきて、
「ヒロくん、何してるの?」
と声をかけました。ヒロくんはパッとうでを広げ、机の上にちらばっているきのこを体で覆いかくすと、ミヨちゃんをギロリとにらみつけました。
「ボクのきのこにさわるな!あっちに行け!」
ミヨちゃんはおどろいて、あとずさりしました。ヒロくんがまるでオオカミのようなこわい顔をしているので、ほかの子たちもヒロくんに近よらなくなりました。

一週間がすぎました。保育園から帰ると、ヒロくんは一目散に子ども部屋にかけこみます。部屋には大きなダンボール箱が三つも並んでいます。ぜーんぶ折り紙のきのこが入っているのです。
「この調子だと、部屋が段ボールだらけになってしまうわね」
お母さんが、子ども部屋をのぞきながら心配しています。

最近のヒロくんは家に帰ってきてからも、おやつも食べない、テレビも見ない、ご飯もほんのちょっとしか口にしません。
「どうしたの?具合でも悪い?」
「なんともないよ」
ふっくらしていたヒロくんのほっぺは、おたふくかぜにかかる前よりも、ほっそりとやつれています。

「あなた、なんだか心配よ。ヒロくんの様子がおかしいの」
お母さんが、夜おそく帰ってきたお父さんにいいました。
「いちど病院につれていって、相談してみたほうがいいかもな」
お父さんが、ネクタイを外しながらいいました。

その夜。時計の針が十二時をさした頃、こそこそ、かさかさ。段ボールの中から、なにやら音が聞こえます。ヒロくんはまだ気づかずにねむっています。

こそこそ、かさかさ。こそこそ、かさかさ。

音はしだいに大きくなり、段ボールがふるえはじめました。そのうち、何かがピタッとヒロくんのほっぺに当たりました。
「なんだ?」
片目をこすりながら、ヒロくんがうっすらと目を開けると、窓は閉まっているはずなのに、部屋の中を扇風機をまわした時よりも、もっと強い風が吹いています。おどろいたヒロくんは、ぱっちりと目を覚ましました。

「きのこが浮いてる」
いつの間にか段ボールのふたが開いていて、中から折り紙きのこたちが次々に出てきては空中に浮かび上がっていきます。ゆら〜り、ゆらゆら、風に吹かれて楽しそうに舞っています。せまい箱から出られてうれしいのでしょうか。顔のついた赤い折り紙きのこが、ヒロくんのそばまでやってきて、ほっぺをそっとなでました。「くすぐったい」ヒロくんが首をすくめると、暗闇の中でクスクスと小さな笑い声まで聞こえます。

あっという間に部屋は、折り紙きのこであふれてしまいました。きのこは七百こ、いやそれ以上あったはずです。ヒロくんはぽっかりと口を開けたまま、浮かんでいるきのこたちをながめていました。すると、

ぶううん、ぶわぶわ、ぐわあん、ぐじゅぐじゅ、ぶわわわあん

下のほうからにぶくて低い音がひびいてきました。子ども部屋の床がぐらぐらと動きはじめ、ヒロくんの寝ているベッドも、みしみしと揺れました。こわくなったヒロくんは、枕をぎゅっと抱きしめました。部屋の真ん中あたりに黒くて大きな穴が開いて、そこから何かがゆっくりと姿を現わしはじめました。部屋を自由に飛び回っていた折り紙きのこたちは丸い輪を作り、まるで歓迎するかのようにそのまわりをぐるぐると回っています。

「きのこだ」
窓から差し込むお月さまの光が、子ども部屋を明るく照らした時、ヒロくんの目にはっきりと、これまで見たこともないような巨大なきのこの姿が見えました。

きのこは大きくひろがった鮮やかなオレンジ色のカサに、キラキラ光る星のような斑点がついてます。柄の部分はクリーム色で、ショートケーキの上についているホイップクリームみたいに柔らかそうです。

「ヒロくん、ワタシがだれだか、わかるかい?」
きのこがヒロくんに話しかけました。顔はないのに、ヒロくんにはちゃんと、きのこがこっちを向いているように感じられます。
「きのこだろ」
勇敢にもヒロくんは、きのこの質問にさらりと答えました。
「正解」
きのこが満足そうな声で言いました。

「キミはこのところ、ずいぶん沢山、折り紙できのこをこしらえているようだな」
「うん」
「一体、それはどうして?」
「…作るの、楽しいから」
「キミは、きのこが好きなのか?」
「べつに好きでもないけど。きらいでもない」
「ふううむ」
この返事を聞いたきのこは、あまり気を良くしていない様子でした。

「質問を続けるが、キミは我らのオツトメを知っているのか?」
「知らない」
きのこは、えっへん、おっほんと軽くせき払いをしてから、こう続けました。
「食物連鎖という循環の中に自らの身をおき、地球の養分を生き物たちに分け与えること、それが我ら、きのこ族のオツトメ」
「…」
食物連鎖だの、地球の養分だの、ヒロくんにはなんのことだかさっぱりわかりません。

「キミはワタシに会えたことがどれほどラッキーなことか、分かっていないようだな」
「ラッキーなの?」
「もちろん」
きのこがフーンと鼻息をあらげた音がヒロくんにも聞こえました。
「なんといってもワタシはな、きのこ族の王様なのだよ」
きのこは、いばった口調でヒロくんに告げました。これにはヒロくんもドキッと胸が高鳴りました。王様?すごいな、王様だってさ。でもここではしゃいではいけない気がして、ヒロくんは何とも思っていないような顔でだまっていました。

「まあいい。今夜はキミがきのこを世に広めようと貢献してくれているお礼に、キミを我が国に招待しようと思ってやってきたのだ」
「ボクを招待?」
「とてもありがたいことだぞ。そうだろう?」
王様は、ヒロくんが返事するのも待たずに言いました。
「では、参ろう」

王様のまわりを、さっきよりも更に強い風が吹き、同じ風がベッドの上のヒロくんをも包み込んだので、二人はふわん、ふわふわんと宙に浮かびました。二人のまわりを折り紙きのこたちがうれしそうに回り、見送ってくれています。足元の床に、また暗くて大きな穴がぽっかりと開くと、二人はその中に音もなく吸い込まれていきました。

(つづく)




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